ありがとうございます

本日 我が 「くじらさいと」は
開設から2年を経過いたしました。

こんな、マニアック(笑)な守備範囲の狭いサイトが
こんな、超不定期更新(たまーーにしかしてない)のサイトが
2年もの間 つぶれずに続いてきたのは
ひとえに、偏に 呆れず見捨てず 遊びに来てくださる皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。

実は まだまだ やめるつもりはございません。
何しろファンサイトですから
いつ気が変わってファンでなくなら無いとも限りませんが
とりあえず いまだに 某氏にぞっこんのわたくし、
まだ当分の間は続けさせていただく所存です。

もしよろしければ
もし、ご縁があれば
引き続き、遊んでやっていただけると嬉しいです。
なお、家主がサボっていたら
どうぞご遠慮なくどついてやってくださいませ。
尻に火がつかないと動かないタイプだモノですから…お恥ずかしい。

今後とも どうぞよろしくお願いいたします。
2002年10月28日(月)

若き日の悔恨(笑)

大学の時
写真部に所属していた友人に頼んで
ヌード写真を撮って貰うことにしました。
彼女曰く「一人では無理、彼氏(写真部員)に手伝って貰わないと」
それでもかまわないから、とお願いして
実際の日取りを決めるところまで来たとき

そのころ付き合っていた彼氏にこの話がバレまして
大喧嘩して 没になりました。

返す返すも残念だった。
一生の記念になったのに!
彼氏と別れても撮って置くんだった!!
と、未だに悔やみ続けている海乃デス。

ところで
娘の通う学校の大学祭に行って参りました。

娘が「ここでやってるから」と知らせてきた展示を見に行ったら
色んな作品の中に、娘の(ほぼ)ヌード写真が。
彼氏は映像なので、まぁ専門に勉強しているジャンルだろうと思うのですが
親の欲目からいって(笑)
すごく綺麗な写真なんですわ、これが。
大昔、自分が挫折したことをほろ苦く思い出して
ちょっと感慨深いものがありました。少し羨ましくもあるし。

学祭(今年は「ムサゲー」というらしい)は
いろいろあってとっても面白かったです。
展示については、工業デザイン関係の展示が興味深かったですね。
油絵はよくわからん(ごめんよ娘)
あ、手ぬぐい一本買ってきました。あとで姉さん被りをしよう。

今年は旦那と末娘と回ったのですが(息子は別行動)
彼氏が撮影したと思われる 例の娘の写真を
旦那と一緒に見なければならないのは 居心地が悪くて
居ても立っても居られなかったです。
あっというまに一人で部屋を出てしまいました。
おまけにずらーーーーっと並んでいるポスターも
モデルはおそらく娘と思われるし(ううううう 脂汗が滲む)

その上姉の下宿に泊まった 莫迦な 素直な弟が
お昼に合流した際
「さっきねーちゃんに電話したらまだ寝てたし」と
一気にアリバイを崩し去る爆弾発言をやらかしまして
(彼氏のとこに転がり込んだのがバレバレじゃんか!!馬鹿野郎!!)

もう 旦那の顔が見られませんでしたよ。
その後娘に電話した時 激しく不機嫌だったのは
以上のような理由からだった、というのは トップシークレットです。

しかし、私らの顔を見て、全く悪びれずに
にこやかに挨拶してくれる礼儀正しい彼氏を
私はとても気に入ってます。
でも旦那はどーだか知らないよ(苦笑)

はぁ。
疲れ果てた学祭でした。
実際12000歩、歩いてるしね。
はふぅ。
2002年10月27日(日)

この辺で誤魔化そう

リアルタイムで堂々と意見を言うほど
モノを知らないので、ちょっと前にさかのぼって
こそこそ書くことにします。
わざわざ古い日記を読む人も居ないだろう。

今話題沸騰中の5名の皆様のことです。

家族の希望を最優先 って、
「本人とその家族の希望」は最優先じゃないんでしょうか。

子どもたちなんか、なーんにも知らないのに
突然両親が(または片親が)外国人でしたなんて言われて
だから帰国します、お前も来いなんて言われて

私だったらとてもじゃないけど
「はいそうですか」とは言えませんよ。
いくら国がバックアップして、経済的にも援助してくれると行っても
行きたくないです。
だって、外国だよ?言葉も通じないよ?

