「にこにこばかりもしてられない。」
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2009年12月31日(木) はがき

見つけておいた母の色紙。
母の趣味の水墨画に歌が書いてあって、
たぶんこれは野鳥の会の発表会に出品したもの。

おにいちゃんにスキャナで読み込んでもらって
JPEGにして送ってもらった。

寒中見舞いはがきを
母の色紙で作りました。

毎年50枚近くを手書きしていた
母の水墨画の年賀はがきを楽しみにしてくれていた方たちに
最後まで母らしくさようならが言えるなぁ。
すごいよ。おかあちゃん。

わたしあての年賀状も
すてきな寒中見舞いもれなく返信です。


【横たわりの仙人】

モックンが涅槃像のようにべろーんと寝そべって 一言。


「横たわりの仙人。」


なにそれ。

モ「いやー、おかあちゃんが、【いたわり】について話してたやんか。
 ボクあれ聞いて、
 いたわりの精神、いたわりのせいしん、・・・・・横たわりの仙人て、浮かんでさぁ。」





「横たわりの仙人」が
今だ、折れそうだから母をいたわれ!という場合のパスワードになりました。


2009年12月30日(水) いたわる

おおかた役所が閉まるまでにできることはすませた。
あとは新年になって役所が開いてからです。

てことで、いったん帰るよ。
子どもたちからSOSメールが頻繁になってきたし。
おにいちゃん、飲みすぎるなよー、と念を押して帰る。

うちに着いたらそこは「こどものくに」でした。

パナシ!パナシ!パナシ!
うおう!パナシであふれる我が家!

・・・・・・・・・・あしたから、がんばる。

オトナは?ここにはオトナがいたはず。
オトナのヒトはどこ?

「忘年会で今夜は帰ってこないってー。」








状 況 が 把 握 で き ま せ ん







身内を亡くしたおくさんがぼろぼろですが?なにか?


んー、これは、「いたわる」ということを
わたしが子どもたちに教えねばならないね。
そうか、ここはわたしの仕事だったか。カーーーーーッ。

ということで、
子どものみなさんに、
【いたわる】ということについて講義をしました。

きのう、いたわる見本をみたところです。
実習のあとだから明確です。


あのね、おかあちゃんはね、元気そうに見えるかもしれないけど、
ものすごく今 ぽきん、て折れそうなの。
これはね、このあときっとあなたたち、そういう折れちゃいそうな人に出会うことがあると思うから
大事なことだと思って聞いてね。

折れて立ち上がれなくなりそうな人がいるときにね、
できることはね、「いたわる」ってことなの。

いたわるって、いわれてもなにしていいかわからないかもしれないけど、
とってもかんたんでね、3つだけなの。

ひとつめはね、「余計なことはしない。」
ふたつめはね、「大事にする。」
みっつめはね、「そばにいる。」

これだけなの。

だからね、今日からこれをこころがけるよーに!
強制的にワタシをいたわるよーに!わかったかーーーーーっ



教育、教育。







教育のゆきとどかなかったヒゲくんはお泊まり忘年会の翌日、
「だって、割引券が今日まで!」と映画を見にゆきました。

あきらめるのも、愛か。
刺される前に気づけばいいとおもうみたいな。




2009年12月29日(火) またねぎる

税務署に開廃業届を出しに行った帰り、
おにいちゃんが「おっきいテレビがほしい」と言いだした。

む。
昨日、リサイクルショップで見たやつだな。

まぁ待て。
葬式代にも苦労しといて、なにを言う。

電器屋に寄る。
40インチの地デジ薄型液晶テレビが15万円。
「おにいちゃん、あれ、半年後の目標にしようよ。
ちゃんと仕事して、あれ買うの目標にしようよ。」と言ってみるが

「しやけど、ワシ、おっきいテレビなかったら年末おちこむー」とか言いだす。

キー!

