Web Masterの日記



うるう年

2020年02月29日(土)

今年は「うるう年」のため今日は4年に1度の2月29日。
この4年に1度と言われている「うるう年」だが、実は毎回そうとは限らないらしい。
ちゃんとした計算方法があるようで、その計算方法だと2096年までは4年に1度だが、
その4年後の2100年は「うるう年」にはならないそうだ。
まぁ、あと76年後までは4年に1度は訪れるので、どうでもいいんだけど。

もともと「閏(うるう)」という言葉には「平年よりも日数や月数が多い」という意味があり、
「閏年(うるう年)」とは「閏(うるおい)のある年」という意味になる。
新型コロナウイルスで世界がガタガタになっているが、
本当にうるおいのある年になるのだろうか…。


2020釧路・羅臼・流氷リベンジ旅行記その2

2020年02月28日(金)

昨日、安倍首相自らが発表した小中高校の休校要請に対して世間から反発が出ている。
何の根回しもなく突然、休校しろと言っているようなものだ。
週明けの3月2日からということは今日がラストディってことか。
あまりにも急で現場は大混乱だろうな。
期末試験も終わっていない学校もあるというし、クラブ活動なんかはどうするんだ?
スポーツの強豪校なんかは部員が寮生活しているはず。
春の甲子園に出場が決まっているチームは練習とかどうするんだろうか。
また、保育所はそのまま開いているが、保育所とか医療機関で働いている人で
小さい子供のいる人や共働きの人は3月からどうしたらいいのだろうか。
臨時休校自体は仕方ないことだが、現場が混乱しないように
やるならもっと早く発表しなくてはならなかった。
今回はほんと場当たり的なパフォーマンスと言われてもおかしくない。
本当に今回の新型コロナウイルスへの対応は全てにおいて
安倍政権の崩壊の始まりになりそうだ。

というわけで昨日の続き。
2日目はいよいよ流氷クルーズだ。

●2月23日
朝5時台に起床し朝風呂へ。
露天風呂から外を見ると雪は止んでいた。
6時45分からバイキングの朝食。
昼食は11時と少し早いので量は少なめに選んで食べた。
7時30分にはバスが出発。
2日目は長時間のバス移動ばかり。
まず目指すは川湯温泉から70キロほど離れた場所にある野付半島。
野付半島は北海道の東にある知床半島と根室半島の真ん中にある
小さな尻尾のような細長い半島で、28kmにわたる砂嘴であり、
砂嘴の規模としては日本最大だ。
ちなみに砂嘴(さし)とは沿岸流により運ばれた漂砂が静水域で堆積して
形成される嘴 (くちばし) 形の地形のことである。
日本には野付半島の他に三保の松原、千葉の富津などが有名。
また砂嘴が発達して対岸、またはその付近までに至ると砂州と呼ばれ
有名なのは京都の天橋立やサロマ湖などがある。

野付半島に入るとバスの左側はオホーツク海で北方領土・国後島がはっきり見える。
この野付半島から国後島まで16キロしかないらしい。
車で行けば15分ほどで着いてしまう近い位置にある島だが遠い遠い島でもある。
そしてバスの右側は野付湾だが湾曲した砂嘴である野付半島に囲まれているため、
湾口の幅約3キロに対し、湾内の最大幅は約6キロに達する。
しかし湾内の水深は最深部でも約4メートルと極浅のため冬は全て結氷してしまう。
2日目最初の目的は結氷した野付湾に出て、水平線ならぬ氷平線を見ること。
今年は暖冬のため結氷しているといっても例年より氷が薄いらしいが
普通に歩いてもジャンプしても全然大丈夫だった。
ちなみに天気は晴れて雪や氷に反射して眩しいくらいの太陽だったが風は強くて冷たい。
一面真っ白な世界なので遠近法を利用したトリック写真も簡単に撮れたが
とにかく風が強くて寒いので早めにネイチャーセンターへ避難した。

野付半島には道が1本しか通っていない。
来た道を戻り今度は右手に国後島を見ながら野付半島付け根の町でもある標津で昼食。
オプションで頼んでおいた鮭といくらと漬帆立の丼ぶり。
鰹節ならぬ鮭節ものっていてかなり豪華&ボリュームがあった。
築地や豊洲で同じような丼ぶりを食べたら3000円以上はするが
さすが地元でもあるので築地や豊洲の1/3程度の値段だった。

11時50分にバスはこの旅最大の目的でもある羅臼港へ。
チャーターしてあるクルーズ船の出航は13時。
約1時間ほどのドライブだが食べたら眠くなる。
バスの揺れが心地よくてすぐに爆睡してしまった。
起きたら知床半島を北上し羅臼だった。
途中、エゾシカがいたりしたらしいが寝ていたので見れなかった。
羅臼の天候は曇空。午後からはかなり荒れるとの予報も出ていた。
暴風波浪警報も出ていたので船が出るか不安もあったが
13時に無事出航。クルーズ船に乗り込む直前から天気は雪に変わった。

