流花の日記

2001年05月31日(木) 早く帰りたい(>_<)

うおー。先生に貰った「入院診療計画書」の推定される入院期間は、約10日間だったのに、
今日でその10日目なのに…先生から、退院の言葉が出ないよーー。
自分では、もう全然苦しくないし、普通に歩けるのになぁ。
先生も、もう酸素が外れたから、病院内をいろいろと歩いてみて、しんどくないか
試してみて。って言われたから、頑張って張り切って、うろうろしてみた。
すると、熱が出た(笑)
おかしいなぁ。
私が大部屋に来た頃から、入院されてた患者さんが、今日のお昼過ぎに退院された。
先生が来て、今日にでも帰っていいよ。って。
私は、私は???と、期待しながら見つめたんだけど、調子が良かったら、
とりあえず、土曜日に外泊して様子を見てみよう。って。
すぐに退院って訳じゃないんだねぇ。
私はてっきり、点滴もしなくて済むようになったし、薬も無くなったし、
週末には退院かな?と期待してたよ〜。
病院では、毎日お風呂には入れない(>_<)
女性は、火/木/土の週三回。しかも、1人30分。自分の入りたい時間を
お風呂場前の、ホワイトボードに名前を書いて予約するんだけど、
大抵、みんなお昼のリハビリが済んでから、予約するみたいで、
15時過ぎから、一杯になっちゃうんで、早めに書かなくっちゃ…と思ってて。
でも、今日は、肺機能の検査があるって、聞いてて。だけど、何時からなのか
分からないって看護婦さんに言われて、ずーっと待ってんだけど、連絡ないし、
お風呂に入りたいのになぁ…と思いながら、うろうろ散歩してたら、
担当の看護婦さんに遭遇。検査は、まだですか〜?と尋ねたら、下の検査係りの人に
聞いてくれて14時くらいから、検査になった。
初めての検査だったんだけど、鼻をクリップで留められて、苦しかったー。
肺活量は、かなり回復してきて、人並みあったみたいで、検査係りの先生に、
「あれっ、普通じゃん」って言われました。一安心(*^-^*)




2001年05月30日(水) ヤク中(笑)

朝イチで、家族に、ジャンプとマガジンを買ってきてもらう。
漫画でも読まないと、楽しみが無いし。
しかし、頭を使ったのがいけなかったのか、熱を出してしまって
アイスノンを貰う。
大人しく寝るしかないのか…。
今日は、「ごきげんよう」真矢ゲスト最終日。
12時にお昼ご飯が来て、さかさか食べて、真矢に間に合うように、
お膳返しに行って、歯を磨いて、スタンバってました。
そして、いよいよ真矢の番だ♪と、思ってたら、
天井のマイクから、看護婦さんの声が…。
「今から、レントゲンに呼ばれたので、行ってくださーい」……と^^;
なんじゃとーーー、何故、今、レントゲンなんかに呼ばれんと
いけんのじゃぁぁぁぁ〜。楽しみにしていた真矢のトークがぁぁぁ。
……と、後ろ髪を引かれながらテレビを切って、1階のレントゲン室へ。
ちゃっちゃと、レントゲンを撮って、4階まで帰って急いでテレビのスイッチを
入れたけれど……。もう最後の場面でした(泣)小堺さんが、「真矢さんありがとう
ございました〜」と言ってるとこでした…。
悲しみに暮れながら、なんだか熱も上がったような気がして、そのまま
ベッドに倒れこんでしまった(苦笑)
夜の点滴は、今日で最後。
夜19時からやりはじめて、21時まで繋がれてて。
点滴をしてると、どーもお手洗いに行きたくなってしょーがないんだよなぁ^^;
あんまし動いちゃいけないんだけどねぇ…。20時半までは歌の大辞典見ながら気を
紛らわして我慢できたんだけど、やっぱ駄目だった(笑)
点滴ごと、ガラガラ音立てながら、お手洗いに行ったよ。
血を逆流させながらね(爆)
入院した当初は、24時間ずーっと点滴だったのが、そんなに気にならなかったんだけど、
一旦自由になったら、たったの2時間の点滴が、苦痛だった…。
不思議なもんだねぇ。
それにしても、私の右腕は、ヤク中の人みたいに、すごいことになってるよ(爆)



2001年05月29日(火) そろそろ退院?

