Web Masterの日記



那須覚楽慰安旅行その2

2024年06月27日(木)

昨日はあまりにも眠くてパソコンも起動せずに寝てしまった。
最近、全然疲れが取れない。
やっぱ歳なのかな…。
というわけで一昨日の那須覚楽慰安旅行の続き。

覚楽に到着し、みんなのようにすぐにロビーの椅子に座って
お茶を飲むことはできず、ヒデオやミキチャンと一緒に覚楽の関係者へ挨拶回り。
そういえば1995年から2008年の14年間、覚楽に入る時はいつも練習後、
泥だらけのユニフォームで申し訳ない気持ちもあった。
今回、初めて普通の私服で覚楽の門をくぐることになった。
あ、でも1996年にヒデオとミキチャンの結婚披露宴・那須公演の
司会をやるために訪れた時、この時だけはユニフォームじゃなかったか。
覚楽への手土産は銀座三越に入っている銀座ウエストのリーフパイ。
銀座土産1位にも輝いた逸品だ。
みんなが部屋に案内された後もヒデオと一緒に宴会場を見せてもらう。
コロナの影響で覚楽は今まで何度も使っていた畳の大きな宴会場を
幾つかに仕切り、テーブルの宴会場になっていて、最大収容人数は20名ほど。
うちの店もそうだが、コロナが明けても大人数の宴会って
もうほとんど無くなっているんだろうな。
最大収容人数20名なので、オカムラのお母さんとオカムラの嫁さんと次女の3人は
別室での食事になる予定だった。
しかし使用する宴会場を見せてもらったところ、詰めれば参加者全員座れそう。
なので、せっかく用意してもらっていたが無理を言って
別室の3人も一緒の大宴会場で食事できるようにしてもらった。
もしメンバーのほとんどが参加し、30名近くの人数になっていた場合、
大宴会場は大人だけにして、子供たちは別の中規模な宴会場で
食事をしてもらう予定だった。
今回、オカムラのご両親が参加だったが父親は都合が悪くなりキャンセル、
母親は何度も試合を見に来てくれているので、メンバーもよく知っている。
なので食事も一緒の方がいいと思い、無理やり席を作ってもらったが
そんなにキツイ感じは全然しなかった。

なんだかんだ到着から30分以上経ってから、ようやく部屋に入ることができ
荷物を置いて浴衣に着替えてすぐに温泉へ。
16年ぶりの覚楽の温泉、懐かしかった。
かなりの宿泊客がいたが、温泉は常にチームメンバー貸切状態。
温泉を出たところに無料の湯上りアイスクリームまであり至れり尽くせり。
そして17時に先ほど見た大宴会場で夕食。
これがまた豪華かつものすごい量。
なんか昔よりメニューの項目が増えているような感じもした。
そして覚楽と言えば鮎、もちろんメニューの中にあった。
16年ぶりの訪問ということもあり覚楽から地酒と焼酎のボトルがサービス。
また、最初に頼んだビールや烏龍茶、ジュースなどの飲物は昔から
チームと覚楽の窓口になってくれていたスタッフからのサービスとなった。
あまり酒飲みのいないメンバーだったので日本酒と焼酎を貰っても
全部、飲み切れるか心配だったが、口当たりのいいお酒だったみたいで
結局、2本とも飲み切ってしまい、サービスされたビールもアッと言う間になくなり
追加するほどみんなで盛り上がることができた。
オカムラのお母さんも積極的にメンバーと話をしていて楽しそうだったので
やっぱり別室にしないで本当に良かった。
最後の三種のデザートまで全部食べ切ったが、ものすごく腹一杯。
昼飯の「山ぼうし」では食欲がなく全部食べることのできなかったチャーミンも
なぜか絶好調になり、ほぼ完食したようだった。
やっぱり気の合う大勢の仲間と一緒だと楽しくて食も進むんだろう。
ちなみに仕事終わりで遅れて18時30分頃に合流したニカミも一気食いして
あっという間にみんなに追いついていた。

宴会後はクーラーの室温17℃、別名「ペンギン館」のノリゾーやチャーミンの部屋で
二次会だが、みんな腹一杯だったので、お菓子やパンなど、それぞれいろいろ
買ってきていたがあまり食べることができず。
イトークンとチャーミンは早々に布団に入ってしまうし。
それでもアチ、リサ、チーの三姉妹から3日前に61歳になった自分に
誕生日ケーキとプレゼントまで…まさかのことだったのでマジでビックリした。
23時くらいに解散になり就寝。
寝る前に温泉に行こうと思っていたが、寝不足のためあまりにも眠くて断念。
朝風呂のため5時40分にスマホのアラームをかけて眠りについた。
ヤマチャンのイビキがFAXの受信音のように「ピーヒョロヒョロヒョロ」
ヒデオと深夜に大笑いしてしまった。

