+--- Cinema Memo ---+


■ 感動そっちのけで怖すぎる「ビューティフル・マインド」 2003年09月19日(金)
1947年。プリンストン大学の大学院に入学したジョン・ナッシュは数学の研究に没頭する。方程式で占められた頭に遊びや恋の入る余地はなく、いつも研究への焦燥感でいっぱいだった。やがてジョンは古典経済学の創始者アダム・スミスが打ち立てた150年来の経済理論を覆す新理論にまで到達し、アメリカ数学界の若きスターになる。しかしそんな彼に国防省の諜報員パーチャーが近づき、彼の精神を脅かすようになる…。病と闘いながらノーベル賞を受賞した博士の実話を映画化。

監督-----ロン・ハワード 出演----ラッセル・クロウ ジェニファー・コネリー ポール・ベタニー
音楽☆☆☆ ストーリー☆☆☆☆ 映像・演出☆☆☆☆ 俳優☆☆☆.5 総合評 ☆☆☆☆
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こちらは「チョコレート」とは反対に、実在の人物の一生を美しい音楽+アカデミー好みの感動に飾りつけてオスカーを獲った作品。これがまったくのフィクションで、ジョン・ナッシュが架空の人物だったら凄かったんだけど…。
とはいえ、人と上手く打ち解けられない…というか、数学以外のことはどうでもいいような頭に生まれついてしまったジョンの、内的葛藤と願望、それが生み出した心的抑圧の凄まじさや、雑誌や数字の羅列を見ているだけで暗号が浮き上がって見えてしまう頭脳には本当に震え上がってしまった(ニジンスキーといい、そういう人って、たいてい本人は一見、知的かつ寡黙なところも怖い)。天才としての自負と、社会に必要とされたい、誰よりも一目置かれたいという凄まじい欲求とそれが満たされないフラストレーションの落差が彼を追い詰めていく。

当時は精神病治療も現代ほど進んではいないし、心の病に陥ってしまった夫を支える妻はかなり苦労(のわりにはいつもツヤツヤで健康そうなフルメイクのJ.コネリー)。実話では一度離婚してまた再婚したり、ジョンのホモセクシャルな傾向も映画では見事にカットされております。

入退院を繰り返すジョンは、最終的に薬に頼ることをやめ、病気と付き合いながら研究を進めていこうと決意する。学生時のライバルたちの協力を得たり、学生たちに物を教えたり、初めて外部の人間が彼の目に入ってくる。
終わり近く、ノーベル賞の受賞が決まったあたりからの流れは確かにカタルシスがあり、感動的だし、脚本も良かったと思います。

見所は、やはりジョンの目から見る形而上的なものたちの映像化でしょう。すっごく怖かったけど。それと、ネタバレになるから言えないけどいろいろサスペンスやらどんでん返しもあって、映画的手法的にはとても優れている作品です。
ちなみにポール・ベタニー(彼もROCK YOU!に詩人チョーサーの役で出てた)はいいですね。この映画がきっかけでJ.コネリーと婚約したらしいけど(ちっ…)



■ …といえなくもない的展開連発の問題作「チョコレート」 2003年09月18日(木)
死刑囚の夫と幼い息子を相次いで亡くした女と、愛を注ぐことを知る前に息子を目の前で失った人種差別主義者の孤独な男。それぞれの家族の死をきっかけに、交わるはずのない二人が心を通じ合わせていく…。深い喪失の淵から、愛を知ることによって人生を取り戻す男と女の新たな出発を描く物語。

監督-----マーク・フォスター 出演----ハル・ベリー ビリー・ボブ・ソーントン ヒース・レジャー
音楽☆☆☆.5 ストーリー☆☆☆.5 映像・演出☆☆☆.5 俳優☆☆☆.5 総合評 ☆☆☆.5
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ハル・ベリーがオスカーを獲った、渋い大人のラブストーリー…というには、あまりにすごい問題てんこ盛りの重い作品。しかも、音楽も説明もすべて抑え気味のため、見る側の「まあ、○○なんだろう…と言えなくもないよな」的な脳内補填がかなり必要(製作者側が、見る側に考えて貰いたいためにあえてそうしたんだと思うんだけど)。

舞台は黒人蔑視が色濃いアメリカのディープ・サウス。前半は刑務所の看守で人種差別主義のハンク(とその父親)の嫌ぁ〜な人間性が描かれる。しかしハンクと対立した息子が死んでしまい、ハンクは自分を見失い始める。同じ頃、夫と息子を失ったレティシアと知り合い、家族を失った者同士の交流が始まる。

…きれいごとのいっさいない映画で、登場人物にけして賛同はできないのだけれど、行動への理解はできる。たとえばハンクのやり方に反抗する息子も、けしてただのいい子ではなく、平気で普通に娼婦を買ってたりする(しかも父と同じ女…)。夫と子供を失ったレティシアはハンクとの激しいセックスで心の隙間を埋めようとし、ハンクはレティシアと暮らすために老齢の父親をさっさと施設に入れてしまう。
拒否的な感情が湧いてしまうのは、それが現実にいくらでも起こっている、本当にリアルな(身勝手で利己的な)人間の動きだからだろう。
と同時に、前半あれだけ嫌ぁ〜なオヤジだったハンクが、息子を失ったことで仕事も変え、レティシアと付き合っていく変化の唐突さが気になりもする。しかも一度彼女に惹かれてしまうと、今度は平気で老齢の父親を切り捨てたり、今まで差別していた近所の黒人ともフレンドリーになってしまったり…。このあたりの変化の過程は「まあ、彼もいろいろ苦悩して変化しようと努力してるんだろうな…と言えなくもない」と脳内補填してあげよう。

ラスト、レティシアはハンクがずっと隠していた事実を密かに発見してしまう。彼女の選んだ選択も、やはり「…と言えなくもない」的で、明日にはどうなるかわからない現実味をたくわえている。(セックスと嘘とビデオテープのラストを思い起こす)
ハル・ベリーがオスカーを獲ったのは、体当たり的演技のせいだとは思いたくないけれど、この役を選んだこと自体、ハリウッドでは清水の舞台ならぬチャイニーズシアターのてっぺんから飛び降りるくらいの勇気がいることなので、その選択も評価されたのでしょう。
息子役のヒース・レジャー(「ROCK YOU!」)もいい脚本を選びましたな。成長株!

製作者側が、見る側に「こう感じさせよう」みたいな演出を入れていないところが非常に良かった作品でした。





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Written by S.A. 
映画好きへの100の質問



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