野付半島の海にも羅臼港にも流氷は僅かしかなかった。
左に知床半島、右に国後島を見ながら船は北上。
船が10分ほど進むと遥か先に真っ白の流氷帯が見えた。
ここ数日の南風で岸に近づいていた流氷がほとんど沖に戻っていた。
あんな先まで船が行ってくれるのか気になったが、船は止まることなく流氷帯へ向かう。
羅臼港出航から20分ほどで流氷帯に到着。
そこは海の上なのに真っ白な世界だった。
昨年、まったく見ることのできなかった流氷が目の前に広がっていた。
この船は昨年に乗ったような砕氷船ではないので流氷帯の奥までは進めない。
流氷帯の一番先に停泊したが、それでも昨年のことを考えれば十分だった。
そして、流氷の上を見ると天然記念物のオオワシやオジロワシが沢山いる。
すかさず望遠一眼レフで撮影タイム。
やっぱりワシってカッコいい。タカとは違う威厳のある姿だ。
大きな羽を広げて飛んでいる姿はさらにカッコいいね。
ワシとかタカとかフクロウとか猛禽類を見るのは大好きだ。
動物園じゃ自由に飛べないが、ここでは氷の上を自由に飛び回っていた。
流氷だけでなくオオワシやオジロワシまで間近で見られただけでも大満足。
今回、羅臼にして本当に良かった。
不思議と停泊中の海上は雪が止んでいたが、Uターンすると雪が再び降り出し
海もかなり荒れてきた。天気予報はやっぱり当たったようだ。

羅臼港に戻ると吹雪のような状態。
この後の船はすべて欠航になってしまったようなので本当にラッキーだった。
しかも自分たちの乗った船は流氷帯に行くため、
日本とロシアの国境付近まで行ってくれたそうだ。
もし流氷帯がロシア側にしかなかったら、そこまで行くことはできなかったという。
てか、北方領土があるので日本とロシアの境界線ってすぐ近くなんだな。
船で30分も行けばロシアに入り拿捕されてしまうらしい。

ここから3度のトイレ休憩を挟んで釧路空港へ。
3度もトイレ休憩があるなんて本当に北海道は広い。
羅臼港から1時間以上走った頃に目覚めても、まだ知床半島を抜けた辺りだった。
ちなみに知床半島の付け根付近にある野付半島は別海町という地名だが
その別海町の大きさは東京23区より大きい。
別海町を抜けて南下しなければ釧路空港へは行けない。
中標津空港なら近かったのだが、中標津空港も女満別空港も天候不良により
空港閉鎖状態になっていた。とにかく風が強くて、積もった雪が風に煽られ
真っ白になった。これがホワイトアウトって現象なんだろう。
釧路空港も心配になったが、中標津空港と釧路空港は100キロ以上も離れている。
釧路はまったく天候の心配はなかった。
途中、エゾシカが道路の両側に群れでいた。
昼は寝ていて見ることができなかったが、こんなに沢山いるんだってくらい見れた。

釧路に近づくと雪は止み太陽が顔を出す。
そして信じられないくらいキレイな夕焼けを見ることができた。
知らなかったが釧路は世界三大夕日に選ばれている場所らしい。
インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラ、そして日本の釧路だとか。
それも1965年に世界三大夕日として制定されているというから、もう60年近く前。
なのに釧路って、今までそれを前面に出すこともなかったから不思議だ。
てか、今も世界三大夕日の場所と積極的にアピールしていない。
1965年当時の釧路は戦後の復興を果たし、海外からの船も寄港するようになった。
その時に釧路の夕日は美しいと船乗り達の間で話題になったのが制定のきっかけだとか。

今回の旅は目まぐるしい天候の変化ばかりだった。
今の北海道には珍しい雨もあったし、ホワイトアウトする猛吹雪も。
そしてラストは世界三大夕日も納得のキレイな夕焼けを見れた。
2日間でここまで天候が変わるのも珍しい。
ラストのトイレ休憩&土産物屋は釧路フィッシャーマンズワーフ。
今回の旅は誰にも言っていないので土産を買うこともあまりなかった。
様々な土産物の中にひっそりと「夕日」という菓子が売っていた。
しかし、どこにも世界三大夕日の文字はなかった。

釧路空港に着いたのが19時少し前。
羅臼を出たのが15時頃なので4時間近くかかったが
羅臼から釧路って200キロ以上も離れているので納得。
いや〜、本当に北海道って大きいね。
すぐに3階にあるレストランで夕食。
やっぱ北海道の締めは今回も豚丼だ。
手荷物検査は相変わらず上着も靴も脱いでの検査だ。
そして20時15分、定刻より10分遅れで離陸。
22時前には羽田に無事に到着した。
駆け足1泊2日の流氷リベンジ旅行だったが、メチャクチャ満足な旅だった。
タンチョウ鶴も流氷もオオワシもオジロワシも見ることができたし
温泉も食事も良かった。
まぁ、バスに長時間乗っているのはツラいが自分で運転して行こうと思う距離じゃない。
しかも今回の旅は道東の一部だけなんだから、誰が言ったのか知らないが
まさしく「北海道はでっかいどー」なんだと感じたね。