もう一軒、リサイクルショップに寄ろう、と言うので行ってみる。
29インチのブラウン管テレビが9800円だ。

「ちっこいのでええやん!待てよ!11年8月まで!」
「いやや〜、わし、これでええ〜。」
「おっきいのかてな、地デジチューナ内蔵なし、中古、ていうのを検索したら安いの出てくるって!なにもいまさらブラウン管買うことない!」
「いやや〜、DVD見るのにほしい〜」
「まずカカクドットコム!」
「もうええって〜。」
「引っ越し先でええの買うまで待て!待てへんのかー!」
「待てへんワイ〜」

ガクリ。
これだけ大きいブラウン管だと運ぶのに二人がかりだよなー。
わかりましたよ。
わたしがいるうちに運ぶの手伝ってやるよ。

ワーイと小躍りしてレジに駆け寄る困ったオッサン。
車の後部座席を開けに行きました。

台車に運びおろされたテレビを見ていたら
情けないやら腹が立つやら、モヤモヤモヤーとやるせな〜い気分でふくらんできたところに
お買い上げのテレビに破損発見。
導火線点火。
「あらっ、そこ、割れてるねぇ。」
「そうですねぇ。ちょっとこれは相当割れちゃってますねぇ。」
「うーんこれ、下までヒビ入ってるよ?」
「ああ、そうですねぇ。」
「落としたんとちゃうの?」
「でも、うつるのはうつるんですけども。」
「そうはいうてもなぁ。」
「・・・わかりました。値引きさせてください。」

2000円値引き。

わたし、まさかお葬式のあとにテレビ値切るなんて思えへんかった。
ちょっと壊れたか。

値切った2000円で古本屋で見つけた「よつばと!」を5巻まで買いました。
やっぱり壊れてるかわたし。




ねえ、テレビくん。悪いけど年末年始、おにいちゃんの子守、頼むね。


【いたわられる】

飯でも食おうと、正月にいつも会う友だちが誘ってくれた。

そんな気分じゃないのかどうなのか
ふらふらと遊びに行ってもよいものなのかどうなのか
決めかねる気もするけれど
でもお風呂に入りたいので都心まで出た。
4日もおふろに入ってない。被災地か。

化粧品も忘れたのですっぴんで友に会う。

食べられてないんだろう、ということを知っていた。
寝られてないんだろう、ということを知っていた。
ものすごくがんばったんだろう、ということを知っていた。
溜めて飲み込んだことを吐き出すとこがほしいんだろう、ということを知っていた。
ちゃんと泣けてないんだろう、ということを知っていた。

ひとって、あったかいな。

わかってくれるひとがいて、心配してくれる人がいて、
いたわられるって、こういうことなんだ、ってわかりました。

うえーんて子どもみたいな泣き方してかっこ悪かった。


2009年12月28日(月) 届けをたくさん出す

お葬式が金曜日、というのはこれまたよいスケジューリングだったよ。おかあちゃん。

おかげで土日は市役所待ち、電気水道ガス新聞待ちで、
頭の休息ができました。

土日にしたのは図書館に本の寄贈の段取りをつけたことだけ。
2月のリサイクルフェアの本の募集が始まったところだって。

月曜は朝から動きます。
健康保険証の返納
年金手帳の返納
後期高齢者は埋葬費が出ます
介護保険証の返納
それぞれ収納済みの保険料と、年金が兄の口座に振り込まれるように手続き。

世帯主だった母が亡くなったので
兄の名義に書き換えるもの、
兄が保険料を支払う手続きをするもの、
口座を変更するもの、
書類を大量にやっつけます。

おにいちゃん、戸籍とう本と、住民票と、除籍を市民課でとってきて、と頼んだら
束で取ってきました。ナゼ。
「いや、ようけ、いるかとおもって。」
いるだけ言う。こんなとこで小銭無駄遣いすんなっ。

市役所では最後に水道局によって閉線手続き。


続いて法務局。
相続の段取りを教えてもらいます。
うへーん。けっこうややこしー。


帰り道、ひとりで買い物して帰ろうと駅で降ろしてもらって別行動。
あ。ここ、先生のうちの駅。と思って、思ったら途中下車。
毎年お正月にお年賀にうかがう高校の先生のおうちを訪ねました。

ここもどこからか連絡が回っていて先生ご存知でした。
「たいへんやったなぁ。」とふだんの湯飲みにお茶ついでくれて、
「これ食べ。」と甘いはちみつクッキーをくれました。

先生もお母さんを亡くしたばかりだったので、
お葬式以後のことをあれこれ知恵つけてもらいました。
んー、でも、先生、むちゃくちゃなんだよね。
もらったお香典そのまま返しちゃったり、納骨なんかヤダってしてなかったり。
「センセ、そんなんてあり?」
「アリじゃ。」
そうですか。
生きてるもんが納得したらなんでもアリなんだそうです。