そりゃね、あの国のことだから
「一旦帰国したら二度と来られないかも」って危惧は
よーくわかりますよね。
日本人の常識をはるかに越えたお国柄ですからね。
でも、だからって 彼らは既に かの国の人でしょう。
「かつて日本人だった」人たちだと、私は認識してますが。

日本のご家族が、どれほど待っていたかはわかるけど
でも 本人達の意見を聞かないで
いきなり政府が身の処し方を決めるのはいかがなモノでしょうか。
なんか 拉致した某国と、やってることは あんまり差がないような。
いや、そう言ってしまうのは無茶すぎるかな。
でも感じ悪いなぁ。

そう思わない?
2002年10月25日(金)

おや?

あらあら
一週間もサボってしまいました。

この一週間 何をしていたかというと
ええと
仕事をしていたかな(笑)

日常生活が帰ってきた一週間でした。
今までになかったことと言えば
「おはようございます」「いってまいります」「ただいま」「おやすみなさい」
そのつどお線香を上げていることでしょうか。

お線香と言えば
今は優れものがあるんですねぇ
病院で亡くなって家に帰ってきた晩
加入していた互助会の関係でいろいろお世話になったけれど
いきなり持ち込んできた蝋燭とお線香にびっくり。
「12時間保つ蝋燭」と「12時間保つお線香」
これのおかげで、火を絶やさずに済みました。

「12時間蝋燭」というのは
玉蝋燭で(そんな言葉があるかどうか知らないけど)
コップに水を入れて、浮かべて使います。
つまり、まわりに蝋が垂れることがないので、火事にならない。
はず。
実際12時間は大丈夫なようです。

「12時間線香」
これは、簡単に言うと蚊取り線香型。
いや、難しく言っても蚊取り線香か(笑)
つまりぐるぐる渦巻きのお線香なんですね。
もちろん普通のお線香の太さしてますが。
で、ぶら下げて使うようになってる。
「線香くさい」というよりほんのり甘いような香りがします。
長くつけておいても嫌にならない香りです。(私は、ね。)
もちろんこれも下に灰受けがついていて
しかも普通に考えてひっくり返らないと思われるので
つけっぱなしで寝てしまっても大丈夫なようです。

我が家は
これ以上ない、という急な不幸だったので
(「呼吸が止まりました」という連絡だった)
看病疲れもなかったのですが
長く徹夜で看病したあとのご家族などは
お通夜でも休みたい場合があると思うんですよね。

そういうときには、本当にありがたいだろうなぁと
つくづく思いました。

ところが、この優れもの、お骨になって帰ってきたら
なくなってまして。
というのも、ええと
火葬している間に、納骨まで養母がいる場所を
スタッフが作りに来てくれるんですが
その時、使い残した蝋燭と線香を持ち帰ってしまったのね。
でも
よく見ると料金表の中には入ってるわけ(笑)

も、ちゃっかり言ってしまいましたよ
「すごく便利だと思ったのに帰ってきたらなかった」って。
担当、慌てて新品持ってきてくれました(笑)

おかげで
我が家は今も火を絶やすことなく
「ただいま」「おやすみなさい」と
挨拶をしているわけです。
担当君、ありがとう。
使い終わったらまた持ってきてね(笑)
2002年10月22日(火)

養母のこと 2

亡くなった人の悪口を言うのははばかられますが
でも
「悪口」ということではなくて
過去にあったトラブルの思い出をひとつ。

今の連れ合いが 結婚の申し込みに来て
主人の両親も訪ねてきてくれて、両家の顔合わせが済み
一応婚約者という立場になったのち
彼女の取った行動は 実に無茶なものでした。