前日、約1時間待ってANA側のP3に停めた車だが帰りの飛行機はJALだったので
第一ターミナルから地下通路を渡って第二ターミナルへ移動。
羽田から我が家は一般道を使っても30分もかからないので日付が変わる前に帰宅。
3連休のため翌日も休みなので気分も楽だった。
3連休と言っても北海道の釧路や羅臼あたりじゃ観光客も少なかったな。
まず中国人がいないのもあるが、新型コロナの感染者が日本では
北海道が一番多いのも影響しているのかな?
札幌や旭川あたりはもう少し観光客がいたのかもしれないが…。
そういえば北海道も沖縄と同じく杉の木が1本もないので花粉症に悩まされないらしい。
だけど北海道ならではの白樺でアレルギーが出る人もいるとか。

さて実は6月にも羅臼には行く予定となっている。
今度はシャチやクジラと会うために再びクルーズ船に乗る。
あと船上から野生のヒグマを見たりするツアーに参加している。
知床半島の冬の顔と夏の顔は全然違うので楽しみだ。
とりあえず北海道はでっかいどーだった。


2020釧路・羅臼・流氷リベンジ旅行記その1

2020年02月27日(木)

新型コロナウイルス感染拡大防止に腐心する安倍首相が、
全国の小中高校などに休校要請をするという前例のない方針を唐突に発表した。
これまでの対応が後手後手と批判され、国会では首相自身の指導力や
発信力が見えないと野党に指摘された経緯もあってか、
自ら電撃的に発表したが、週明けの来月2日から実施となると
準備期間はないに等しく、教育現場も子供のいる家庭も大混乱だろうな。
昨日は様々なスポーツイベントやコンサートなどが
中止や延期、無観客試合の決定などが発表された。
まだ決定していない大相撲春場所や春の甲子園なんかもどうなることか…。
だけど学校の休校や人が集まるイベントが中止になっても、
毎朝の満員電車に乗っていたら、あまり意味もないような気もする。
まぁ、とにかく政府の動きは全てが遅すぎるね。
初動が間違っていたから、もうどうにもならない状態だろう。
早く暖かくなりウイルスの活動が弱まるのを待つしかないのかもしれない。
日本にはジメジメとした梅雨もあるのでゴールデンウィークくらいまでには
なんとか終息してくれると個人的には思っているのだが。
いずれにしても日本経済、いや世界経済は相当な落ち込みをするだろう。
ほんと困ったものだ。

新型コロナウイルス関係だけで日記が終わりそうだが、ここからが本題。
先日の土日で今年も北海道に行ってきた。
昨年は網走や北見、紋別など道東に行き、人生初の流氷を見るつもりが、
記録的な温かさにより、すでに流氷がいなくなっていた。
本来なら流氷を砕氷しながら進む船にも乗ったが
何もない海の上を進むただの遊覧船となってしまった。
ということで日本で一番、新型コロナ感染者の多い北海道へ
流氷リベンジのために行ってきた。
昨年は3月だったので今年は日程を2月に替え、
場所も知床半島の羅臼にしてみた。

ところが2月初旬に昨年行った網走や紋別に流氷がやってきて
2月中旬には海一面流氷に囲まれていた。
一方の羅臼や根室は2月に入っても流氷は来ない。
暖冬ということもあり記録的な遅さで2月11日に初観測。
しかし南風が吹くと沖へ戻ってしまうという不安定な状態だった。
はたして流氷はあるのか?期待と不安を胸にいざ北海道へ。

今回のツアーは通常より遅い11時25分に出発する飛行機。
なので集合時間も10時35分と遅かったので、ゆっくりと家を出た。
しかし9時15分頃に羽田空港に着くと各駐車場がすべて満車状態。
自分が停めようとしていたANA側のP4は信じられないくらい長い列になっていた。
この日はただの土日ではなかった。
月曜が天皇誕生日のため祝日になり3連休だった。
さらに、いつもより遅い出発だったので見たことないような駐車場渋滞となっていた。
P4を諦め、その先のP3の列に加わったが、90分待ちの表示。
すぐに計算、90分後に駐車できればツアーの集合時間には間に合わないが
飛行機にはなんとか間に合う。
ツアーの集合には先に美穂だけ行ってもらえばいい…と考えたりした。
他の駐車場を探そうにも、すぐに自分の車の後ろにも長い列ができ
もう列から抜けることも無理な状態だった。
JAL側のP1やP2も同じようにな状態だし、おとなしく列に並ぶしかなかった。
結局、約1時間後の10時20分くらいには無事に駐車できた。
なので10時35分の集合にも間に合った。
今回の飛行機の出発カウンターはサテライトと言って、通常のターミナルから
バスに乗って滑走路の近くにある小さなターミナルから搭乗。
なので手荷物検査カウンターから結構な距離を歩いて階段で1階に降り
そこから空港バスに乗ってサテライトターミナルへ。
初めて行ったサテライトターミナルは飛行機の乗り場が2つしかないので
アナウンスもほとんど入らず静かな所だった。
一応、売店もあったので弁当を買って搭乗までの時間で食す。
思ったより早く駐車できたから良かったが、ギリギリだったらほんとヤバかったかも。
車で行くなら遅い出発でも早めに空港に行くように今後は気をつけないと。