今日のお昼で、飲み薬が終わった。
点滴も、明日の晩ぐらいで、止めてみようって、センセーに言われて、
ほっとした。
だんだんと、よくなってきてる!
退院も近いかな!!
入院した当初は、1週間くらいの入院です。と言われてたのに、今日でもう一週間だよ。
思ったより、回復が遅いのかなぁ。もう、年だしなぁ(苦笑)
熱が無かったら、お風呂に入ってもいいよ。と、お許しが出たので、どきどきしながら
検温した。
36.9度だった。37度無いし、入ってもいい???と看護婦さんにお願いして、
湯ざめしないよーに。カラカラになるまでしっかり髪も乾かすのよ!と
注意されながら、風呂に入った。
湯ぶねにお湯を張って、のぼせたらいかんので、シャワーにしたけど、
さっぱり、すっきり気持ちよかった(*^-^*)
今の時期、1日おきの入浴は、辛すぎるよー。しょっちゅう熱だしては、汗かいてるから
気持ち悪いし。



2001年05月28日(月) 思い通りにいかない体。

ジャンプが読みたいなぁ…。下の売店に行ったら、売ってるんだけど、そこまで
行くのが、辛いんだなぁ。まだ酸素の管が取れないし。
酸素を外すと、やっぱ少し息苦しい。
なんでかなー。こんなに一杯深呼吸してんのに、体には酸素入ってかないんだなぁ。
人並みの酸素の量は「98〜99」らしいけど、今の私は、「92〜94」をさまよってる。
胸で呼吸するのは、あんまり空気が入らないそうなので、腹式呼吸を練習しないとね。
少しは、お腹の肉もひっこむかな?(笑)



2001年05月27日(日) さっぱりすっきり。

今日の夕方、やっとやっと、点滴が外れた!!
入院してから、ずーーーっと24時間点滴してたから、6日ぶりの自由だ!!
これで、自由に着替えも出来るし、何よりお風呂に入れるーー!!
今まで、水のいらないシャンプーとか、体を拭いて貰ったりはしてたけど、
やっぱ、お湯で、がしがし洗わないとー!!
夕飯は、18時からなんだけど、お風呂に入りたいなぁぁぁぁと、看護婦さんに
お願いして…。ほんとは、日曜日は、お風呂は誰も入れないんだけど、
それじゃこっそり行っといで!と許可が出た(*^-^*)
お風呂の中に、酸素ボンベを看護婦さんが用意してくれたけど、
お風呂に入れるー!と思っただけで、全然息苦しくなかったし、
使わなくてすみました。いざとなったら、お風呂の中に、ブザーもついてるし
安心して入ったよ。
気分もすっきり、今にでも家に帰れそうなくらい元気になりました。
その後の夕飯も、きれいに食べたし。
ただ、酸素の量を測ったら、「94」で、低かったんで、またまた酸素マスク着用命令が
出たけど(苦笑)
んで、点滴が外れたーやったーと思ってたら、寝る前に、点滴がやってきました^^;
そんで、次の日の11時まで再び繋がれっぱなしでした。
でも、風呂に入れたからいいや〜(*^-^*)
夜は、堂本兄弟を観たし。もっと真矢とRYUのトークが聞きたかったなぁ。
30分じゃ短いよー。



