Web Masterの日記



5月終了

2018年05月31日(木)

やっと5月が終わった。
決算月ということもあり、なんだかんだで忙しかったな。
いろいろ忙しくて手が回らないことも多かった。
明日から6月。
マイバースデー月間でもある。
でも、そろそろ梅雨入りかな。


決算

2018年05月30日(水)

今月5月は決算月。
なので月末はやること多くて忙しい(>.<)
明日は月末なので閉店後に在庫チェックやらなんだで特に忙しいぞ。


タクシー帰り

2018年05月28日(月)

朝起きたら再び腰が痛い。
昨日の試合の影響だろうな…。
完治しないまま試合に出て、相手投手の速球に負けないように
何度かフルスイングしたからかな?
また今週末も試合なので早く治ってほしい。

で、今日は仕事帰り、日本橋駅で東西線を待ち、やってきた電車に乗ったら
いきなりホームに「ブーッ」と警告音のような音が鳴り響いた。
全然、発車しないなぁ…と思っていたら高田馬場駅で人身事故があり
東西線は全線で運転を見合わせるとのアナウンス。
さらに1時間以上は運転の見込みがないというので駅を出て地上へ上がる。
永代通りを歩いて次の駅でもある茅場町付近まで来たが
痛めた腰のことを考えて歩くのをやめてタクシーを拾って帰宅。
すでに深夜料金の時間帯だが茅場町から自宅まで約2000円だった。
歩いて帰れる距離ではあるけど、腰痛持ちにはツライ。
それに週の初め月曜から疲れてしまうのもイヤだったし。
元気だったり、翌日が休みだったりすれば歩いて帰るんだけど
さすがに今日はその気はなかったよ。
ほんとこんな時、他の路線が乗り入れていない駅は困るね。
他の路線があれば回り道でも電車を乗り継いで帰れるけど
東西線しかない駅なのでタクシー利用も仕方ない。
もし、こんなことがあったら同じ路線を使っているヒデオは
京成線を使って帰るんだろうな。
チャーミンは都営新宿線の駅も近いからな。
早く豊洲から有楽町線が延伸してほしい。
計画は何年も前から出ているが、なかなか進展しない。
延伸したら自宅マンション前のメトロ資材置き場に
駅ができる計画になっているのでありがたいんだけどな。


最低

2018年05月25日(金)

ここのところ世間を騒がせている日大アメフト部のラフプレー問題。
先日は当該選手、その翌日には内田前監督とコーチが記者会見をしたが、
双方の食い違った話を聞いていると、ほんと日大アメフト部の内部事情が
いかに腐っているのかが分かる。
宮川選手の記者会見では関西学院大との定期戦において、
井上コーチから相手のQBを潰すのなら試合に出すと言って、
当時の内田監督に伝えよう指示。
試合前の映像でも井上コーチが歩み寄るところが映っていた。
そして試合が行われて例のラフプレー。
無防備な状態でタックルを受けた選手は全治3週間のケガを負った。
まぁ、実際にラフプレーをしたのは宮川選手自身なので擁護はできないが、
日大の監督とコーチによって、そうせざるを得ない立場に
追い込まれてしまったのは事実。
完全にパワハラだ。
会見では、まだ20歳の学生だというのに顔を出して全てを捨ててまで
真実を話していた様子が見て取れた。

それに比べて指導者達の会見ときたら…。
突然、午後8時にマスコミを呼び出して記者会見をし、
監督はコーチに責任転嫁して、コーチは監督を庇う有り様。
記者の質問による回答も支離滅裂。
自分の保身に走ってばかりで、ただただ呆れるばかり。
2年前に鳴り物入りで発足させた危機管理学部で「最悪の失敗例」として
教材にでもしようとしているのか?と思ってしまうほど。
そして、そのうち今度は司会者が記者の質問を遮ったり、
無理矢理打ち切ろうとしたり。
途中から司会者vsマスコミのバトルになっていた。
傲慢な司会者に対して記者の1人が「司会者のあなたの発言で
日大のブランドが落ちてしまうかもしれないんですよ」の問いに対し
「いや、落ちません」って何かのコントかよと思ったよ。
ただでさえ落ちぶれた日大のブランドは、この司会者によって
完全に地に落ちたブランドと成り下がったな。
現役のアメフト部員も記者会見では「ウソばかり」と不満を漏らしているという。
不信感を持っているから100人近くも退部する部員が出るのだろうね。
日本一のマンモス大学とはいえ、来年の受験者および入学者にも影響するだろうし、
今、就職活動をしている日大生は本当にかわいそうだ。
日大は完全に間違った舵取りをしたな。