11時25分、定刻通りに離陸。
エアバスの小さな飛行機は約1時間半で釧路空港に着陸。
北海道釧路地方の天候は曇りで気温は3℃ほど。
この時期にしては全然暖かい。やはり暖冬だ。
ツアー参加者29名、子供は1人もいない。そして一人旅の人が多かった。
参加者全員だけではなく添乗員もバスガイドもドライバーも
みんなマスクを装着していたのは新型コロナウイルスの影響がある今ならではだ。
北海道は杉の木がないので杉花粉に悩まされることはないが、
密閉されるバス車内での新型コロナウイルス対策でマスクは絶対だ。
今回、すごい望遠レンズを付けたカメラを持っている人が多かった。
流氷の上にいる天然記念物であるオオワシやオジロワシを撮るためだ。
自分も今回はいつものコンパクトカメラの他に望遠一眼レフも持参。
望遠一眼レフを使うのは西武ドーム以来だったかな。
すべては流氷がなければ無駄になってしまうが…。

空港からすぐにバスに乗り込み最初に向かうのは釧路湿原にある北斗展望台。
ここは釧路湿原を見渡せる場所だが、例年より雪がないし
売店もトイレも何もない所なので、まったく面白味のない場所だった。
しかし、その後に向かった鶴居村の鶴見台はタンチョウ鶴の飛来地であり
多くの野生のタンチョウ鶴を見ることができた。
実は野生のタンチョウ鶴を見るのは初めてではない。
2歳か3歳の頃、母の地元である北海道で
タンチョウ鶴を見た記憶が微かに残っている。
3歳差の妹はいなかったので自分が2歳か3歳の時だと思う。
その頃、まだ祖母が北海道の釧路あたりに住んでいたので
祖母の家に行ったのだと思うが、他の記憶は全くない。
ただ外でタンチョウ鶴を見たという記憶は不思議にも残っている。
今、北海道には3ヵ所の給餌場があり、この鶴居村はそのひとつ。
最盛期には200羽以上のタンチョウ鶴が飛来してくるらしいが
この時はまだ50羽くらいだった。
それでも飛び立つ時に羽を広げたタンチョウ鶴の大きさには圧倒された。
自分の世代だとタンチョウ鶴を見ると「池中玄太80キロ」を思い出してしまうが。

鶴居村に着いた頃から雪が降ってきた。
雪の中、たっぷりとタンチョウ鶴を堪能した後、
バスは1時間半近く走って16時半頃にホテルのある川湯温泉へ。
近づくにつれ硫黄の臭いが。硫黄の温泉って久しぶりかも。
夕食は18時からで19時30分からはオプショナルツアーの摩周湖の湖畔で星空観賞。
強酸性温泉かけ流しの名湯には24時間入れるので焦ることはない。
部屋は完全な和室で合宿で行った覚楽のような感じだった。
普通にテーブルの上に陶器の灰皿とマッチが置いてあるところが逆に新鮮だった。
外を見ると沢山の白樺、下を見ると雪の上に何の動物か分からないが足跡がいっぱいあった。
大きさからエゾシカかイノシシか、小さいのはキタキツネなのかな?

とりあえず食事まで時間があるので近くのコンビニへ。
北海道では有名なセイコーマート。
てか、川湯温泉と言っても温泉街などなく、外の店はこのコンビニだけ。
なのでなんかすごい混んでた。
一応、明日は移動時間が半端なく長いので非常食的な菓子パンを買っておく。
外に出たら雪から雨に変わっていた。
この季節に雨が降ること自体、とても珍しいらしい。
それだけ気温が高いということだ。
ホテルの外にある喫煙所に設置されていた気温計は2℃だった。
陽が落ちても氷点下にならないことは本当に珍しいという。
正直、厚着をしていたこともあるが、今年の北海道も昨年同様に
寒さをあまり感じなかった。

18時の食事は鮭のちゃんちゃん焼を含む和食膳。
思っていたよりボリュームがあって美味しかったが
食事中に摩周湖星空観賞の中止が決まった。
星空が出ない時は硫黄山へ行くことになっていたが、
これから天候が荒れる予報が出たため硫黄山へ行くのも危険なので中止。
なので19時30分から21時まではオプショナルツアーだったのが
一気に時間を持て余してしまった。
食事後、再び外に出ると雨から小雪がぱらつく。しかし風は強かった。
近くの公園に沢山のスノーキャンドルがあるというので食後の散歩がてら行ってみる。
路面は雨の影響もあり雪が解けてぐしゃぐしゃ状態。
凍結して滑るようなことがないので歩くのは大変ではなかった。

スノーキャンドルのある公園だが誰もいなかった。
みんな暇を持て余して来てるかと思ったが、わざわざ雪の中に来る
物好きは自分たちだけだったようだ。
だけど、それが後で温泉を独り占めできる結果につながったんだけど。
公園の中には足湯もあったが、タオルも何も持ってきていないので入ることを断念。

天気は完全に雪となり強い北風も吹いていたのでホテルに戻って温泉へ。
みんな食後に温泉に入ったのかガラガラ状態で、そのうち自分だけになった。
オプショナルツアーが中止になったので、その分温泉をゆっくりと堪能できた。
露天風呂では1人で白樺の木と雪を見ながらの贅沢。
ただ、強酸性の温泉のため長湯をすると逆に良くないらしい。
ほどほどにして温泉から出ても結局、他の人は誰も来なかった。
雪の中、ホテル入口にある喫煙所に出ても全然寒くなかった。
やっぱ温泉の温浴効果って素晴らしいね。