我が家は、私がそもそも「家名」を残すための養女なので
旦那には「嫁には行けない」とさんざっぱら言っておりました。
つまりこれ、遠回しに「結婚する気はない」ということだったんだけど
結局一緒になっちゃったのよね(苦笑)

んで
幸か不幸か(いや、ありがたいことに)
全く何の障害もなく婿に戴くことになっちゃったんだけど

そう決まった途端
彼女(養母)が異常に張り切ってしまって
両家で何の話し合いもしてない、正式に結納もしないウチに
ある日突然出かけていったと思ったら
「今日、式場予約してきたから」

はいいぃ?!!

何の式場? ええ?私の結婚式ですって?
そんな馬鹿な!
だってだって、結婚って一人でするものじゃないんだよ?
相手がいて、相手の家族があるんだよ?
なんで「妻(になる者)の養母」が一人で勝手に決めてるの?
私だって聞いてないよ、そんな話!!

彼女曰く「婿に貰うんだからこっちが主体」
いや、そーいう問題じゃないだろう!
両家で相談して決めるべきものでしょ?
結婚後どこに住むかも決まってないのに、私の地元でやるわけ?
旦那(になるべき人)の家族や親族はみんな東京だよ!
どうして勝手に決めちゃうの?!!
私は一体相手になんて言えばいいの?
「今日式場予約しましたから」なんて、そんなこと
言えるわけないじゃん!!

おまけに披露宴の規模まで決めてきたとか
「来賓の祝辞はこの人とあの人とこっちの人と」…って
それ、ぜーーーんぶ養母の関係。
ちょっと待てよ!相手の義理のある人もいるはずでしょ?
それに名前きいても顔が思い当たらないような人達に
そんなに何人も祝辞貰いたくないよ!
頭に来た私、ついに言ってしまいました。
「ちょっと待ってください。誰の結婚式なんですか!」

大喧嘩です(苦笑)

そのおかげで、その年の結婚は流れてしまいました。
「その年」どころか、結婚のきっかけを失って
ずるずると2年以上延びたんですよね。
最後は両親(生みの親)が
「結婚式はしなくてもいいから、いい加減に決めてくれ」と言い始めて
結果
結婚式を挙げないまま入籍だけした私たちが
ここにいるわけです。

今 思い返しても
養母のやり方は無茶だったと、心底思ってます。

そういう「俺様」な人だったのよね〜(微苦笑)
2002年10月15日(火)

ハルク・ホーガン

今年3度目の再セットアップをしたまま
壁紙をF□−Vで放っておいたら
息子に設定されてしまいました

それも
よりによって ハルク・ホーガン壁紙(笑)

いや
ホーガンだってかまわないんですけどね
嫌いな訳じゃないし

でも
彼は確か私若い頃から(「若い頃に」かな?)
活躍してましたよね。
去年息子に「ハルク・ホーガン知ってる?」と聞かれて
もちろん知っているさと答えたものの
まさかまだ現役だとは夢にも思いませんでしたよ。
なんでも50歳くらいなんだとか。ホントかどうか知りませんが。

子どもの頃とか 若い頃とかに見ている人で
大人になってからその年齢を聞いてびっくり、というの
ありませんか。
私が子どもの頃は、年寄りがまだ着物を着ていたりしたんです。
私の祖母も殆ど着物ばかりでした。
で、若い人は洋服なので、着物を着ているというだけで
「年寄り」と思っちゃうんですね。
おまけにその「孫」にあたる女の子と一緒に遊んでいると
一緒に遊んでる方も、その人を「おばあちゃん」と認識してるわけです。

結婚して子育てをしている頃
その「おばあちゃん」が亡くなった、と聞いてびっくり。
大変失礼な言い方だけど「昔おばあちゃんだった」のだから
まだお元気でいらっしゃるとは思ってなかったんですわ。
年齢を聞いてびっくり。
亡くなったのがその年なら、私が「おばあちゃんだ」と思っていた
あのころは何歳だったの?
60歳そこそこだったんですね。
すっっごくおばあちゃんに見えたんだけどなぁ!