回復中

2018年05月24日(木)

久米島で痛めた腰の具合はだいぶ回復してきたものの
まだ、本調子ではなく角度によってはメチャ痛い時がある。
腰が痛いと、どうしても歩く時に変な力が入るので肩が凝る。
なので腰から上、背中や肩まで鈍痛状態。
心配なのは週末の試合まで完治するのかというところ。
今週末から怒涛の4週連戦なので完治してくれないと厳しいな。


久米島旅行記その2

2018年05月23日(水)

久米島2日目の朝食は通常の旅行より早い6時45分。
なぜなら7時45分にはロビー前に集合してホテル内にある
ダイビンググショップのバスに乗って港へ向かい、
8時にグラスボートに乗って出航。
久米島観光に来た人の、90%以上が行くという「はての浜」へ。

しかし、起きた時から腰に違和感。
やっぱり、あの硬いベッドが原因かも…。

「はての浜」は久米島で一番の観光スポット。
久米島の沖、約5キロ先に浮かぶ3つの砂だけからなる無人島であり
久米島に近い方から「前の(メーヌ)浜」「ナカの浜」「ハテの浜」
3つの島を総称して「はての浜」と呼ぶらしい。
海流と地形の影響でここに砂が集まってできた島というかビーチであり、
たとえ満潮になっても海の中に隠れることはない。
透き通ったエメラルドグリーンの海と真っ白な砂浜。
まるで絵画から切り出したような光景で、久米島を訪れたなら必ず行くべき場所である。
この日の天気予報は曇りのち雨だったが、朝起きた時から太陽の光が眩しく、
結局、多少の雲はあるが充分に晴れていて一滴の雨も降らなかった。
なので「はての浜」の海と空、そして白砂のコントラストは最高だった。

港から海底の見えるグラスボートに乗って約30分弱で
「はての浜」の真ん中「ナカの浜」に上陸。
もちろん港などないのでグラスボートの先を島に乗り上げる形で停泊し
ボートの先にはしごをかけて上陸する。
なので濡れてもよいサンダルでないとダメ。
さらに日よけもテントも何もないので日焼け止め、帽子、サングラスは必需品。
さらにショップもないので飲み物も持って上陸しなくてはならない。
確かに見たこともない絶景が保証されるが、日焼け対策は本当に万全にしておかないと
白砂の照り返しもキツイので上と下から日光に照らされる。
ちなみにトイレは仮設が1ヶだけあるが、あまり使いたくない気分になるトイレだった。

とりあえず「ナカの浜」を一周してみたが、潮が引いていたので
漂流物が目立ったのは残念。
サンゴやキレイな貝殻も沢山あったし、何よりヤドカリが沢山いるので
気をつけて歩かないといけなかった。
完全に潮が引けばリーフを渡って隣の「メーヌ浜」や「ハテの浜」へも行けるらしい。
しかし全長7キロほどあるので、行っている間に潮が満ちたりすると
「ナカの浜」に戻ってこれなくなるかもしれないという…。
約1時間ほど「はての浜」に滞在し、再びグラスボートに乗って久米島へ。
往復時にはスタッフや操縦士さんが魚のポイントを探して説明してくれたり
帰りにはサンゴ礁の上で休憩中のウミガメにも遭遇できた。
そして港に着くとショップのバスが待っていてホテルまで送ってもらい
10時にはホテルに到着。チェックアウト11時まで1時間あるので
シャワーを浴びて潮とサンオイルを落とすことができた。

初日の久米島観光よりもメインは「はての浜」への上陸。
ほとんどの人がそうだったに違いない。
しかし天候が悪ければ船も出ないで中止になることもあるが
今回は本当に天候に恵まれて良かった。
ものすごい暑かったけどね。
朝、起きた時から腰に違和感があったのにもかかわらず
約1時間近く、砂浜を歩いたりしたので、さらに腰は痛くなってしまった。