すでに食事中に布団が敷かれていたが、腰に悪そうなぺちゃんこな布団のため
余っていたマットレスを出して2枚重ねにして22時頃には就寝。
とにかく翌日、流氷があることだけを願いながら寝た。

つづく


前年超え

2020年02月26日(水)

新型コロナウイルスの影響で相変わらず銀座は人通りが少ない。
中国人観光客がいないだけではなく、日本人も繁華街に近寄らなくなっている。
夜なんて本当に寂しい感じすらある。
こんなのは東日本大震災の後以来だ。

今月もあと数日で終わるが確実に来客数は減っている。
前年同月と比べても明らかだ。
元々、数年前から大勢の宴会が減ってきているが、今月は本当に大勢の宴会がない。
10名以上の宴会予約は1組もなかった。
まぁ、現状では大勢の人が集まることを避けるのは仕方ない。
ところが組数、客数とも前年より減っているのに
売上高に関しては昨日で前年を超えた。
ありがたいことに客単価の高いお客さんが多い。
なので4日を残しながら前年よりアップとなった。
先月の週末でもあり月末でもあった水曜〜金曜の29日、30日、31日を
自分のインフルエンザ発症により臨時休業してしまったが
その分を今月で取り戻すことができた。

とりあえず今月は客単価の高いお客さんに救われた感もあるが
いまだ終息の目途さえつかない新型コロナウイルス、
来月も客足は鈍そうなのは予想できる。
本来3月は少なくなってきたが送別会、4月は歓迎会の季節。
しかし、今の現状でそんな会を催す会社なんてないだろう。
てか、あったとしても参加したくないだろうね。
とにかく早く終息してくれないと日本経済だけでなく世界的にヤバくなりそうだ。
30周年記念ユニフォームの作成を依頼したところも
いまだ中国の工場が稼働していない。
俺たちのユニフォーム、いったいいつ完成するのやら…。


襲来

2020年02月25日(火)

今日はなんだか1日中、目がしょぼしょぼ。
ついに奴らがやってきたか。
今年も花粉に悩まさる季節になってしまったようだ。
深刻なマスク不足だが、我が家にはまだ数箱ストックが残っている。
新型コロナと花粉とで日本中マスクだらけだな。


帰京

2020年02月23日(日)

またしても久々の日記になってしまった。
実は先ほど北海道の釧路から帰ってきたばかり。
昨年、流氷が見れなかったのでリベンジ旅行。
今回は釧路から野付半島、さらに羅臼で船に乗って
国後島を見ながら流氷帯へ突入。
また詳細は後日の旅行記で。
とりあえず明日も休みで良かった。


エアロゾル感染

2020年02月19日(水)

中国の国家衛生健康委員会が新型コロナウィルスは
咳やくしゃみを通じた飛沫感染や濃厚接触感染の他に
空気を漂う飛沫核を通じて感染するエアロゾル感染の可能性を初めて認めた。
飛沫感染や接触感染と比べ、より広範囲に感染する可能性があるという。

エアロゾル(aerosol)って、なかなか聞かない言葉なので少し調べてみると
気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子のことだとか。
たとえば、気象に関するエアロゾルには霧、もや、スモッグなどが挙げられる。
また、シャワーなどで用いられることもあるミストや粉塵、煤塵などもある。
その他に環境問題や健康への被害を及ぼす分子であるアスベストやタバコの煙も。

で、エアロゾル感染とは?空気感染とは違うのか?
感染経路としては病原菌が一旦床に落ちた後、乾燥して飛沫核となり、
空気中に長時間浮遊して人間の身体に取り込まれることらしい。
エアロゾル感染の可能性が指摘されている感染症には
麻疹、風疹、水痘、おたふく風邪、インフルエンザ、咽頭結膜炎、百日咳、
ノロウイルス、SARSなどがある。
簡単に言えばタバコの煙をイメージしてみればいい。
近くにいるほど吸い込みやすいし、室内ではより臭いを強く感じる。
つまり、それだけ濃度が高いということ。
微細な粒子である以上、マスクをしていても多少は入り込んでしまうのが難点。

で、結局エアロゾル感染と空気感染は何が違うのか?
実際に「エアロゾル感染=空気感染」という見方でも捉えられているが、
言葉が使い分けられている以上、違いはある。
一つ目は感染が起こり得る環境。
空気感染は言葉の通り、空気を媒介にして起こる感染経路を指す。
一方で、エアロゾル感染はその中でも範囲が狭いことを意味する。
たとえば満員電車やエレベーターなど密閉された空間。
また、加湿器・循環式の浴槽によって微細粒子が飛ぶことも該当する。
つまりは非常に狭い場所で濃度が集中することで感染するのがエアロゾル感染。
二つ目は粒子の大きさ。
空気感染では飛沫核の時点で5μm以下の大きさで水分が蒸発しているものと
定義されている一方で、エアロゾルの説明では1nn(1メートルの10億分の1)の
イオンや分子と同じものから花粉のような100μm(1メートルの1万分の1)の
ものまであると記載されている。
つまりエアロゾルの方には比較的に大きい粒子が含まれている。
大きい分、飛ぶとはいっても空気感染のように遠くまでは飛ばないということ。