ハルク・ホーガンも
私が若かった頃活躍していたんだから
当然私よりずっと年上だと思っていたら
まだ現役だという。
年を聞いたら私の想像よりずっっと私自身に近かった!(爆)

女優さんもそう。
「いつまでも綺麗ね、いくつなのかしら」
…って、なんと私とそう違わないじゃないの。
それじゃ、私が学生の頃大人の女性だと思っていた彼女は
私と同じくらい若かったの?!

う〜む
人間の認識なんて、こんなものなのね。

そういえば
子どもの頃は親が凄く大人に見えたけど
自分がその年齢になってみると
中学高校の頃と全然頭の中身変わらなかったりして
がっかりします。

ああ
本当の大人になれる日は 来るのだろうか…
2002年10月14日(月)

探してます

サイト開設2周年を控え
ちょこっとリニューアルなぞしてみたいなぁと思い立って
この間から、素材やさん巡りをしております。

んで
「入る気にならない」
というサイトが結構あるなぁと 思った話。

あのね
シンプル素材をメインに探しているんですよ。
サイトの中身をシンプルに簡潔にまとめることが甚だ苦手なので
せめて壁紙とかアイコンとかは
軽くてシンプルなものにしたいなぁと思ってます。
ま 「出来てるかどうか」は別として、気持ちだけは、ね(苦笑)

素材が作れちゃう人自体、凄い尊敬していますが(技術的にもセンスも)
シンプル素材を作ってらっしゃる素材やさんって
サイト自体、とってもすっきりしてること、多いです。
羨ましいですよね。もちろん努力の賜なんでしょうけど
でも、いかにせん、「持って生まれたセンス」ってありますもんね。
私なんかもう自分でも情けないですよ、ホント。

それが ですねぇ
シンプルでスッキリした「何もないぞ」なサイトトップって
場合によっては、年寄りにはなんとも。

かっこいいのは分かるんだけど
まず、サイトトップの表記が全部英語だとちょっと引くでしょ。
この時点で
「おお!ここは是非中が見たい!」という気持ちが半減してます。
しかもフォントサイズが小さいと、老眼には読みにくい、または既に読めない。
ここでまた「見る気」が激減。
それから
デザイン的な理由だろうと思いますが
入り口が一目瞭然ではない場合が結構あったりするんです。

ええと…どこからはいるの?このイラスト?写真?
それとも「ENTER」の文字が………おおお!!!発見!!

端の方にちんまりと気づかないくらいのフォントサイズであったりすると
なんだかすっかり入る気が失せてしまうんですわ。
たぶんこの先、サイトの中もわかりにくいんだろうなぁと
そう思ってしまうのね。

これ、若い人なら問題ないんだと思うんだけど
年寄りは、多分頭が固くなってるのよね。
入り口が入り口らしくないと、なかなか判らないんですわ。
おまけに気が短くなってるのですぐ怒る(苦笑)
「なんだよーどこから入るんだよー!!」

体力が衰えてるので、気力も若い人ほど保たないんです。
しかも目が疲れるのも早いでしょ。
と、根性がね。続かない。

さぁ困った。
これでは好みの素材に辿り着くまでにどれだけかかることやら。

性格的には
いいやもう、自分で作っちゃえ!
というタイプなんだけど、なにしろさっきも書いたとおり
技術もセンスもないから、こればっかりはねぇ…

はぁ
やっぱりパソコンとかネットとか
サイト運営とか
若い人向きの趣味なのかしらねー

2002年10月13日(日)