翌朝、アラームが鳴る前5時半頃にヒデオが風呂に行くため起きたので
ヤマチャンと3人で朝風呂へ。
風呂を出てヤマチャンと1階入口外にある喫煙所で庭を眺めながら喫煙してると
ヤマチャンが一言「アラーム消してない…」
自分は起きた時にちゃんとアラームを消したが、ヤマチャンは消さずに
風呂に来たようで部屋ではタツヤが1人で寝ていたはずだが、
きっとアラームで起こされたかも。
かわいそうに。

7時から昨夜と同じ場所でみんな一緒に朝食。
夕食もそうだったが朝食もボリューミー。
さすがにおかわりも半分だけにした。
ニカミは6杯もおかわりしたみたいだ(-o-;)

朝食後、最後にもう1度温泉に入ってチェックアウトの準備。
ほんと楽しい時間はアッと言う間だ。
外は雨が降っていたので最後に室内で集合写真を撮って
16年ぶりにお世話になった覚楽へお別れの挨拶。
大女将さんやタツヤと同い年の跡取りの息子さんまで出てきてくれた。
たった1泊だったが、思い出深い覚楽で、みんな楽しい時間を過ごせたようなので
那須覚楽での慰安旅行は大成功。
16年ぶりに幹事をしてくれたヒデオとがっちり握手をし、
また来年の覚楽訪問を約束して駐車場で解散。

その後はノリゾーやテッチャン、ヤマチャンと一緒に黒磯駅前のパン屋へ。
そしてヒデオに紹介された高林産直会という野菜が安く売っている場所へ行ったが
もう朝一で売れてしまったのか、思っていたほど品が無かったので
西那須野IC手前にある道の駅へ。
ここはかなり混んでいたが、それなりに品があったのでノリ家は
大根をたくさん買っていた。
駐車場で偶然にイトー家と遭遇したのもチームの縁を感じた。
ノリ家とはここで別れ、テッチャン家と佐野ラーメンを食べにいく。
佐野藤岡ICで降りて佐野市街とは逆方向の栃木市方面へ。
佐野にはアウトレットがあるため佐野市街は混んでいると考え、
先ほどの道の駅でみんなが買物中に検索した逆方向の佐野ラーメン屋を目指す。

目的のラーメン屋は大通り沿いで50台くらい停められる駐車場もあった。
そして店内も1階はカウンターと小さなテーブル席しかないが
8人いっぺんに座れる座敷が2階にあったため、すぐに入店することができた。
普通の佐野ラーメン屋は駐車台数も少なく、店も小さいため
8人なんて絶対に一緒に座ることなんてできないが、
偶然検索したこの店はまったく問題なかった。
それらの情報は検索では見ていなかったので自分の引きの強さに感服したね。
しかも創業45年以上で佐野ラーメンという名称が付く前から営業していて
佐野ラーメンの元祖的な店でもあった。
この店で修業した人たちが佐野市でラーメン屋を開業して佐野ラーメンが
ご当地ラーメンとして流行るようになったという。
「ケンミンショー」でも紹介された地元では有名なラーメン屋のようだ。
駐車場には続々と車が入ってきていたし。

2階の座敷で待っていると、予想よりも早く着丼。
佐野ラーメン特有の青竹で打った手打ち縮れ麺。
太さも厚さもバラバラなのが青竹で打った証拠でもある。
そして佐野ラーメンは絶対に「なると」が入っている。
チャーシュー3枚は食べ応えがあった。
麺も大盛りじゃないかと思うほど多かった。
そして、この店の売りでもある揚げ餃子も頼んだので超腹一杯になった。
ちなみにチャーミンはまたまた食欲がなくなり、ほとんど残してしまった。

テッチャン家とはここで別れて帰路へ。
途中、PA全体が鬼平の舞台の江戸屋敷になっている羽生PAに寄ってあとはノンストップ。
首都高に入っても渋滞している場所はなく、順調に走ることができた。
今回の那須までの慰安旅行で走った距離はドライブアプリの数字を見ると
1日目は212キロで2日目が202キロ。
燃費は両日とも約20キロくらいだった。さすがハイブリッド。
そして2日目の帰る途中、買ってからの走行距離が10000キロを超えた。

この慰安旅行、実はあまり体調が良くなかった。
6月も毎日のように多くのインバウンドが来店し、常に満席状態。
なので朝、豊洲市場や築地場外に仕入れに行く回数も増えていた。
そして前日も遅くまで来客があったため、帰宅したのは23時過ぎで
すぐに風呂に入って寝たが、翌朝は5時起き。
本来はチャーミンの車で行くはずが、自分で200キロ以上を運転することになった。
ただでさえ左足のアキレス腱の痛み、左太ももの肉離れの痛みに加え、
疲れと寝不足のために免疫力だの抵抗力が極端に落ちているようで
左瞼やその周辺が痛みも痒みもないが少し赤くなって腫れていた。
発熱とかだるさはないが、身体が完全に疲れ切った状態だった。
だけど納会以来、みんなに会うと、やっぱ疲れや寝不足なんて吹き飛ぶね。
相変わらず左足は不自由だし、左瞼の腫れは引いていないが
本当に楽しい旅行だった。
この1回だけでは寂しいので、必ずまた来年、みんなと訪れたい。
それにしてもハイシーズンでもないのに那須はやっぱり観光地なんだな。
どの店も多くの人が訪れていた。
首都圏から日帰りでも宿泊でも来れる場所だしね。
思っていたより外国人観光客はいなかったけど。
外国人は手前の日光に行くんだろうな。