2001年05月26日(土) いのちの大切さ。

寝たきりの生活に、いいかげん厭きてきた。
だけど、酸素マスクを外すとやっぱり、少し苦しいので、ベッドからは
あまり離れられない。
ベッドも、平らな状態だと息苦しいので、ずーっと頭の部分を斜めに
高くしているまま。
しかし、洗濯物はたまる一方なので、点滴ごと移動する。
洗濯機は、二台あるけど、乾燥機は一台しかないんで、運がよければ
使えるけど、大抵いつもふさがってる。
そんな時は、乾燥室で干しておけば、いつのまにか乾いてる。
洗濯機は1回100円で35分使えて、乾燥機も1回100円で40分かかる。
乾燥室は無料だけど、自分で干さないといけない。
普段なら干すのなんて簡単なんだけど、熱風の中、ぜえぜえいいながら
干すのは、一苦労だった^^;なにしろ、右手が点滴つきだから、
不自由でねぇ…。
夜中に誰かが部屋に入ってくる慌しい音で目が覚めた。
3時頃かな?入院してからというもの、いつも3時頃に目が覚める。
隣のベッドに新しい患者さんが入ってきたみたい。
抱きかかえられてきた患者さんは、とても苦しそうで、なんだか今にも
死んでしまいそうな声だ。急病なのかなぁ。個室は空いてなかったのかなぁ。
そんなことを考えながら、うとうと…。
次の日、大体事情が飲み込めた。お隣さんは、まだ二十歳きてないくらいの
すっげー若くて、可愛い子だった。
旦那と喧嘩して、睡眠薬を大量に飲んで運ばれてきたのでした。
旦那も若かったなぁ…。多分10代だろうなぁ。
その旦那は優しくて一晩中付き添ってあげてて、女の子が欲しがるもの車飛ばして
買ってきてあげたり、昼間もずーっと同じベッドに寄り添って寝たりで、ラブラブだった(笑)
しかし、発作的に、睡眠薬大量に飲んじゃいかんよな…。
命は粗末にしたらいかんよ…。




2001年05月25日(金) 売店高すぎ!

相変わらずの入院生活。
救急外来で診察した時の請求書が来た。
一週間以内に支払ってくださいって書いてあって。
丁度、タオルが足りなかったので、1階の売店に行ってこようかな、と、
点滴をガラガラと言わせながら、下まで降りて会計窓口で支払いを済ませて、
それから売店へ。
初めて売店へ入ってみたけど、すっげーちっちゃくてびっくりだった。
しかも、タオル高い…!!なんの変哲も無い薄っぺらのフェイスタオルが一枚250円だったのには
びっくりだった…。でも、突然の入院で何にも用意してなくてタオルが無かったので
仕方なく二枚お買い上げ…。前髪が垂れてしょうがなかったので、何か髪をとめるものを…と
探してみたけど、ふつーのヘアピンしか売ってなくて、しかも一本でいーのに、100本くらい入って
200円だった。
雑誌もあんまし置いてなくて、テレビガイドを買った。部屋に帰って、今日の番組は何が
あるのかな〜とめくってみると、明日からの番組表しか載ってなかった(苦笑)
ちょっと下に降りただけなのに、部屋に帰ると汗びっしょりで、すっげー息苦しかった。
しばらくして看護婦さんが検温にやってきて、酸素の量を測ってもらうと、
「92」しかなかった。…しんどい筈だぁ^^;
熱も出てしまってて、「ちょっと下まで行ったら、しんどかった(笑)」と言ったら、
「まだ下に行くのは早いわ。安静にしとかんといけんで」と怒られてしまった^^;
ずーっと寝たままで、暇だし、気分もいいし、元気になったような気がして、
もう歩いても大丈夫かな?と思ったんだけど…体はまだ、大丈夫には
なってなかったみたいでした(苦笑)
その日のお昼ご飯は、なんとカレーが出た。
まさか病院でカレーが出るなんて思わなかったから、スプーンなんて持ってきて
貰ってなかった…。これを箸で食えというのか…と頭を抱えていたら、
同室の患者さんが、スプーンを貸してくれた。
良かった良かった。
が、しばらくしてものすごい腹痛に見舞われた。
……カレーが原因だと思われる………^^;