仏教…この不思議なモノ

人の最期を看取って
喪主の立場に立ってみて(いや、喪主は同居人の方ですが)
いろいろ知らなかったことがたくさんあり、驚いています。

それから
頭で知っていたり、「してはいけない」と言われていたことを
次々しなければならなかったり
仏教って
なーんにも知らない割に
根深く染みついているんだなぁと
改めて認識したこの一週間でした。

逆水 なんて言葉は知らないけど
でも「ぬるま湯」をつくるにはお湯を先に入れなさい というのは
小さい頃から言われて、もう染みついてることですよね。
それを
「水、お湯の順で入れてください」と改めて言われると
ああ 亡くなったんだな と 確認させられます。

それから
お茶碗にご飯をぺたぺたとてんこ盛りにして、お箸を立てて。
「これはしてはいけない」と言われているのに。
気にしない人がご飯にお箸を突き立てるのが(たとえ斜めにでも)
すごくいやで、おねがいだから立てないで、と取ってしまう位なのに
今度は自分でそれをやれっていうんですもの。

箸渡しもそうですよね。
箸から箸へ渡してはいけない!!!!と
もう、エラい勢いで怒られて覚えたけど
今度は「渡さなくちゃいけません」って。その抵抗力のものすごさ。
自分の体には、こんなにも禁忌が染みついていたのかって
ちょっと吃驚しませんか。

ご飯と汁物の置き方も然り。
「今はいつも通りの順番で、帰ってきたら反対に」と言われて
ここもか!と驚きました。
「彼岸の人」になるから、向きが変わるんでしょうか。

不思議と、知らないウチに染みついていることがある反面、
告別式や法事の手続きだけでなく
知らないこと、判らないことが山ほどあります。
こうやって、だんだん覚えていくんでしょうねぇ。

宗教って 不思議だわ。
2002年10月12日(土)

義母のこと

亡くなった義母の話を。

「義母」と言ってますが、同居人の母ではありません。
戸籍上では私の母(養母)で、血筋から行くと大叔母。
大叔母、つまり祖母の姉妹(妹)です。
ところが、この祖母がそもそも後妻でして
つきつめると血縁関係もないんですよね。

けど
私が生まれる前から家族だったので
血がつながってるとか繋がってないとか
そんなことは考えたことはありませんでした。

ああでも、もうかなり前になくなった祖母と
血が繋がっていないと知ったときは、ちょっと悲しかったです。
なぜって、それを知ったときに、祖母が見たこともないような顔で
「知られちゃったねぇ」と言ったから。
大好きなおばあちゃんを悲しませたことが悲しかった。

いや、養母の話でしたね。
というわけで、「祖母」といえる年齢でして
ま 世間一般では 不足のない年齢 だったと思います。

彼女は
ずーっと独身で働き続けて、今で言うキャリアウーマンの
はしりだったのではないでしょうか。
地元ではそれこそ「市内で一番早くパーマをかけた」と
自分では言ってました。
かけたはいいけど、昔の「アイロンパーマ」でしょ?くりくりの。
結局、外に出るときは恥ずかしいので
ひっつめにしてぎっっっちり縛り、スカーフ被って外出したとか(笑)

そうですね
今から15年も前に(もっと前だったかな?)
きれいに白くなった髪を、青や紫に染めていました。
その色だと、まだ周りの人が奇異の目で見るような時代でしたね。

明治生まれなのに、ワンピースとハイヒールをたっくさん持っていて、
もう見本にしたいような見事な外反母趾でした(苦笑)
チーズが大好きで、お茶よりコーヒーが好きで、お酒も大好きで
時々「ピザ取ろうよ」などと宅配のピザを食べたがる人で。

最後の2年はもう意識もなくて
点滴と流動食だけで永らえていたので
家には居なかったのですが

こうやって思い出すと
本当についこの間まで喧嘩していたような気がしますねぇ

やっぱり
告別式が済んで、一息ついてから
涙って 出るんだなぁと しみじみ思います。

合掌。
2002年10月11日(金)

人生いろいろ

なんだかちょっと悟ったようなタイトルつけてしまいましたが(苦笑)

先月末
3日間上京して、浮かれたまま日記をさぼっていたら
ある日突然パソコンがおかしくなってしまって。

というのは
私が終了したときは何でもなかったのに
その日の晩息子が立ち上げたら見たことのない画面に。
見たことないのも当然、なぜかディスプレイが16色に。
何故だ!?