空気感染には含まれずエアロゾル感染には含まれる代表的な感染症がレジオネラ。
分類されることになったきっかけの1966年の米国での感染では、
感染源の浴槽の近くにいた人のみから患者が発生しており、
大量の菌がエアロゾルになって入り込んだことが原因と分析された。
この点で密閉された空間で浴槽などの循環器によって
微粒子が飛ばされて感染するのがエアロゾル感染と言うらしい。

まだ日本政府から正式な発表はないが、、空気感染しているんじゃないかと
けっこう前から思っていたので驚きはない。
クルーズ船内で感染者が増えていったのもエアロゾル感染の仕業だろう。
部屋に待機していても空調やダクトを通じて感染が広がったのかもしれない。
早くからエアロゾル感染を疑っていれば防疫のやり方も変わっていただろう。
すべてにおいて遅すぎだ。
また、マスクをして前を向いて運転しているタクシー運転手が感染したのも
エアロゾル感染だろうね。車内という密室では避けようがない。

今後、満員電車や換気の悪い室内などはかなり危険に思った方がいいのかも。
まぁ、ほぼ空気感染と同じようなものだと思って自衛した方がいい。
と言っても東京に住んでいると人混みを避けるって難しい。
結局、普段と同じ生活になってしまうような気がする。
それにしても様々なイベントが中止になっているが、
卒業式を控えている人達や、その後の謝恩会なんかはどうなるんだろうね?
うちのマンションでも2月末に総会があるが、出席者は少なそうだな。
この時期、やっぱ人の集まるところは自衛のため避けたいのが普通だ。


いつ終息?

2020年02月17日(月)

新型コロナウィルスの影響で3月1日に開催される
東京マラソンで一般ランナーの参加が取りやめになった。
また天皇陛下の誕生日を祝う一般参賀も中止。
嵐が北京で行うコンサートも回避された。
厚労省は新年会や送別会など人が多く集まる催しは避けるよう促した。
これから学生は卒業式があるけど大丈夫なのだろうか?
すでに感染経路が分からない二次感染が始まっている。
元はと言えば春節の休みで多くの中国人が世界へ散らばったのが原因だ。
しかも日本に訪れた中国人はかなりの数になる。
その後、団体旅行の禁止や外出制限などの措置が取られたが遅すぎだろう。

昨日、リーグの役員会議で池袋に行ったが、日曜なのに明らかに人が少なかった。
中国人がいないだけでなく日本人も外を出歩かなくなっている。
マスク着用率だけは異常に高かった。
銀座も相変わらず人が少ない。
これから送別会のシーズンなのに店はヒマになりそうだな。
ほんと、いったい、いつ終息するのか…。


国内初の死者

2020年02月13日(木)

日本でも感染が拡大している新型コロナウィルス。
今日、日本国内で初めての死者が出てしまった。
中国本土を除けば、感染者の死亡はフィリピン、香港に続いて3例目。

それにしても次々と日本国内で感染者のニュースが連日報じられている。
そして、ついに死者まで。
まぁ、このままだと犠牲者が出るだろうとは思っていたが、
実際に出てしまうと何だか本当に怖いウィルスだ。
さらに今日、日本国内で新型コロナウィルスに感染した4人は、
いずれも中国への渡航歴はない。
中国人との接点もないとのことなので、今やどこにウィルスが潜伏しているか
まったく分からない状況だ。

亡くなった人とは親族にあたる70代男性は都内で勤務するタクシー運転手。
タクシー運転手となると多くの乗客を乗せるし、料金のやり取りで
乗客の体や荷物にも触ることだってある。
ましてや70代となると高齢だし。
亡くなった80代女性はタクシー運転手とは義理の母だとか。
タクシー運転手から義母に感染したのか、或いは逆なのか…。
どちらにしても身近な人から感染したのだから、家族で暮らしている人も
気をつける必要があるということだ。

それにしても日本国内でここまで感染が拡大してしまうとは。
春節で中国人観光客が大勢来日したとはいえ、
これ以上の感染拡大は何としても防ぎたい。
二次感染、三次感染の被害が明らかになる今月中旬から下旬、
どれだけ感染拡大しているのか、考えると本当に恐ろしい。
空気感染はしないと言っているが、実は空気感染の可能性、あるんじゃないの?
1日も早く収まってくれないと東京五輪にも確実に影響が出てしまう。
30周年記念ユニフォームも中国の工場がいまだ動いていないので
いったい、いつ完成するやら。


ノムさん逝く

2020年02月12日(水)

昨日、ノムさんこと野村克也氏が84歳で亡くなった。
先日に金田正一氏のお別れ会に車いすで出席していた時、
だいぶ弱ってきたな…と思っていたが、まさかそれから
数週間後に亡くなってしまうとは。
野球界に影響力のある人物だっただけにとても残念だ。