2001年05月24日(木) 私も退院したいぞ。

せっかく同室の人たちと仲良くなれたのに、二人とも今日退院されてしまった。
おめでたいことなんだけど、ちょっと寂しかった。
隣のベッドと前のベッドが空いてしまって寂しいなぁと思ってたら、
すぐに、前のベッドに新しい患者さんが入ってきた。
帯状ヘルペスという病気で、大変そう。
ヘルペスは、一度かかったら、もう二度とならないそうなんだけど、
その後の後遺症で、毎年症状が現れるんだって。
それが、今年は酷くて、歩けないほどになったんだって。
6月にはお孫さんの結婚式があるから、それまでには治したいって。
いろんな病気があるんだなぁ…。
健康っていうのは、ありがたいなぁ…としみじみ思った。



2001年05月23日(水) お引越し〜。

病状も落ち着いて来たし、個室から大部屋へお引越し。
個室は、お金がかかるからねぇ(苦笑)
引き出しのものを全部出して、荷作り済ませたら、なんとお引越しは、
テレビが乗っかってる台ごと移動なんだって。
慌てて全部袋に詰め替えたのに^^;
車椅子がやってきて、それに乗っかって大移動。
新しい部屋からは、トイレも近くて便利そう。
大部屋の患者さんたちにご挨拶(^^)
皆さん割とお年を召した方々だなぁ〜と思ったら、みんなお孫さんが
いるそうな。
それでみんな同じ病気なのかな〜と思ってたら、私の前の方は同じだったけど、
斜め前の方は、糖尿病で、隣の方は、何だっけな…胃の検査がどうとか言ってたから
胃が悪いのかな?
消灯時間の21時になったら、みんなテレビも切っちゃうのかなぁ…とどきどきしてたら
そんなことはなくて、安心した(^^)
個室よりも、大部屋の方が心強い感じがした。みんな病気と戦ってるのね!!と
やる気になった(*^-^*)