こういうおっしょさんについたから、今のわたしがあるともいえる。トホホ。


甘いおやつ食べて、ちょっと元気出ました。


テレビガイドを買って帰って、新聞を断りました。


2009年12月27日(日) 母スゲー(2)

短歌誌の主催先生からお花が届いた。

立派なお花。立派なお名前。
お花に添えられた先生の名札をみながら、ああ、そうか、と思い当った。

この先生、わたしのうちの隣町にある浄土真宗の大本山の管主さまだった。
寺内町の広がる大きな町の本山の管主で、併設の仏教系学園の学長で、
つまりは仏さまのプロだ。

ああ。
そうか、だから、おかあちゃん、わたしが電話しやすいように
先生のあて名書きをした封筒を、よくわかる所に置いといてくれたのか。


お花のお礼の電話をかける。

母はまだ、お戒名をいただいてないんです、という話になって、

先生、先生にこんなことを申し上げるのは
まったく釈迦に説法で、ご無礼なことですけれども
お戒名、というのは
あちらへいってからの名前だと聞きました。

でしたら、
とても乱暴なお願いを申しあげるようで、わたしもどうかしてるとおもうんですが
先生に、母の名付け親になっていただくわけにはいかないでしょうか。
きっと、母がいちばんうれしいことだと思うんです。



わたしでよければ、つけさせていただきましょう。

先生以上に母が喜ぶ名付け親はないです。



母が一番好きだった短歌会の主催で
とてもとても母を大事にしてくださっていた先生に
母の名前をつけていただくことになりました。





おかあちゃんよかったね。
きっとむこうで、先に逝かれてるおともだちに、
「わたし、先生につけてもうたわー!」って得意げな顔で自慢するに違いない。(そういう人:B型)

いただくとかえって、つけづろうございますから、なにもいただきません。
と先生がお布施を断られたことも
「わたしの実力やわー」とか言って自慢するに違いない。(そういう人:辰年)


おかあちゃんの、徳、やと思うよ。
存分に自慢したらいいよ。
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2009年12月26日(土) もうかえれー

おかあちゃんが亡くなったのが23日。
冬休み初日。
クリスマスイブ。クリスマス。全部ふっとんだわけだ。

都会の冬は華やかだ。
明るくて、陽気で、歩いているだけで浮き立つような。
師走の都会はこんなふうだった、と田舎になじんだわたしには懐かしいし、
子どもたちには物珍しい。

ヒゲ君は先月の組合おっさん韓国旅行で激辛青唐辛子にやられて以来ずっと調子が悪いらしい。
調子が悪いところへ仕事が混んできてイヤらしい。
そこへ思わぬロングバケーション。

おかあちゃんからのプレゼントやと思って、
のんびりした年末を大阪で過ごすのもいいかもね、と
わたしも確かに、申しました。が。


カレーが食べたいだの、スーパー銭湯にもう一度行きたいだの、
おばあちゃんのうちの宝物を発掘しようだの
都会遊びのガイドにわたしを当てにしているようだの、
えー、しんどいのー?じゃ、ゲーム大会しよ〜!だの、


・・・・・・あんたたちは、ゆるみすぎじゃ。


とくに受験生よ。
2月1日に私立の入試が迫っている受験生よ。
なぜ勉強道具を持参していないのだね。
なぜDSiは充電器も忘れずに持ってきているのかね。


たしかにねぇ。
気が紛れる、てのも大事なことかもしれませんが、
兄を気遣いつつ、
諸手続の段取りをすすめつつ、
弔問の応対をしつつ、

バーケーションモードの家族の面倒も見る、ってのは
この際、私にはムリだよね。うん。


帰れ。イナカにとっとと帰れっ。

追い返しました。


2009年12月25日(金) 25日

【これるのか?】

朝、ヒゲくん(夫)の弟から電話。
お義父さんを連れてお葬式に行きたいと思って
(お義父さんがいくっていうからボクがつきそって)
駅に来たけどどうやっていったらいいのかがわからない。
ものすごく乗り換えていくルートを駅の切符係が言うんだよー

ん。理解した。
すべて近鉄線だけで行かそうとしてるんだよその切符係は。
とりあえず鶴橋までの切符を買って特急に乗ってね。
電車に乗ったらメールください。
乗換ルートを全部メールします。