ちなみに左瞼の腫れや周辺の赤みは今日、皮膚科で診てもらったが
やはり予想通り、疲れや寝不足による免疫力の低下が引き起こした症状で
汗で悪化している状態なので塗り薬と飲み薬を処方してもらった。
人に感染したりするものではないのでご安心を。
いや〜、最近ほんと疲れているのが自分でよく分かる。
いっぺんに10日くらい休んで、何もせずに身体を安静にしていたら
悪い箇所なんてすべて治るような気がするんだけどな…。
あんまり儲けても仕方ないんで、いっそ本当に休んじゃおうか計画中(^^;)


那須覚楽慰安旅行その1

2024年06月25日(火)

先日の土日は昨年で解散したチームの慰安旅行で久しぶりの那須覚楽へ。
チームが誕生した1990年の翌年の1991年、当時旅行会社に勤めていた
ヒデオの入団により1992年から夏合宿が毎年計画、実行された。
記念すべき最初の夏合宿は1992年、那須のペンション「チロル」へ。
1993年は白樺湖ファミリーランド、1994年は棚倉へ行った。
そして1995年から夏合宿を止めた2008年まで実に14年連続で
那須黒磯の覚楽にお世話になり、今回の慰安旅行も夏合宿の聖地・覚楽一択。
2008年の夏以来なので16年ぶりに訪れることになった。

本来ならチャーミンの新車に乗せて行ってもらう予定だったが、
チャーミンがまさかの事態になったため、自分のVOXYで行くことに。
6月22日、6時15分にチャーミンとシズラーが来て曇り空の中、那須に向けて出発。
退院明けのチャーミンはまだ本調子ではないようだった。
木場ICから首都高に乗り、東北自動車道へ入り佐野SAまでノンストップ。
ピーカンな天候になった佐野SAで少し休憩し、次の上河内SAでも休憩。
9時すぎに那須ICで降りて那須街道を覚楽とは逆方向に走り
最初に寄ったのは「チーズガーデン」
ここでチーズケーキソフトクリームを食べる。
次の目的地に向かおうとした時、ミキチャンから「バターのいとこ」に
行くとのLINEが入る。
偶然にも自分たちが行こうとしていたのも「バターのいとこ」
「チーズガーデン」のすぐ近くだったが、駐車場の入り口を間違え
一度スルーしてしまい少し時間がかかって「バターのいとこ」に到着すると、
すでにヒデオやミキチャンが並んでいたのでシズラーと美穂も列に加わる。
横入りじゃなく、ヒデオとタツヤの代わりにシズラーと美穂が並んだ。
女性陣が買っている間、チャーミンとヒデオは納会以来の再会に
興奮して楽しそうだった。この興奮が次の場所で酷い目にあうのだが…。

ヒデオたちと別れて那須街道を北上し「道の駅・友愛の森」へ行くが、
車を降りた途端にチャーミンの具合が悪くなる。
救急車を呼んだ方がいいのか迷うほど具合が悪そうで焦った。
さっき「バターのいとこ」でヒデオと会って興奮して騒いだからか
いきなり目の前が真っ白になったらしい。
しばらくベンチに座って休んでいたら、なぜか急に復活。
やっぱり1週間以上も入院していたので体力も落ちていたが
とりあえず復活してくれてホッとした。

続いて昼飯のため「山ぼうし」へ。
ここは昔、合宿の時に2度ほど訪れたレストランだが、今はうどん屋になっていた。
開店が11時、その7分くらい前に着いたが、店内真っ暗で人の気配もない。
もしかして今日、休みなのか?と不安になっていると、
ここで合流するテッチャン達が到着。
開店1分前になっても店内に動きはなく不安が募り、女性陣は車内で
他の食べる場所をスマホで探していたら11時ちょうどに営業中の看板を持った人が
店から出てきて店内も一気に電気が点り普通に開店となった。
鶏天うどんにミニ豚丼のセット、さらにライスコロッケも注文して食べたが
ん〜、昔のレストラン時代に食べたトンカツ定食の方が美味しかった。
というか、うどんの汁がしょっぱかったな。
あれが北関東のデフォルトなのかな…?
だけど美穂の食べたカレーうどんやエリの食べたサラダうどんは
美味しかったみたい。当たりはずれがあるのかな?