11時にチェックアウトし、バスが迎えに来るのが13時20分。
それまで荷物はホテルが預かってくれるのでホテル周辺の店で各自昼飯を済ます。
ところが周辺の店といっても日曜に開いている店は少なく、
また夕方からのみ営業の店が多くて選択肢は2件しかなかった。
最悪の場合はホテルのレストランがあるので、とりあえず集落へ向かう。
ホテル近くには久米島出身でもある小島よしおのお母さんが経営する店もあるが
しばらく休業と貼り紙がしてあった。
夏の観光シーズンにしか営業しないのかも。
あと2月の楽天キャンプの頃に営業しているのかな。

漁船を持っているという1件の定食屋(夜は居酒屋)に入店。
すると店内の壁には楽天イーグルスの選手たちのサイン色紙。
選手だけでなく取材で来たテレビ局のアナウンサーや解説者のサイン色紙も。
もちろん、田中マー君やノムさんのサインもあった。
キャンプ中、あのホテルに泊まっていたら夜は出かけても
ホテル周辺にしか店はないので野球に専念できていいのかもね。

昨夜の車エビの天ぷらが美味しかったので今日はフライを、
で、ミックスフライ定食を注文。
ミックスフライって何のフライが出てくるのか不明だけど
沖縄なら白身魚のフライとエビフライは絶対に入っている。
逆にカニクリームコロッケの入っているミックスフライはまず沖縄にはない。
予想通り、車エビのエビフライが2本、白身魚フライ2切れ、そしてカキフライ1ヶ。
エビの天ぷらは好きだがエビフライは好きではなかったが、
昨日の車エビが美味しすぎて、30年以上ぶりにエビフライを食べた。
やっぱ久米島の車エビ最高。天ぷらでもフライでも美味しすぎ。
あと、単品で久米島もずくを頼んだが、もずくといえば三倍酢だが、
ここでは三倍酢ではなくゴマダレに付けて食べるのだが、これがまた美味しい。
もずくってゴマダレも合うということを教えてもらった。
美穂が食べた久米島名物・味噌そば含め2000円でお釣りがくるのもいいね。
超絶満足&腹一杯になったのでホテルに戻ってロビーで時間まで休ませてもらい
13時15分頃にバスが到着したので乗り込んで久米島空港へ向かう。
空港までは20分程度で到着。
添乗員から那覇行きと羽田行きのチケットをもらって14時55分発の飛行機を待つ。
ところが那覇からの到着が遅れたために飛行機の出発も遅れた。
実際、久米島空港を離陸したのは15時10分を過ぎていた。
当然、那覇着も遅れたので羽田行きへの乗り継ぎ時間も僅かしかなかったが
特に空港内で買うものもなかったので、逆に待ち時間が減って良かったと感じた。
羽田行きの便は16時25分。
久米島から那覇に着いたのは16時少し前なので待ち時間は少なく
機内に入ることができた。
そして予定では18時50分に羽田着のはずだったが、滑走路混雑のため
羽田の上空で何度も旋回して順番待ち。
機長から状況説明のアナウンスが入るほど。
18時から20時くらいって羽田着の飛行機が多いため、隊列組んでいるように
一直線になっているのを自宅のバルコニーから何度も見たことがあるけど
まさしく着陸渋滞に巻き込まれたんだろう。
順番が回ってきて無事に羽田に着陸したのが19時10分くらいだった。
予定より約20分の遅れで到着した。

到着して驚いたのは羽田が賑やか。
いつも沖縄から帰ってくるときは遅い便のため、すでに店も閉まっているが
こんな賑やかな羽田空港にビックリした。
そして…飛行機を降りてすぐに「東京は寒い!」と感じた。
久米島が蒸し暑かったのでほんと東京は寒いと感じたよ。
とりあえず空港内のレストランで夕食を食べて自宅へ。
家に着いたのは21時前。
やっぱ羽田は近くて便利だな。

1泊2日での久米島旅行だったが梅雨中ということで心配していた天候にも恵まれ、
はての浜も堪能できたし、食べ物も美味しかったし、ホテルでものんびりできたし
楽しい旅だったと言いたいが…ひとつだけ…腰が最悪。
たぶん硬いベッドが最初の要因。
そして、はての浜の砂浜を歩き回ったこと。
さらに約3時間近く、飛行機の椅子で同じ体制でいたことも悪化させた原因かも。
西洋でぎっくり腰は「魔女の一撃」とも言うが、
今回は特に魔女の一撃をくらっていないのに
完全にぎっくり腰と同じ痛みであり同じ症状なのがツライ。
なんだか痛くなる周期が早くなり、痛くなる要因もはっきりしなくなってきた。
これからも旅で痛くしないように気を付けないと…。
羽生選手や真央ちゃんのようにエアウィーブでも持っていかなくちゃダメなのかな。