鶴橋→天王寺→阿倍野橋→最寄駅
という路線図と乗換駅構内の絵をがががっと書いて写メする。

珍道中スタート。ガンバレ義弟。


【おみおくりする】

山のてっぺんの市営の斎場へ向かう。

ああ このお寺 夏休みのたびに写生しに連れてきてもらったなぁ
ああ このプール今年の夏に子どもたち連れて来たなぁ あの時は元気だったなぁ

向かう道で折れそうになる。
がんばれ。がんばれ。

市営の火葬場の同じ建物の中に備え付けの祭壇があって
そこを手早く葬儀屋さんが飾りつけてゆく
30分もしないうちに立派な会場が仕上がった。

棺に入って祀られているけれど
おかあちゃんはいつもと変わらずふっくらした顔をしていて
お参りする気になれない
おかあちゃん、みんな来てくれるって、と声をかけたら
もういいのにぃ、と言ってるような気もする

おじさんが着いた。母の弟だ。
秋ごろから電話に出なくなって母と心配していたのはビンゴ。
やっぱり入院して施設で暮らしていた。
おじさんの息子と娘もおじさんに付き添ってきてくれた。
このいとこたちに会うのは久しぶり。
大好きだった従兄は背中にチャックが着いて中に入ってるんでしょ本人が?というくらい
体積が数倍になっていました。

お義父さんが着いた。義弟くん、へろへろだ。
アウェイをものともしない、いつも通りの激走お義父さんにちょっと和む。
うん、生きたいように生きよ年寄り。

これでお参りの人は全部、のはずが
どこからどう回ったのか
母の短歌友だちがきてくださった。
友だちと言っても10代と20代と30代。
全員が私よりも年下だ。

棺に入れようと思って持ってきた帽子を見せて
これをよくかぶってたように思うんです、どうでした?と尋ねたら
あ、それです。それ、一番のお気に入りでしたよ。と教えていただく。
見たことのある布のペンケースだな、と思っていたら
これ、おかあさまにいただいたんですよ、とおっしゃる。
わたしも、ぼくも、と若い学生さんたちがみんななにか母の手作り品をもらってくださっていた。

短歌の批評は年齢が関係ない。肩書きももちろん関係ない。
母の作品評は撰者の先生の作品でも容赦ないかわりに
学生の歌だろうが良い部分をよろこんで取り上げる。
遠慮して言いたいことが言えない学生歌会のみなさんは
大先生をバッサリぶった切ってケロリとしている母をたいそう愛してくださっていたようだ。

母がキツイことを申し上げてたでしょう。ごめんなさいねー。
いえいえ、やさしかったですよ。
作品評を読んでいたら主催先生の歌でも容赦なくって。
いやあ、それがもう痛快で。

笑顔で語ることがいちばんよろこぶよね。


それでも、ときどき動けなくなる。
心が折れそうになるときって体がこわばるんだと知る。
棺の中のおかあちゃんに
「これ!しゃんとしなさい!あんたがここでがんばらんとどうするの!」と言われたので
ぎゃーオニめー最後までーと母娘のいつもの軽口を胸に溜めてがんばる。


これで最後のお別れです、と
棺にお気に入りの帽子と、
原稿用紙と、封筒と、鉛筆と清書用のペンと、ハンコと
23日からの新しい下書き帳と、元気に遊び歩いてる母の歌の載った歌集を一冊入れた。

また動けなくなる。ヤバイ。

大きな声をあげて泣いてしまったら きっともう立てなくなる
棺のふちを握って のどにぐりぐりをためながら 涙だけは存分にそのままほうっておいた。
きったない顔で泣いちゃったよおかあちゃん。


こじんまりと、あったかく おみおくりできました。


【おかわりする】

は。お精進落としの食事を用意しなきゃいかんのか!
と気がついたのが前日午後。

20年も離れていた地元で、使えそうな仕出し屋も割烹も心当たりがない。
のが、普通なのに。
1軒だけ心当たりがある。

斎場からの幹線道路のすぐそばで
気取らないおいしい和食で
テーブル席だから足の悪いおじさんにもラクな店。

今年の5月に高校の恩師の出版記念の食事会でお世話になった店だ。

まだケータイに番号も残っている。
無茶を承知で当日朝電話した。
12人の精進落としの食事会を1時半ごろからお願いしたいんですけれど。
おかみさん、あっさり「用意しておきます。小鉢をたくさんもりあわせたのでいいなぁ?」
と引き受けてくれた。
なんだか神がかりだなぁ〜ここまでノンストップで運ぶと。