ここでテッチャンたちとは別れ「山ぼうし」の前にある「フィンランドの森」へ。
昔、1度だけ来たことがあるみたいだが、まったく記憶になかった。
いろいろ見て回ったが記憶は甦らなかった。
さらに那須街道を北上してアジアンオールドバザール」へ。
広大な敷地にシズラーの好きそうなアジアングッズや洋服が沢山ある。
インド・ネパール市場、タイ・ベトナム市場、インドネシア市場と
3つの市場があり全部観て回るだけでもかなり時間がかかった。
ちなみにチャーミンは「山ぼうし」でもほとんど食べることができなかったので
体調を考え「フィンランドの森」も「アジアンオールドバザール」も
車から降りず車内待機だった。

「アジアンオールドバザール」から再び「フィンランドの森」に戻る。
13時30分にサンタクロースがやってくるので、せっかくだから会いに行ってみた。
14時にミキチャンの実家に寄る約束をしていたので
早々に「フィンランドの森」を出発。
しかし時間より早く着いてしまったのでミキチャンの実家を素通りし、
覚楽の近くにある昔、よく買い出しに行った「ラ・パーク長崎屋」が
「MEGAドンキホーテ」になっているので寄ってみた。
「ラ・パーク長崎屋」時代、入口を入って正面にあったクレープ屋が
まだ健在だったのは、なんとなく嬉しかった。
ここでノリゾーやアサコとクレープを買って食べた思い出がある。

「MEGAドンキホーテ」で時間つぶししてミキチャンの実家へ。
夏合宿の時、那珂川河畔公園や寺子小学校、くろいそ球場、東原小学校など
毎年グランドを確保してくれたミキチャンのご両親に今までのお礼と
チーム解散の報告のためご挨拶させてもらった。
ちなみに手土産は銀座松屋デパート屋上の養蜂で集めた蜂蜜を使った
銀座の蜂蜜カステラ&銀座の蜂蜜バームクーヘン。
銀座松屋でしか買えない有名な東京土産でもある。
30分弱、ミキチャンのご両親と昔話をしてヒデオたちと覚楽へ。

ミキチャンの実家から覚楽まではヒデオのヴェルファイア先導だが
さすが通い慣れているのか、ナビでは案内されない抜け道を走りながら
アッと言う間に覚楽の駐車場に到着。
すでにノリゾー家、イトー家、オカムラ家、ヤマチャンも着いていてロビーで寛いでいた。

長くなってきたので続く。


梅雨入り

2024年06月21日(金)

近畿、東海、関東甲信と一気に梅雨入りした。
昨年の梅雨入りは6月8日だったので昨年より2週間ほど遅く
関東では観測史上3番目の遅さだとか。
ちなみに一昨年の2022年の梅雨入りは6月5日で、
梅雨明けが史上最速の6月27日だった。
しかし後に7月23日に訂正されるという初の事態も。
さて、今年の梅雨はどれくらいの長さなんだろうか?
明日から慰安旅行だが、とりあえず明日の天気は大丈夫みたい。
梅雨の期間も梅雨明け後の夏もしばらく暑い季節が続く。
健康管理に気をつけて過ごそう。


梅雨

2024年06月20日(木)

東京はまだ梅雨入りしていないどころか連日、暑い日が続いている。
そんな中、昨年より5日早く沖縄が梅雨明けした。
東京は週末にも梅雨入りしそうな気配だが、今年の梅雨は短いようだ。
水不足や野菜の高騰が問題にならないといいが。


61

2024年06月19日(水)

2024年6月19日、珍しく東京はまだ梅雨入りしていないが
本日また1つ歳をとって61歳になった。
ハッピーバースデー俺!
だけどもう、この年齢まで来ると感慨とか何もない。
ただ普通の1日だった。
若い頃は60代なんて、ただのジジイと思っていたが、
その頃と中身は何も変わりない。
単に年齢だけが上がっただけだ。
しかし、ひとつだけ大きな違いがある。
それは身体のリカバリーが異常に遅いということ。
疲れやすいし、疲れも抜けにくい。
ケガしても治りが遅くて自分自身にイライラする。
若いうちは疲れなんて一晩寝れば吹き飛んでいたし、
何かケガしてもアッと言う間に治っていた。
だけど、年齢を重ねるたび確実に心も体もリカバリー力が落ちてきている。
こればかりは仕方ないことなんだけどね…。

とりあえず61歳、老け込むにはまだまだ早い。
気持ちだけは20代を保ちつつ、健康には充分に気をつけて
これからも毎日を笑顔で楽しんで座右の銘「一生青春」を謳歌したい。
それにしても今年の梅雨入りは遅いなぁ。
例年なら必ず誕生日は梅雨真っ最中なんだけど。
よりによって週末、慰安旅行の日に梅雨入りしそう…。


楽天優勝

2024年06月17日(月)

昨日で終わったセ・パ交流戦。
優勝決定は最終戦までもつれたが、ペナントレースではBクラスの
楽天ゴールデンイーグルスが、なんと交流戦初優勝を果たしてビックリ。
ちなみに交流戦の優勝を経験した球団は、これで8球団目となった。