野村氏は南海ホークスにテスト生として入団。
そこから頭角を現して昭和40年には戦後初の三冠王を獲得。
昭和44年オフに34歳の若さで選手兼任監督に就任すると、
最下位だったチームを2位に押し上げ、昭和48年には日本シリーズにも進んだ。
その後はロッテ、西武で現役生活を続け45歳で現役を引退。
現役時代の通算成績は2901安打、657本塁打、1988打点を記録。
安打、本塁打と歴代2位の記録である。
守備負担の大きい捕手で、これだけの成績を残せるのは凄い。

平成2年からヤクルトスワローズの監督に就任し、
万年Bクラスだったチームを優勝に導き、9年間で3度の日本一に輝いた。
その後は阪神、楽天やアマチュアのシダックスも率いるなど
名選手でもあり名監督でもあった。

野村監督というと、やはりヤクルト時代のイメージが強い。
ID野球を駆使して弱かったチームを日本一にまで導いた手腕は光るものがあったし、
誰よりも野球を知り尽くした戦略は本当に見事だった。
中でも長嶋監督率いる巨人との対戦は盛り上がっていた。

グランドを離れ評論家としてもボヤキ解説や野村スコープなど
野球を様々な角度から分かりやすく解説してくれた。
もう、あのボヤキ解説が聞かれなくなるのは寂しい限りだ。
謹んでご冥福をお祈りします。


深大寺から幕張

2020年02月11日(火)

急に美味しい蕎麦が食べたくなったので深大寺に蕎麦を食べに行ってきた。
それにしても深大寺ってコインパーキング少なすぎ。
時間貸しではなく1日貸しのパーキングはあるけど
そんな長く居るわけではないので1日貸しは回避。
なんとか1時間300円のコインパーキングに停めることができた。
深大寺にお参りした後にしようか迷ったが、先に蕎麦を食べて正解だった。
食べ終わって店を出たら店の前に大行列だった。

蕎麦を食べた後に深大寺でお参りをし、なぜかその後は調布から東京を横断して
幕張のコストコへ行って買い物。
幕張のイオンで夕食はマウンテン唐揚げ定食。
バカでかい唐揚げ10ヶもあって完食できず。
完食できない人が多いのか持ち帰り用の容器がちゃんと置いてあった。
なんだか長い1日だったな。


新型肺炎の影響2

2020年02月07日(金)

今日、いつも中国人観光客で賑わっている銀座8丁目にあるハナマサに行ったが
中国人が全然いなかった。なので店内も閑散としていた。
ハナマサの隣にあるドンキホーテも同じ状況だった。
銀座の街から中国人が消えて、いつもより活気がない感じが続いている。
まぁ、少しは静かになったが、この状態が続くのも良いとは思えない。
そして、ついにうちの店にもかかってきた。
日本人からの予約の問い合わせ電話の最後に予想外のことを聞かれた。
「おたくの店は中国人のお客さんって来ますか?」
今、中国人が集まる店には行きたくないという日本人が多いらしい。
少しでも感染のリスクを減らしたいのは分かるけど、
なんだか神経質になりすぎじゃないのかね。
マスクの品切れは理解できるけど、中国人がいる店には行きたくないってのは
あまり理解できないというか、理解したくないな。
中国人全員が感染者じゃないんだからさ。
電話の相手には丁重に現在の銀座界隈の状況や雰囲気を教えてあげた。


新型肺炎の影響

2020年02月05日(水)

インフルエンザから社会復帰して3日が経ったが、まだ本調子には程遠い。
とにかく疲れやすくてすぐ息が上がる。
よく考えたら2月1日〜2日って和歌山県白浜に行くツアーに申し込んでいたが
1月初めに人数が集まらず催行中止の連絡があった。
もし、催行決定していたらインフルエンザのため行けなかった。
まぁ、良かったのか悪かったのか…。
そんなことより早く本調子に戻らないと。

ここ数日の銀座が静かだ。
新型肺炎の影響で中国人の団体旅行が禁止になってから
日本の各観光地から中国人がいなくなったので閑散としているらしいが
銀座も中国人の訪れる観光地のため本当に静か。
デパートなんて信じられないくらい人がいない。
確実に新型肺炎の影響は経済にも打撃を与えている。
何より驚いたのは、今日、チームの30周年記念ユニフォームのデザインを
業者と打ち合わせしたが、春節の休み以降、新型肺炎の影響で
中国の工場がストップしているためユニフォームの生地が入荷できない状況らしい。
なので注文して完成まで8週間ほどかかる見通しだとか。
マジで開幕には間に合わないかも。
恐るべし新型肺炎、こんなところにまで影響を及ぼしているのか。
いったい、いつになったら終息するのか。
特効薬、治療薬がないからまだまだかかりそうだ。
本気で東京オリンピック大丈夫か心配になってくるよ。


インフルエンザ感染

2020年02月03日(月)

随分と久しぶりの日記になってしまった。
というのも実は先週、インフルエンザに感染し、ずーっと寝ていたのだ。
思えば27日の月曜の閉店直後位からおかしかった。
なんか変な咳が出たので風邪を引いたかと思ったが
いつも風邪をひく時は喉がまず痛くなる。
しかし今回、喉はまったく痛くなかった。
とりあえずマスクをして寝たが、28日の火曜日に咳だけでなく
寒気もしてきたし、頭がフラフラする状態で1日を過ごした。
そして運命の29日、水曜日がやってくる。
朝、目覚めた時から体の異変は感じていた。
とにかく熱っぽくて何もやる気が起きない。
うなされて起きた感じだったし。
体温計で熱を測ると39度近い高熱が出ていた。
あまりの高熱だと起きようとする気持ちはあっても体が動かないものだ。
これはとても店を開けられる状態ではないと判断し、そのまま再び眠りについてしまう。
結局、医者の診察時間ギリギリまで眠りについていたが
いっこうに熱が治まることはなかった。