2001年05月22日(火) マジで命の危険を感じた日。

昨晩は、苦しくてマジで一睡もできなかった。
これは、やばいんじゃないのか…!?と思いつつも、昨日貰った薬を飲めば収まるかな…と、
5時にむりやりパン食べて薬飲んで。すると少し楽になって、4時間ばかり寝れました。
それからお風呂にも入らなきゃ…と、シャワーしてたんだけど、どうにも苦しくなって、
頭を洗ってると、呼吸困難に陥ってしまって立っていられなくなって。
体洗うのも、もう適当で^^;
息を吸っても空気が入ってこない感じで、吐いても空気が出ない感じで…。
深呼吸なんて、全く出来なくて。
例えて言うなら…体育の授業で1000メートル走った直後のあの苦しい呼吸がずーっと
続いてるような感じ。
いくら待ってもその苦しさは収まらなくて。
声を出すと、苦しくて全く息が出来なくて。
でも子猫はお腹が空いて鳴くから、ぜえぜえ言いながら、ミルクやって。
だけど、晩御飯の用意をする元気も無くて、ずっとうずくまってて。
横になると、余計に苦しくて、ずっと中腰だった。
夜の8時頃、家族が仕事から帰ってきて、私の普通じゃない様子に、
「大丈夫なのか」と心配したけど、私はそろそろさっき飲んだ薬が効くだろうから
大丈夫…。と、歯を磨きに洗面所へ向かおうとした時、目の前が真っ暗に
なって、さーーーーっと冷や汗が出て、暫くそのまま動けなくなって。
立ちくらみかな?と思いながらも、なんとか歯を磨いて。
でもやっぱり、呼吸が出来なくなって、立っていられなくなって、床を這いずりながら
「救急外来に行くから、付いてきて…」と、自分で車を運転しようと、車のキーを
持って出ようとしたけど、どうにもこうにも、しんどくて運転する自信がなかったんで
家族にタクシーを呼んで貰って。救急車にしようかとも言われたけど、それは
恥ずかしいから、止めてもらって。そうだ、診察券がいるわー、と気力をふり絞って、
二階の自室へと階段を上がったら、目の前が真っ暗になって、心臓は、バクバクいってるし
呼吸しても、空気が入ってこなくて、体はガタガタ震えるし、診察券の入ったカバンを
握り締めたまま、階段でうずくまってました。タクシーはすぐに来たんだけど、
来るまでの時間がすごく長く感じました。
病院へ付いて、診察を受けて。吸入を受けたら、少し息が出来るようになって
一安心。ぼーっとしてた頭も、回復してきて、このくらいのことで、救急外来に
来てしまって恥ずかしい…と思ってたら、指の先で酸素の量を測る機械をはめられて、
出た数値は、「90」これはいいのかな、悪いのかな?と看護婦さんに尋ねてみたら、
普通の人は、「97〜99」なんだって。だからものすごく酸素の量が少ないんだって。
どうしてこんなになるまで我慢してたの、って言われてしまいました。
だって、昨日診察してもらった時は、気管支炎って言われて、薬を飲んでいれば
苦しいのが治るのかな〜と思ってました。って言うと、苦しい時は、すぐに
病院に来ないと駄目よ。と言われてしまいました。
…だって、そんな病気だとは思わなかったんだもの……。今まで病気には縁が
ないくらい健康な毎日だったし。確かに風邪は、よく引いてたけど、風邪くらい
誰でもかかるもんだし…。
そのあと、レントゲンに。自分で歩けるから大丈夫です〜と言ったけど、いいからいいから、と
車椅子に乗せられて、びゅびゅーんとレントゲン室へ。
それから、二時間くらい点滴と、酸素マスクをつけてました。
息苦しいのも大分収まって、点滴も終わって。
点滴って、なかなか落ちないんだねぇ。しかも、量が多いからお手洗い行きたくなって。
看護婦さんに、トイレ行きたいんですけど…というと、すぐ後ろ、2メートルくらいの距離に
お手洗いがあって。酸素マスク外して点滴引っ張りながら歩いて行こうとすると、
途端に、苦しくなって、頭がくらくらして…。トイレの中で、動けなくなりそうで
気力を振り絞って出ました^^;
ぜえぜえ言いながら、帰ってくると、看護婦さんが、やっぱりまだ酸素は外せないね(苦笑)と
酸素を測る機械を指先に嵌めてみると、数値は「91」でした。
たったの1しか回復してないじゃんか…と、がっかりしながら、点滴も済んだし、夜も遅いし
そろそろ帰ってもいいですか〜?と尋ねると、看護婦さんが、「えっ」というふうに
驚いて。「きっと、今家に帰っても、また苦しくなっちゃうよ」って言われて。
じゃあ、今晩はここで泊まるのね…と思ってたら、主治医のセンセーが呼び出されてやってきて。
「一週間くらい入院だなぁ」の一言で入院になってしまいました。
まさか、入院するなんて…全然心構えしてなかったので、びっくりでした。
そのまま、また車椅子に乗せられて、酸素マスクつけたまま病棟へ。
個室はとても静かだった。
入ってすぐに、点滴をつけられて。
今度は長時間でも大丈夫なように、太くて長い針なんだそうだ。
入れられるとき、すっげー痛かったが、ひたすら我慢した。
眠ろうと努力したけど、点滴をしてるとお手洗いに行きたくなっちゃって、
一時間おきくらいに行くはめになってしまった^^;
ただ、酸素マスクを外すと、途端に呼吸が苦しくなって歩くのもやっとで…。
看護婦さんは、簡易トイレを持ってこようか?と言ってくれたけど、そんなの
めっそうもないので、自力でトイレまで歩きます〜と言ってみたものの、
トイレは遠くて辛かった…。
しかも、女子トイレはめちゃめちゃ遠くて、途方に暮れてたら、看護婦さんが
「男子トイレでもいいよ」と言ってくれて、お言葉に甘えて男子トイレに通いました^^;
まあ、真夜中だったんで、誰にも遭遇しなかったから良かった(笑)
眠ろうと努力したんだけど、隣の病室の人工呼吸器の音が、聴こえてきて
恐かった。
トイレで手を洗っていて、ふと鏡を見ると、蒼白な顔が写っていて気持ち悪かった。
こんな顔色…まるで病人だなぁと思った。
部屋に帰って、横になるが、やっぱり眠れない。とりあえず、目を瞑ってみるけど、眠れない。
自分の苦しそうな呼吸の音を聞いていると、余計に苦しくなってくる。
何気なく、手のひらを見ると……真白になってて、紫色の血管が浮き出ていて
まるで死んでいく人の手のようだった。私の母が亡くなる前も、こんな色だった。
その時、ようやく、私はヤバかったんだ…と実感しました。
なんでもかんでも、自分を過信しちゃーいかんな、と思いました。
苦しくなったら、酷くなる前に、病院へ行け。ということだな。
うーん。でも、昨日外来で診てもらったときは、苦しくなかったんだけどなぁ…^^;