楽天イーグルスが新規参入した2005年から導入されたセ・パ交流戦。
コロナ禍で中止の年もあったが、いまや完全に定着している。
交流戦の結果がペナントの行方を左右することも多くなっている。
そんな中、優勝には縁のないくらいに交流戦の通算成績もパリーグの中では
良くなかった楽天がようやく念願の初優勝。
これでパリーグで交流戦優勝経験がない球団は、まさかの西武ライオンズのみ。
ちなみに、そのライオンズはペナントも最下位だし、交流戦も最下位。
いったい常勝レオ軍団と呼ばれたライオンズ、どうしちゃったのかね。
楽天と西武、まさに明暗が分かれた交流戦だった。
それにしても今年もソフトバンク、強すぎだろ。


免許更新

2024年06月16日(日)

ゴールド免許のため5年振りに免許の更新に行ってきた。
家の近くに江東試験場があるため歩いて免許更新に行けるのは楽だ。
とは言っても、今は左足を引きずりながらの歩みのため
通常より時間がかかってしまったが。
今年の2月から更新は予約制になっていたので、早々に今日の11時を予約。
いつもなら10分も歩かないで着く場所だが、まともに歩けないので
30分前に家を出たが、思っていたよりも早く着いてしまった。
予約した11時まで15分くらいあったが、普通に受付をしてくれた。

一番緊張したのは視力検査。
さすがに基準の両眼で0.7は自信がなかったのでメガネを持参。
いつも車に乗る時、晴れた日の日中は裸眼で運転しているが、
雨の日や夜、あと豊洲市場に行く時の明け方はメガネをかけて運転している。
2年ほど前にメガネを新しくした時、近視はないが乱視がヒドイと言われた。
昔から乱視オンリーのため、モノが二重に見えることが多い。
幸いにも、この年齢になっても老眼は出ていないが、
はたして今回の視力検査がクリアできるか自信はなかった。

ところが裸眼で検査をクリアできた。
途中、怪しいところもあり、当てずっぽうというか勘で「右」と言ったら
「違いますよ」と言われ焦ったが、マスクをしていたので検査官に
「マスクで曇っちゃったのでマスク外してもう1回いいですか?」と
お願いし、再度同じ個所を聞かれたが、なぜか次はよく見え「上」と
自信をもって答えたらクリアとなった。
実際にマスクをしていたので覗くところのガラスが曇ったのは事実。

実は5年前もその前も自分の誕生日周辺は季節的に梅雨のために
更新に行く日は雨が降っていたため視力に自信がなかったので
密かにコンタクトレンズを装着し、裸眼と偽って視力検査を受けクリアしていた。
今日も朝、コンタクトを装着して行こうとも思ったが、コンタクトの消費期限が
2012年2月と10年以上も前に切れていたので、ヤバそうな感じになっていた。
これを目に入れるのには相当の勇気が必要だったので
残っていたコンタクトレンズを全て捨て、今回はズルなし、正真正銘の裸眼で
挑んだが、なんとかクリアすることができた。
天候も雨ではなく晴だったのも幸いしたのかもしれない。

あと数日で61歳になるが、まだこの年齢でズルすることなく
裸眼でクリアできたことは、ここ最近で一番うれしいことでもある。
とりあえずあと5年は裸眼運転OKということだ。
もちろん雨の日や夜はメガネをかけて運転するけどね。


野球をやめて変わったこと

2024年06月12日(水)

昨年、34年間も続いていたチームが解散。
野球のないシーズンが始まり3ヶ月近くになった。
例年なら今頃はリーグ戦の前半が終わる頃である。
日曜日に野球をすることがなくなり、自分の中で変わったことがいくつかある。

・曜日が分からない
毎年2月にはリーグ戦の全日程が決まるので先の月でも、
日曜が何日とかは頭に入っていた。
また練習試合も江東区や中央区に登録し、2ヶ月前にはグランド抽選に
申し込んでいたので大袈裟に言えば、毎月だけでなく、
その年の日曜は常に頭に入った状態だった。
なので、数か月先の日曜日が何日とかはすぐに分かっていたが、
野球をやらなくなったら当月の日曜が何日かも分からなくなった。
例えば今月19日に自分の誕生日があるが、今までなら一番近い日曜が
何日だから誕生日は何曜日とか、すぐに分かっていたのに、今は全く分からない。
今月の日曜が何日なのかすら、すぐに出てこなくなった。

・天気予報を気にしなくなった
河川敷グランド使用が多く、草野球最大の敵は雨だったので、
常に天気予報は気にしていた。
週間天気予報はもちろん、長年の経験で簡単な天気図まで
読めるようになっていたし、試合日の気温とかも気にしたりしていた。
しかし、野球をやめてからは明日の天気すら一切、気にしないようになった。
今季の日曜は比較的に天候の良い日が続いていたので、
順調に春のリーグ戦は消化できたんだろうな。