医者で症状を言うとすぐにインフルエンザの検査。
そして数分で結果が出た。
見事にインフルエンザA型に感染していた。
医者は「良かったね、新型肺炎じゃなくて」と少し笑いながら話す。
「新型肺炎だと治療薬はないけど、インフルエンザなら治るから」と
笑えない冗談を言ってくる。
インフルエンザの特効薬でもあるタミフルを5日分処方され
家でプリンを食べてタミフル飲んで再びベッドで眠る。
水曜から5日間、ちょうど日曜までは人との接触を避けなくてはならない。
必然的に水曜から金曜まで、週末でもあり月末の稼ぎ時に店を開けられなくなった。
しかし、こんな状態では何もできないので仕方ない…。

30日の木曜も依然、高熱は続いた。
ただでさえ腰の痛みがあるのに、発熱による関節の痛みが加わり
寝ていてもうなされるほどだった。
朝、シュークリームを食べてタミフルを飲んだが、その後の記憶は定かでない。
とにかく寒気と高熱、そして腰や節々の痛みでベッドから出られなかった。
しかし31日の金曜は月末ということもあり、レジ締めやら振込やら
いろいろやらなくてはならないことがあったので、
12時頃に久しぶりに風呂に入ってサッパリしてから13時過ぎに車で店へ。
車通勤で本当に良かった。電車なんて絶対に乗れなかった。
店の事務所を暖かくしてパソコンを開いて約3時間ほど作業。
熱は37度台まで下がったが、もともと平熱が低いので37度台でもけっこうフラフラ。
もう少しいろいろやりたかったが、数字を見ていたら頭も痛くなってきた。
作業中、3件ほど本日の予約を…と電話がかかってきたが
丁重に臨時休業をお知らせする。
1月の売上げ、もう少しで前年を上回る予定だったが、月末3日間の臨時休業のため
結局、前年に届かなかったが、こればかりはほんと仕方ない。
自分が感染していたら店自体を休みにするしかないもんな。
そういえば新型肺炎の影響からか、中国が団体旅行禁止を発表したので
銀座の街がいつもよりなんか寂しい感じもした。

2月1日の土曜日、さすがに熱はかなり治まってきた。
それでも外出することもなく、とにかく治癒に努めた。
ちなみに29日、水曜日の発症から31日までの3日間、
吸ったタバコの数は僅かに1本。
それも金曜に店で作業中に1本吸ってみたが、あまりに不味くて2吸いで止めてしまった。
別に喉が痛いわけではないが、タバコが吸いたいという気持ちにもならなかった。
まぁ、水曜、木曜の2日間はほとんどベッドの中だったし。
このままタバコを止めてしまおうとも思ったのは確かだが、
実は発症する前日にカートンで買い置きをしていたので、それを見ると
なんかもったいない気もしてしまったのも事実。
土曜の夜、久々に家のバルコニーに出てタバコを吸うと、
普通に吸えたので、完治も近いことを実感した。

2日の日曜、昼過ぎに家の近くのイトーヨーカドーまで外出。
さすがに熱っぽい感じもなくなり、いつもの慢性疼痛の腰の痛みだけ。
ただ、少し歩くと疲れてしまう。完全にスタミナが無くなっていた。
そして、まだ食べるものも脂っぽいものとかは無理な感じがした。
しかし処方してもらったタミフルもこの日で底をついた。
とりあえずインフルエンザは治ったんだと思う。
さて、いったいいつどこでインフルエンザに感染したのだろうか?
思えば1月26日の日曜日、納会&表彰式のため電車で秋葉原に行った。
昨年の10月から車通勤にしたので電車に乗るのは久しぶりだった。
今までは朝の満員電車にもまれながら免疫力が付いていたのかもしれないが
車通勤になったことにより人混みでの免疫力も低下してしまったのかも。
秋葉原までの往復の電車内で感染した可能性は高い。
あとは納会の参加メンバーの中にインフルエンザ菌を潜伏させていた人がいたかも。
いずれにせよ発症した時は考えると、1月26日の日曜日、秋葉原だろうな。

今日から一応、社会復帰を無事に果たしたが、やはり疲れやすい。
営業中の立ち仕事はかなりツラかった。
熱こそないが今も頭がフラフラする状態だ。
記憶をたどるとインフルエンザに罹ったのは2011年12月以来、約9年ぶりだ。
あの時はこんなに酷い症状じゃなかったと思う。
ほんと今回は酷い目に遭った。
やっぱ毎年、ワクチンって注射しておいた方がいいのかも。
自分が倒れたら店を休まないとダメになっちゃうからね。
今は新型肺炎も怖いし、手洗いとうがい、あと人混みでのマスクは絶対だね。
まだまだ本調子ではないが、明日からも頑張ろう。

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