2001年05月21日(月) 病院へ。

滅多に病院へは行かない私が、一大決心をして病院へ。
外来の予約なしの診察は、かなり待たされるから大変だろうなぁ…と
思いながら、診察券を出して。
家で、寝転がっている時は、苦しくてたまらなかったのに、
病院の待合室で座ってると、あの苦しさはどこかへ行ってしまって、
普通の状態になってしまって。
こんな症状軽いのに、やってきてしまって、恥ずかしいなぁ。と
思いつつも、帰るわけにもいかず、順番が来るのを待ちました。
診察の前に、血圧や、身長、体重を量って。
なんと、身長は1センチ伸びてました。まあ、もともとが低いので
人並み以下だけどね。
そして、かなり待って、やっと診察。
レントゲン行って、それからもう一回帰ってきて。と言われて、
レントゲン室へ。
その結果を見ながら、先生に「気管支炎かな」と言われて、
一安心。
薬を貰って、帰りました。
だけど、その日の夜、苦しくて苦しくて、一睡も出来なかった…。



2001年05月20日(日) なんだか、息苦しいぞ?

親戚の家にお泊り。
だけど、なんか息苦しくて、あまり眠れなかった。
横になると息が出来なくて。
夜中にトイレに行くと、暗闇の中から、猫のふくちゃんが、
音も無く飛び掛ってきてびっくりだった。
さすが、半野生の猫ちゃんだ…。
朝になっても、息ぐるしさは、解消せずに、朝ご飯を
喉に詰まらせながら、食べた。
昨日ほとんど眠れなかったので、昼間は、横になってうたたね。
夕方には帰らないと、道路が混むので、そろそろおいとまする。
帰りに、マックでシェイクを買う。
冷たいシェイクが喉を潤して、少し呼吸が楽になった。
家に帰って、晩御飯を作る元気もなくて、パンを食べて寝る。



2001年05月19日(土) 大変ないちにち。

明け方、携帯に親戚の叔母さんから電話が入る。
でも、私は寝てたので、あとから留守録を聞いて慌てて電話。
フクちゃんの目が怪我で開かないそうだ。
お泊りの用意をして、親戚の家へ向かう。
そして、フクちゃんを車に乗せて、動物病院へ。
診察の結果、眼球には傷は入ってないとのこと。
ホッと一安心して帰宅。
その日の夜、なんだかだんだんと息苦しくなって、
風邪かな?と思い、早く寝ることにする。
ここんところずっと風邪ひいたみたいで、
苦しかったから、酷くなったのかなぁ?と
軽い気持ちだった。



2001年05月12日(土) 今日はいよいよ。

Jの赤ブリだねぇ〜。2daysだね〜。運良くチケ手に入って行ける人には、思い切り暴れてきて欲しいね。こないだは、Jは、hideミュージアムでライブしたみたいだけど、あんな狭い場所でJに会えた人はラッキーだったろうな〜と羨ましく思えたよ。今日からの赤ブリも、狭い会場だし、きっと酸欠状態になるんだろうな〜。
それはそうと、今日は真矢の結婚記念日だね。もう一年になるんだね、早いな〜。