久米島旅行記その1

2018年05月22日(火)

19日、20日と1泊2日ながら沖縄県の離島、久米島に行ってきた。
今回はJTB「旅物語」のツアー。
まず、なぜ久米島だったのか?
実は特に理由はない。
沖縄本島は毎年、訪れているが離島は行ったことがない。
(本島に近い伊江島、水納島は訪れたけど)
一番の行きたい場所は西表島や竹富島などの八重山諸島だが最低でも2泊は必要。
石垣島や宮古島でも良かったのだが、たまたま日程のタイミングが合ったのが
JTB「旅物語」の久米島だっただけである。
ツアー名も「気ままに久米島2日間」なので、ほんと気ままな感じで決めた旅だった。

8時55分に羽田発JALの那覇行きの便に乗るためツアーの集合は8時15分。
途中で朝飯を食べるために7時少し前に自宅を出発。
いつもより遅く羽田空港に到着したので駐車場は屋上しか空いてなかった。
すでに空港内の店はほとんど開いていたが、ツアーデスクで搭乗券をもらって
すぐに保安検査場を抜けて出発ロビー内にあるラウンジで一休み。
ゴールドカード会員ならではの特権は各空港で使わないと損だしね。

毎夏、沖縄に行く時の飛行機はANAなのでJALに乗るのは久しぶり。
第一ターミナルも本当に久しぶりだ。
ほぼ定刻通りに羽田を離陸し、11時30分頃には那覇空港に到着。
もちろん、その間は完全爆睡。
梅雨前線の影響もあって、かなり飛行機は揺れたが、その揺れが眠りには心地よかった。
そして、いつも通り着陸の衝撃で目覚めた。
5月の沖縄は初めてだが、すでに梅雨入りしているため夏の暑さより数倍暑く感じた。
湿度が夏よりも確実に高く、ましてこの日は高気圧にも覆われ31度もあった。
久米島までは那覇空港で乗り継ぎしなくてはならない。
乗り継ぎまでは約2時間弱もあるので昼飯は空港内で済ませる。
飛行機を降りて空港内に入ったところで添乗員が待っていた。
一通り那覇空港内の説明をされたけど、こちらは毎年、来ている場所なので
迷いもなく1階にある空港食堂へ直行。
空港食堂は那覇空港JAL側1階の一番端にある空港職員も使う
空港内で1番安い食堂だが、今まで1度も行ったことがなかった。
というか、こんな昼の時間に那覇空港にいること自体が初めてなので、
いい機会だと思い行ってみた。
(いつもの遅い時間だとすでにクローズしている)
時間も昼飯時だったので、かなり混んでいたが食券を買ってすぐに座れた。
沖縄らしくポークタマゴ定食を頼んだけど、やっぱ沖縄は量が半端ないね。
混んでいたので写真が撮れなかったのが残念。

食事後は那覇空港内のラウンジに行こうかと思ったが、
土産物屋とか見ていたら、いい時間になってきたので保安検査を受けて出発ロビーへ。
無料の充電スペースでスマホを充電しながら乗継便への搭乗待ち。
毎夏は夜の遅い便のため空港内は混雑しているが、昼過ぎだと空いている。
乗継便は初めてJTA(日本トランスオーシャン航空)に乗る。
しかし離陸から約20分で久米島空港に到着なので寝る暇もない。
JTAは古い飛行機なのか、昔の名残で肘掛けに灰皿が付いていた。
もちろん現在は機内禁煙だけど。
さらにモニターとかもないので、救命胴衣の装着方法とかは
CAが実際に救命胴衣を着ての実践だった。
なんか、ビデオじゃなく実際にCAが実践するのってスゴイ久々で懐かしく感じた。
CAも3人しかいない150人乗りの小さな飛行機だったけど、
一応プロペラ機ではなかったので安心。