・ケガの治りが悪い
この数年はアキレス腱炎の痛みがあり、満足な状態ではなかったが、
不思議と試合の日はアドレナリンも出ているせいか、
それほど痛みを感じず試合に臨めた。
また、試合で痛めて激しく痛い時があっても2週間後に試合が
控えていたりすると、なんとかそれまでに状態を良くしておかなくちゃ…と
脳が細胞に命令をするのか、不思議と2週間後には試合に出れるくらいの
痛みまで回復していた。
しかし野球がなくなった今年は回復の状態がものすごく悪い。
昨年11月19日のラストゲームの際に痛めた左アキレス腱、
いまだに痛みが取れないどころか悪化している気がする。
もう半年以上も足を引きずりながら歩いている状態だ。
今季もシーズンが続いていたなら、きっと開幕までに回復するように
脳が細胞に命令を出していたのかもしれないが、今年は試合がないので
緊張感も抜け、アドレナリンが出ることもなくなったので
全然、ケガの回復ができないようだ。
とりあえず気持ち的には6月22日の慰安旅行まで少しは回復しているように
願っているのだが、なかなか難しいかもね。
ただ、このまま老いていくのだけは避けたいと強く思っている。

・車の燃費が悪くなった
月に1回から2回は三郷まで首都高を使って往復していたが、
それもなくなり、先日は大洗に行ったが、それまでは遠出らしい遠出もなかった。
車通勤のため平日は毎日、銀座への往復11キロを走り、
土日は近所に買い物に行くくらい。
なので車の燃費が確実に悪くなった。
とりあえずハイブリッドカーの恩恵により、以前のガソリン車に比べれば
全然いい方だが、月に1〜2回、多い時は3回の三郷への往復が
なくなったことは燃費云々より少し寂しい気持ちも感じている。
大洗に行く時に久々に三郷への道を通ったが、懐かしさも感じてしまった。
まぁ、30年以上も通っていた場所だからね。


34年間も続けていた野球をやらなくなり、日曜日の過ごし方に困ると思ったが、
左アキレス腱炎&左ふくらはぎ肉離れの影響で逆に野球が無くて良かった…と
思える日が続いている。
もし試合があったとしても、こんな状態じゃ残念だけど
まともに出場できるような状態ではない。
打席でバットを振る時に左足で踏み込むことができないし、
なにより走ることは全くできない。小走りすら無理だ。
テッチャンやチャーミンのこともあるし、なにより自分が参加できなければ
チームにもリーグにも力が入らないだろうから昨年いっぱいで解散したことは
タイミング的にはベストだったのかもしれない…と最近つくづく感じている。


久々の大洗遠征

2024年06月11日(火)

昨年末から今年に入ってインバウンド景気の大波に乗ってしまったため、
連日満席状態が続き、毎月コロナ前以上の売り上げを記録していたが、
あまりにも忙しくて常に身体が悲鳴をあげている状況。
なので昨日の月曜日は急遽、臨時休業で土日合わせて3連休とした。
まぁ、6月に祝日はないし、あまり儲けても国に払う税金が増えるだけだし
とりあえず人並みな生活さえできればいいと思っている欲のない人間なので
仕事や儲けより休みを優先した。

というわけで昨日は久しぶりに常磐自動車道を通って大洗まで行ってきた。
思えば先代のハイブリッドVOXYの時も、その前の80系VOXYの時も、
さらにその前の70系VOXYの時も慣らしというか初遠出は大洗だった。
今、乗っている90系HYBRID VOXYの初遠出は掛川花鳥園だったので
このVOXYでは初の大洗遠征となった。
いつも大洗は那珂湊漁港の市場で寿司を食べに行くのがメインだったが、
今回は何年ぶりだろうか?70系VOXYの慣らし以来だから2008年2月以来となる
アクアワールド大洗水族館にも行ってきた。

水族館のオープンは9時だが、平日なのでオープンに合わせることなく
8時15分くらいに家を出発し、久々に木場から首都高に乗り、
通い慣れた三郷を通り越して常磐自動車道から友部JCTで北関東自動車道へ入り
水戸大洗ICを降りてアクアワールド大洗水族館に到着したのは10時少し過ぎた頃。
15年以上ぶりのアクアワールド大洗水族館だったが、当時とはかなり変わっていた。
2011年3月11日、東日本大震災で、ここ大洗も津波被害に遭ったため
かなりリニューアルされていたが、より見やすく、よりキレイになっていた。
そして以前に来た時も感じたが、この水族館のショーはクオリティが高い。
決して大きなショーではないし、アシカ1頭とイルカ3頭の
こじんまりしたショーだが、演目は新江の島水族館にも劣らないほど素晴らしかった。
特にイルカとアシカがコラボレーションする演目は日本でもここだけだ。
あとはこの水族館最大の目玉でもある日本一のサメの飼育数。
様々なサメを間近で見ることができ、やはり満足度の高い水族館だった。