2001年05月11日(金) Mステ

またまたMステにRYUが出た。
てっきり他の曲を歌うんだと思ってた、Neだったので、肩透かしくらったかんじがした(笑)
それと、カメラ。なーんか、RYUに近すぎないか?!アップにするのはいいけど、でかすぎ。もうちょっとカメラ引いてくれ…^^;
RYUのカメラ目線を強調したい気持ちはわかるけどさ〜(笑)
RYU、杉ちゃんのことをさらっと言ったみたいだね。ビデオ見直さなくっちゃ。
蕎麦の話題をしてたのは覚えてるんだけど^^;



2001年05月10日(木) INORAN

音楽と人、立ち読みしてきた。
INORAN、だいぶ雰囲気変わってた。
なんていうの、綺麗になってた!どこかの少年みたいに佇んでて…かなり若返ってないか?(笑)
インタビューの内容も、良かったなぁ。
「約束」したんだね…。
本当の真実を私達が知る日がくるのかなぁ。



2001年05月09日(水) シュヴァイン

SCHWEINのCDを取りに行った。お店に並んでないから、入荷されてないのかなぁと不安になったけど、予約票を見せると奥から一枚だしてくれた。もっと店頭に並べておかないとみんな買えないよねぇ。
音は、BUCK-TICKらしさもあるけど、ほとんど洋楽っぽいね。といっても、まだ一度しか聴いてないんだけど。なかなかかっこいい仕上がりだと思う(^^)
ツアーもねぇ…近くに来てくれるんだったら、優先申し込んだんだけどなぁ。
どの会場も遠いうえに、ライブハウスなんだもんな。体力ねぇよー(苦笑)



2001年05月08日(火) はなちゃん。

子猫が、にゃーにゃー鳴くたびに、ミミーとはなちゃんは、そわそわしてます。
特に、子猫に興味シンシンなのは、はなちゃん。
今まであんなに子供っぽかったはなちゃんは、機敏に動いて、子猫の入った籠を覗き込んでいます。
まだまだミミーに比べると小さいなーと思ってたはなちゃんだけど、子猫を持ったあとで、はなちゃんを持つと、めちゃめちゃ重くてびっくりした(笑)
そうそう、子猫には蚤がいて;;でも、薬をするには、まだ小さすぎて駄目なので、その代わりミミーとはなちゃんに薬が出ました。これでミミーとはなちゃんには移らないので安心安心♪



2001年05月07日(月) こねこちゃん。

とある事情から、子猫を預かることになってしまいました。
病院へ連れていったら、まだ生後3週間とのこと。体重はたったの300gしかないって。うちに、ミッキーが来たときも生後三週間だったけど、その時よりも小さく見える。ミッキーはチンチラ(長毛種)だったから、これほどまでには小さくは見えなかったんだろうなぁ。
風邪ひきさんだったから、薬をミルクに混ぜて飲ませてます。
そして、私も風邪ひきさん…^^;なので、食後には忘れず薬を飲んでます〜。
猫の哺乳瓶、人間の赤ちゃんみたいに、煮沸消毒毎回しないと行けないんで、かなーり手間がかかるよ〜。
子猫は、籠の中で育ててるんだけど、体温調節がまだ出来ないから、使い捨てカイロをタオルにくるんでしっかり保温してください。と獣医さんに言われたので、ホームセンターを回って、使い捨てカイロを探したけど、どこももう置いてなくて。
そりゃーもう5月だもんねぇ^^;でも、100円ショップに行ったら、あって、ホッとした〜。それまで、ぶるぶる震えてた子猫は、気持ちよさそうにカイロ入りのタオルの上に、転がって寝てました(^^)



2001年05月06日(日) 堂本兄弟

あれって面白いよね〜。真矢が出てるせいもあるかもしれないけど、ガックン(Gackt)がいい味だしてる(笑)そういえば、GacktのオフィシャルHPアドレス変わったのかなぁ?行っても、変な画面にしかならないし。それともパスワード制になったんだろーか。



2001年05月05日(土) 新しい日記だー!

ええと。とりあえず、やっと新しい日記を作りました。
これからは、まめに…更新できたらいいな〜(^^)


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