なにがどうおかしいって、色もおかしいんだけど
マウスポインターがない。
これはもう…どうにも操作のしようがない、という(苦笑)
パソコンは「クリックしてください」っていうんだけど
クリックできませんがな(苦笑)


3日ほど四苦八苦した挙げ句、サポートに縋ったら
あれこれ指示してくれてその結果を報告、
結局「ウィンドウズの再インストール」という結論に。

なんだよー またかよー

というわけで、8月末からひと月半なのに、また再セットアップする羽目に。
はふぅ。

しかし
まぁ3度目ともなると手慣れたモノで(苦笑)
手間暇はかかるけれど、でもさほど苦労せずにインストールし直したのですが

さぁ
今度こそ始動するぞ!
と 思った矢先に
2年以上入院していた義母が急に亡くなりまして。

8日が告別式でした。
昨日、今日はまだおちおち休む暇もなく後かたづけをしております。
会社は一週間忌引きをもらったので、今週いっぱい休み。
明日ももうちょっと残った手続きなどをして
そのあとは出来るだけ休みたいと思いますわ。

でも
土日でお線香あげに来てくれるひとが
たぶん、いるでしょうね。
掃除して置かなくちゃ!!

そんなわけで
この半月ばかり、てんやわんやです。
サイト、放りっぱなしで申し訳ない。
来週になったらもうちょっとちゃんとするから、許してね。

はぁ。
最近こんなことばかり言ってるなぁ。
今月末にはサイト立ち上げて2年になるって言うのに…
リニューアルできる日はいつ?(爆)
2002年10月10日(木)

連休中のこと。

来日中の知人に会うため 上京しておりました。
今回は、彼が共に活動している人も一緒だったんです。
と言うよりむしろ
そちらが年長者でもあり、リーダーでもあるんですが。

その
リーダー格の方は
写真でしか存じ上げなかったその方は

こう
何と言えばいいのかしら

やわらかい大人の笑顔で、終始にこやかな
それでいて存在感のある とても魅力的な方でした。

話を聞いてみれば
本国では、電車に乗ることもデパートで買い物をすることも
出来ないほどの人気者なのだそうな。
人だかりが出来てしまって、握手攻めにあってしまって
おちおち街中を歩けない、というスーパースターなのだそうです。

そんなビッグネーム(本国では)ですが
日本では殆ど知られていないし
東京では「外国人」も珍しくないし

というわけで
一緒に電車に乗って、地下街を歩いて
(ついでに駅のトイレにも入ったりして)
ラーメン屋でビール呑みつつチキン頬ばり、
タンタンメンなんか食べてしまいました。

空きっ腹にビール飲んで「ああ、いい気持ち!」という私に
二人に見えるよ、と一緒に酔ったふりをしてみせたり
仲間同士で冗談を言って笑いあったり
知人のバッグをこっそり下で引っ張ってみたり
そんなちょっとお茶目な所もある彼。

仲間の話によると 日本へ来てからの彼は
本国にいる時と表情が全く違うのだとか。
おそらく「スーパースター」という上着を脱いだ顔なんでしょうね。

音楽の趣味で ほんの少しだけ共通項があった私に
別れ際 今度は二人で話をしましょう と
そう言ってくれたそうな。
「彼の母国語で話をしよう」と言うことらしいけど(爆)

二日間でしたが
少々酩酊感を伴った、素敵な時間を過ごすことが出来ました。

ああ
夢のようだったわ。

2002年10月01日(火)

花のもとにて / しっぽ

My追加