結局、アクアワールドには3時間くらいいたかな。
その後は那珂湊おさかな市場に行き、いつも寄る市場すしで遅めの昼食。
平日だったが少し入店まで待ったが、10分もしないで名前を呼ばれた。
ギリギリ14時前に入れたのも良かった。14時で入場が終わり15時閉店。
まぁ、市場なんだからそんなもんだろう。
市場すしの寿司、さすがに以前に比べると値上げはしていたが、
ネタの大きさは相変わらず。値段も上がったとはいえ漁港ならではの値段なので、
豊洲や築地で食べるより全然安いし、満足感はあった。

食べ終わった後は片づけの始まった市場を少しだけ散策。
4000円以上の鮪の柵が1000円まで値下げしていたりしてお買い得だったが、
さすがに2人では量が多いので魅力的ながら買うことはなかったけど。
市場を後にし、いつも大洗に来たら寄る干し芋の直売所へ。
さらに昔はアウトレットだったが3.11の津波被害で店舗の撤退が相次ぎ、
廃墟的な大洗シーサイドステーションも気になったので行ってみた。
2020年11月に訪れた時いらいだったが、相変わらず大洗シーサイドステーションは
空き店舗だらけの廃墟のようだった。
特に平日だったので営業していない店もあり廃墟感満載だった。
2階には大洗の町おこしの一役を担ったアニメ「ガールズパンツァー」の
専門店が入って営業していたが、もう少し、このガールズパンツァーを前面に出したり
せっかくの海沿いにあるんだから海産物の店を揃えたりして
観光客やインバウンドを取り込めば盛り上がると思うのに…。
駐車場もそれなりにあるし、近くには観光バスも停まる観光地にもなっている
「かねふく・めんたいパーク」や大洗マリンタワーもあるんだから
有能なプロデューサーがいれば一気に人気スポットになると思うんだけどな…。
なんかもったいない感じだ。
今の経営母体は町営のようだが、あまり力を入れていないのが見え見えだね。
そんなことを思いつつ帰路へ。
帰りは守谷SAに寄り、フードコート内にあった焼肉ライクに入って夕食をすまし
途中、買い物をしてから19時台には帰宅。
平日なので行きも帰りも渋滞もなくスイスイだった。
水族館にしても那珂湊市場にしても混雑はなく平日ならではだった。
たまにはあえて平日を休みにして遠出も楽しいかもね。
もう、そんなに頑張って働かなくてもいいし。
ただ、この日はなんだかんだで8800歩以上も歩いたため
左足のアキレス腱だけでなく右足も痛くなってしまった。
さらに今日、午後になってからは左足の浮腫んだ箇所が異常に痛み出した。
久々の大洗遠征に浮かれてマジでちょっと歩きすぎたな…。


再び完全安静日

2024年06月08日(土)

先週の土曜に続いて今日の土曜日も完全安静日。
相変わらず痛みと浮腫みのある左足のため家から1歩も出ずに
ゆっくりと過ごしたので歩行数は僅か450歩。
とりあえず安静にすることはできたが、気になるのは早朝に右足が攣って起こされた。
昨年11月から痛い左足を庇って歩いているためか、右足のアキレス腱にも
イヤな痛みを感じることが増えてきた。
今までもベッドで足が攣ってしまうのは常に右足だった。
相当に負荷がかかっているのかもしれないので気をつけないと。
左足に続いて右足まで痛めたら、どうすることもできないぞ。


円安…滅びゆく国

2024年06月06日(木)

日本のGDPは2025年にインドに抜かれて世界5位になるという。
今年ドイツに抜かれて4位なったばかりなのにね。
まぁ、GDPって「国民総生産」だし、インドの人口は世界一の14億人だし。
ん、だけどドイツは8400万人で日本より少ないぞ…。

インドは数学やIT関連で優れた人材が豊富で若い人も多いから、
社会矛盾を克服して本気になったら、どんどん成長していくだろう。
アメリカ&EUと中国&ロシア、どちらの陣営にも属さない所も強みかもしれない。
まぁ、インドについては改めて考えてみたいが今回は「円安」の話。
日本がGDPで4位で来年インドに抜かれる背景には円安がある。
なぜならGDPはドル建てで換算されているから。
だから円高に戻ればGDPの順位は上がると考えられるが、果たしてそうなのか?
そもそも世界に誇れる日本の製品って何だろう?
最初に思い浮かぶのは自動車だ。
その他は?
安倍政権の時に原発や新幹線(リニア)を売り込もうとしたが、いずれも失敗。
半導体は90年代にはトップを走っていたが、今や台湾に工場を作ってもらう始末。
コミック・アニメは海外で人気だが市場規模は小さい。
政府はまた「クールジャパン」をしようとしているようだが、
世界の流れが分かっていないので、おそらく失敗するだろう。
そして現在、政府が力を入れているのは武器・部品輸出…。
インターネットの世界はgoogle、apple、amazonに牛耳られている。
一方、中国は独自のプラットフォーム構築に躍起だ。
よく言われていることだが、円安で大企業や輸出企業を甘やかした結果、
企業努力や先行投資を怠り、新しいイノベーションが
生まれなかったというのは事実だろうね。