那覇も暑いが久米島はもっと暑い。いや超絶蒸し暑い。
空港から出たら一気に汗が噴き出てきた。
すぐに冷房ガンガンに効かせたバスに乗り込む。
今回のツアーは20人くらいの参加者なので大型観光バスの前方だけで充分だった。
実は申し込みをした時、ツアー催行が決定していなかった。
3月下旬頃に催行決定の通知が来たが、何人くらい集まれば決定されるのかな?
やっぱ20人は必要なら、ほんと催行決定ギリギリの人数だったのかも。
まぁ、梅雨期間だから安いとはいえ、なかなか1泊で
久米島に行こうって思う人、少ないよな。

久米島空港を出発したバスが最初に向かったのは
国指定の天然記念物の琉球松でもある「五枝の松」
空港から15分もかからずに着いた。
さらに五枝の松から15分くらいで、下っているように見える上り坂「おばけ坂」へ。
人間の目の錯覚だけど、ほんと下っているように見えたが、かなりの上り坂だった。
さらに海沿いの絶壁にある奇岩の「ミーフガー」に行った後は
高さ200メートルの断崖絶壁から「はての浜」を望める「比屋定バンタ」
そして「真謝の美らふくぎ」で集落散策、さらに橋を渡って奧武島にある
自然が作り出した亀の甲羅のような「畳石」を見てホテルへ向かう。
小さな島なので、あっという間に島1周できてしまい、
バスに乗ってはすぐ到着を繰り返すので、なんか慌ただしく感じてしまった。
まぁ、見るところも限られている島なので仕方ないけど。
ちなみに梅雨中のためかオフシーズンなので、どの見学地も他の観光客と会うことなく
大型観光バスも全く走っていなかった。
普通なら、観光地には他のツアーの観光バスが停まっていたりするが、
観光バス自体1台も見ることはなく、レンタカーすらほとんど見なかった。
てか正直、どの観光地もほとんど興味のない場所で、ホテルチェックインまでの
時間つぶし程度にしか感じなかった。

14時30分くらいに久米島空港をバスで出発し、ホテルに着いたのは16時30分くらい。
2時間もあれば久米島の観光地のほとんど回れてしまうということだ。
それだけ小さな島だということでもある。
離島なんてそんなものだろう。
なんせ久米島には小学校は6校あるが中学校は2校、高校は1校しかないという。
小学校が6校あっても1校当たりの生徒数は10名ちょっとなので
そのうち統合して数も減る予定だとか。

宿泊するホテルは久米島で一番大きく豪華なイーフビーチホテル。
まぁ、豪華と言っても所詮は離島レベルなので本島に比べれば全然だけど。
しかし、ここは球団ができた当初の2005年から楽天イーグルスが
久米島キャンプで宿泊しているホテル。
ロビーには楽天選手のサインの入ったユニフォームが飾られていた。
そういえば久米島空港内にも楽天イーグルスの歴史みたいなものが飾られていたな。
ホテルは3階建てで全室オーシャンビューのため横に長〜いホテルだが
泊まった部屋は端から4番目の304号室。
エレベーターは1機しかなく、エレベーターから部屋まで
長〜い一直線の廊下を歩かなくてはならない。
ほんと、すごい廊下だな…って部屋に戻るたびに思ったよ。
大浴場が逆側の端なので、風呂に行く時はホテルの端から端まで歩かなくてはならず
風呂上がりに部屋に戻るだけで再び汗をかいてしまうほど長い距離だった。
だけど部屋は思っていた以上に広くてキレイ。

夕食は19時から。
それまで大浴場で風呂に入ろうと思ったが、混んでいると思い
土産物屋やホテル内、ホテル周辺の集落を散策。
あとロビーラウンジでケーキセットを食べてのんびり過ごす。
久米島に来た最大の理由は「のんびり」
ホテル周辺は、まさしく「のんびり」と時が流れているようだった。
特に他の観光客とも会うことなく、車通りもほとんどない。
近くの何でも売っている島で一番大きいと言われているスーパーは
思っていたよりも客が入っていたけど。