寒い山の斎場を降りて、店に入ると貸し切りにしてくれてあって
ちょうど湯気の立った料理が並んでいた。

おなか、ぺこぺこ。
ここで食べとかなきゃ、あとがもたないゾーと自分に喝を入れて
「おねえさん、おかわりくださーい」と茶碗を上げると
ぼくも、わしも、わたしももうちょっとほしい、とお店のおひつが空になるまで親族がおかわり。
精進落としでおかわりって。

お義父さんが
「つめたーいかぱかぱに乾いたうまない寿司とかより、
こんなあったかいうまいもんがちゃんとした料理屋さんで食べられて、さすがに都会は違うのぅ〜。」と
感心しきりに味噌汁をおかわりしていたけれども
違いますから。
いくら都会でも、こんな離れ業のヒネリのきいてるお葬式はめったにおめにかかれませんから。たぶん。

義父「わしもしたいのぅ、こういうお葬式。」とわたしを眺めるけれど
あー。お義父さんの場合は、チームリーダーじゃないから、仕切るの無理だな、わたし。ザンネーン。


お店のご主人とは二度目だったけれど、自然と母のお葬式の話になりました。
急だったこと。
市営の斎場で、身内だけでお葬式を上げたこと。
お通夜もなかったこと。
兄の勘違いから、浄土宗なのに真言宗のお坊さんに引導渡してもらったこと。
まだお戒名もついてないこと。

実はこのご主人、高野山の修験僧。
「そんでええねん。充分な見送りや。ええ式ができたな。心で送れたらそれが一番やねん。」

・・・なんだか、ほんとに神がかり的なご縁に助けられて なにもかもが運んでいきます。


おかわりして、腹に力もたまったし、次だ、次。
ごちそうさまでした。


【ひろう】

80代の女性とは思えないほどご立派です。
と葬儀屋さんも、おんぼうさんもほめる立派なお骨。

おかあちゃん、あなたって、どこへ行ってもさいごまで褒められはるんやねぇ。

じゃこ、毎日食べてたもんなぁ。
骨粗鬆症検査で50代、って言われたんやもんなぁ。

箸使いのじょうずな3歳の孫も
あなたのお骨をちゃんとひろいましたよ。

あなたが38歳でわたしを産んでくれたから
わたしも39歳でこの子を産めました。

おかあちゃんが
あんたは、うまれてきただけで、もう親孝行が済んでるからね、ってよくわたしに言ってたことが
この子を授かって、とってもよくわかります。


さあ。おまたせ。
おうちに帰ろうね。おかあちゃん。


2009年12月24日(木) 24日

【スゲーな母(1)】

6月から母はぜんそくで通院を毎日していた。
6月からふっつりと仕事の途絶えた兄は毎日付き添って病院通いをした。

入院がイヤだ、とか言って、わがままを言い
すっかりなにからなにまで介護をさせて
病院のとなりのスーパーで兄の食べない自分の食べたい物を買い、
自分の好きなものだけをせっせと作り、
兄に自分の食べる分は自炊を余儀なくさせた。

ニートがちな兄に6か月かけて自立特訓したのかもしれない。

母が亡くなった朝、病院の待合室で座っていたら
兄のケータイが鳴って、
6か月ぶりに仕事が入ったって。それも立て続けに2本も。


おかあちゃんからの
「もういいわ。ご苦労さん。あとははたらけ。」のメッセージとしか思えん。



【しきりなおす】

兄はお金がないという。
どんだけないのか、ほんとにないのか、ない、という。

じゃ、この立派なお葬式はどうやって払おうか?
あてはある?
う。またそんなうつろになるー。

わかった。葬儀屋さんと私が話していいね?

立派な見積もりで段取りして下さったとこ申し訳ないんですけど
わたしは、兄がこの先、困らずに暮らしていけるようにしたいんです。
お支払いを待っていただいたり、分割にしていただいたりできるでしょうけど
母の一番の気がかりも兄がひとりでもちゃんと暮らしていけることだと思うんです。

それで、わたしとりあえず出てくるときに降ろしてきた30万円があります。
祝日で駅のATMであわててこれだけしか出してこれなかったんだけど。
これでできませんかお葬式。一式。全部。

葬儀屋さんはじっと話を聞いてくれて
市営の斎場でのお葬式を提案してくれました。
枕経も通夜もなし。いきなり火葬場のとなりでお葬式。
「ボク、お坊さんのお布施、5万に値切ってきます。」
できんのかよっ(驚)

新しく作ってきてもらった見積もりは30万円でお釣りの出る金額でした。




おかあちゃん、なんかものすごいことになってしまったよ。
わたしはあれか?ちょっとオニっぽいか?