観光業は「円安」の結果でかなり潤っている。
なにしろ外国人にとって、日本はすべてが安いからね。
銀座、新宿、渋谷などの街に出れば外国人観光客がいっぱい。
テレビを見れば「外国人が感動した日本食・日本文化」みたいな特集をやり
我々は「日本ってスゴイ!」と溜飲を下げるわけだが、客観的に見れば
日本人が海外旅行に行けなくなったってことだ。
円が1ドル80円だった頃は80円で1ドル紙幣と交換できたが、
今は1ドル150円以上。ほぼ2倍のお金を払わないと1ドル紙幣と交換できない。
おまけに海外では物価が日本よりはるかに高いから負担はさらに大きくなる。
かつては世界の街を歩けば必ず日本人がいたという時代があったのに…。

というわけで、現状の円安はマイナスでしかないと思う。
書き忘れたが、アメリカ産の豚肉が国産豚肉より高くなっているのだからね。
つまり「円安」は物価高騰の原因となっているのだ。
原油も高く買わなければならないし、外国人労働者も日本の給料は安いので
わざわざ日本で働こうなんて思わなくなっている。
給料を円で貰っても仕送りする自国の通貨に替えたら少ないし。

では、日本は「円高」に戻せるのか?
先日、日銀はマイナス金利をやめて金利を上げたが
円高どころかさらに円安になった。
現在、日本は過去の遺産を食いつぶして何とか先進国の体裁を保っている。
過去の遺産とは
・個人資産    2141兆円
・国・企業資産  9704兆円
・対外資産    418兆円
・外貨準備高   189.7兆円
しかし、これを外国資本や海外投資家が狙っている。
統一教会もこの流れに入るのかも。

今こそ、この遺産を使って逆転しなければならないのだが、
政府はアメリカ追随、大企業は円安で甘え、政治家は中抜きそして裏金。
自分は「個人主義者」で「愛国者」ではないと思っているのだが、
こんな自分でも、この国の行く末を憂いてしまう。
今の子供や若い人達は本当に可哀想というか不憫だ。
生まれた時から不景気で未来も真っ暗闇でオイシイことなんて何もない。
先日、発表された出生率の激減も頷ける。
このまま少子高齢化は当然というか必然なんだろうね。
明るい未来なんて全く見えず今のままでは完全に滅びゆく国なんだから、日本は。


日本人のみ

2024年06月05日(水)

今日は珍しく日本人客だけで18時30分には満席状態になった。
外国人客が1組も来店しないのは2月以来かな。
もう毎日、観光客らしき外国人が来店していたからな。
日本人客だと必然的に客単価が上がる。
しかし、注文も様々なので忙しくなる。
外国人客だと、お好み焼きを中心に焼きそばやもんじゃがデフォルトだが
日本人客はまず鉄板焼きの注文が数種類なので厨房はけっこう大変。
その後にもんじゃが出たり、お好み焼きが出たり、再び鉄板焼きに戻ったり。
外国人客のデフォルト的な注文に慣れていたので慌ただしくなる。
それにしても最近というか今年に入ってから来店時間が早い。
開店直後の17時台には必ず何組か来店し、18時台がピーク。
日本人だろうが外国人だろうが18時台に一気に満席になるほど来店する。
外国人客は銀座でショッピングの後、ホテルに戻る前に夕食で訪れる。
日本人客は働き方改革が実っているのか、残業が減っているんだろうね、
仕事終わりが提示になっているのか、19時台の来店はほとんどなくなった。
また19時台の予約もかなり減った。
なので22時閉店だったが今は閉店時間を21時30分にしている。
これもコロナの名残なのか、それともそんな時代になったのかね。
今週あと2日、忙しい日々は続くがガンバロウ。


雨の月曜

2024年06月03日(月)

雨の月曜日、しかも月初ともなると例年はヒマだったが、
外国人観光客には雨も月曜も月初も関係なし。
開店前から店の前で待っていた中国系家族。
続いて韓国人カップルと1名で来店した欧米系など次々に来店。
なんだかんだで今日は18時過ぎには満席となってしまった。
どうも月曜日は外国人率が高い。
先週もそうだったが、今日も外国人客ばかりだった。
ただ、少しは日本語を話せる外国人が多いので助かったけど。

6月に入っても忙しい日々は続きそうだな。
左足の具合は相変わらずむくみが取れず全然、良くならないが
今月は覚楽への慰安旅行もあるし頑張るしかないね。
その前に免許の更新もあるぞ。


完全安静日

2024年06月01日(土)

6月突入し今日は天気も良かったが、左足アキレス腱炎および
左足ふくらはぎの肉離れのため、家から一歩も出ずに完全安静日にした。
ほとんど歩かずに安静にしていたので少しは良くなったと思いたい。
腕につけているFit bitによる歩数は僅か355歩、家の中でしか歩かなかったので
まぁ、そんなもんだうね。
しかし、まだ左の足首周辺は浮腫んでいるし、左アキレス腱は痛みがある。
明日は11時30分から整形外科で診察だ。

 < 過去  INDEX  未来 >


Web Master