【たくさんでんわする】

通夜はない。家族だけで見送る。ということを
親戚と母の友人に電話で伝える。

町内会には組長さんに家族葬です、と伝えたら
最近はみなそれです。回覧を回しておきますね、とお悔やみいただきました。
あっさりしてるなぁ。都会は。

となりと向こう3軒にはわたしがあいさつにゆく。
母は近所が嫌いだったから怒るかなぁと思いながら
唯一の外交ルートだった娘のわたしからご近所にお伝えする。
外交ルート、約20年ぶりに回復。

午後に母の友人が住吉から訪ねてきた。
初めてうちまで来たという。
名前だけはどんなに聞いたか知らない初対面のおばあさん。
これがまたにぎやかな、母がよくしてたモノマネそっくりのしゃべりかたのひとだったので
初めて会うと思えない人で
笑って泣いて母の短歌の下書きノートを母の作った肩掛けカバンに詰め、母の編んだニットのベレー帽をかぶって
「またくるわ!」と帰って行きました。
母の笑い声が聞こえた気がしました。

夜にかけて次々と電話がかかりお悔やみを頂く。
家族だけで見送ります、と伝えたらお花を送っていただいたりもした。


母が総評を頼まれていた短歌誌の主催の先生に電話をする。
先生のあて名を書いて、原稿在中と朱書きしてある封筒が机にあったのですが
こんなことになってしまって少し発送が遅れてしまうかもしれません。
間に合わなければご迷惑をおかけしてしまいます。
おいそぎでしょうか。

先生絶句。
残念です。きのうが今年最後の歌会でした。とおっしゃる。

先生、きっと母、自由な体になってうかがってたと思います。きたかったのよ、って言って。

ちょっとだけ電話の双方で泣く。



50代からの母の青春が短歌だったから、
母の友だちは10代から90代まで
学生から学長まで幅広い。


【来た】

夕方、わたしの家族が着いた。
ほんとうならお通夜のつもりだったけれどそれがなくなったので
孫たちは葬儀ホールの安置室までおばあちゃんに会いにゆく。

そのあとホールの向かいのスーパー銭湯。


おかあちゃん。
通夜なし、スーパー銭湯ありだよ。
どんだけ奇想天外やねん。


2009年12月23日(水) おどろく

母が。
実家の母が亡くなりました。

急でした。

3日ほど前に電話でぎっくり腰で動けない、というから
医者に行くか往診を頼んだほうがいい、
年末年始を病院に泊まってなにもせずに過ごしてもいい
高齢者介護保険を使ってホームヘルパーを頼んでもいい
と、相談をしたところでした。

2日前にかかりつけ医に行き、
当日午後に往診に来てもらい、栄養不足だからと栄養ドリンクと栄養剤の注射を受け、
休み明けの24日からお気に入りの病院に入院するはず、でした。

深夜、兄から電話で、
「24日から入院させるつもりだ。」と言われても、
(ぎっくり腰だから、保養のつもりで行くんだな。)という程度にしか思ってませんでした。


早朝、放心状態の兄から
「おかあちゃん亡くなってん。」と電話が入ったときは
なにがどう?なんで?どうしてそうなる?脈絡がないーとぐるぐる回りながら全部飲みこんで
「わかった、すぐいく」とうちをほったらかしてひとりで大阪に向かいました。



あれよあれよと葬儀ホールに運ばれたというおかあちゃんは
ピンクパールの口紅をして寝てました。

うそとちゃうかったなぁ。


-----
【きまってゆく。】

葬儀の段取りが見ている間に葬儀屋さんのファイルからチョイスされてすすんでゆきます。
ホール葬一式の見積もりが出て
お坊さんのお布施は別で30万円て言われたところで
ハッと我にかえりました。

待て。おにいちゃん、それ払えるのか。
祝日だったので駅横のATMで30万しか降ろしてきてないよ妹は。

おにいちゃんはうつろな瞳です。
アイコンタクトが無理な状態だったので
見積もりを持たされたおにいちゃんを連れてうちに帰ることにしました。

おかあちゃんは一晩ホールにお泊まりだそうです。
そう。また、くるからね。



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