夕食の時間になったので1階のレストランへ。
夕食はバイキング形式ではなく久米島産の食材を使ったセット料理。
海ブドウのサラダやじーまーみー豆腐など沖縄っぽい料理の他、
久米島は沖縄の中というより日本一の車エビ養殖が盛んな島で、
島内には大きな養殖場がいくつもあった。
その車エビを使った天ぷらや、久米島産もずくを蒸した「蒸しもずく」という
初めての料理もあったが、車エビの天ぷらはメチャメチャ美味しかった。
こんな美味しいエビ天は今までで初めてかも。
そして、やっぱり量が多い。
デザートのフルーツまで全て完食したら超腹一杯。
再びホテル周辺の散策に出て、消化を助けた後に大浴場へ。
あえて夕食前の混雑を避けたおかげで男風呂を独り占め。
最初から最後まで誰も入ってくることなく、のんびり入浴できた。
久米島は海洋深層水の研究も盛んで、世界規模で見ても最大と言える研究所があり
このホテルの風呂は海洋深層水の風呂だった。
まぁ、何に効くかはよく分かんないんだけどね。

長〜い廊下以外は満足できたホテルだが、かなり気になるところが。
それは…ベッドが硬い。
なんか腰に悪そうな硬さだな…と心配しながら23時前には就寝してしまった。
翌朝、案の定……。

つづく


帰京してます

2018年05月21日(月)

昨日の21時頃に久米島から自宅に戻ってきた。
初めての離島だったけど、のんびりとした時間だった。
大荒れの北陸旅行と違い、今回は梅雨期間中で日曜の予報は
雨マークがあったにもかかわらず、一滴も雨は降らず天候には恵まれた。
というか、めちゃめちゃ湿気があって蒸し暑かった。
そして魔女の一撃に襲われたわけでもないのに…(>.<)
詳細は明日以降の久米島旅行記で。


明日は久米島

2018年05月18日(金)

1泊2日だけど初めての離島、久米島に行ってくる。
沖縄地方はすでに梅雨入りしているが、天気は大丈夫みたい。
てか、明日の久米島の気温は31度だってよ(^^;)


ヒデキ逝く

2018年05月17日(木)

昭和の歌謡史を情熱的な歌唱と激しいアクションで彩った西城秀樹が亡くなった。
まだ63歳、早すぎる…。
15年前の2003年に最初の脳梗塞で倒れたがすぐに復帰。
しかし8年後の2011年に再発。
それからは右半身の麻痺と会話をする際の言葉に障害が残った。
だが、2度の脳梗塞に倒れながらも懸命なリハビリを続け、
最期まで「生涯歌手」にこだわった人生だった。

新御三家の中でも西城秀樹は一番好きだったな。
子供の頃「情熱の嵐」の「♪きみが望むなら」とか
「激しい恋」の「♪やめろと言われても」とアクションを真似して
意味も分からず歌ったりしたし、大学の頃は「ギャランドゥ」とか
「炎」とか「悲しき友情」なんかをよくカラオケで歌ったりした。
「ブーメランストリート」や「ブーツをぬいで朝食を」「ジャガー」
「ボタンを外せ」「ブルースカイブルー」など名曲も多い。
オフコースの「眠れぬ夜」や洋楽のCareless Whisperを
「抱きしめてジルバ」としてカバーしたり様々な曲を歌いこなしていた。
子供の頃、衝撃的だったのは「薔薇の鎖」でのスタンドマイクパフォーマンス。
スタンドマイクを足で蹴飛ばし横にしたり回したりして歌っていた。
スタンドマイクパフォーマンスといえば矢沢永吉が有名だし
大友康平やダイヤモンド☆ユカイもやっているが、
西城秀樹は1970年代に始めてやっているので紛れもなく元祖だろう。
そして、なんといっても西城秀樹と言えば超人気音楽番組
「ザ・ベストテン」において、9週連続1位を獲得した「YOUNG MAN」で
唯一、番組史上最高点の9999点を出したのも衝撃的だった。
その後、誰もこの得点を出すことなく番組は終了したので伝説と化した。
いまや「Y・M・C・A」のあのポーズはアメリカに逆輸入されているほどだ。
本当に残念、ご冥福をお祈りします。


5度目のEXレイド

2018年05月15日(火)

今日は5度目のEXレイド。
もう招待状が届いても嬉しさ半減。
とりあえず時間の10分前に行ってみると大勢の人が。
初めて公園内だったので、招待されている人達で公園は賑わっていた。
ざっと見て50人以上はいたと思う。

始めた頃の天候は晴れだったが、途中でエスパー系の天候ブースト強風に
変わっていたらしく今までで一番CPが高いミュウツーだった。
しかし呆気なく3球目でゲット。
4体目のミュウツー、それも一番CPの高いミュウツーを無事にゲット。
ところが調べると二番目評価でガッカリ。
芸術的で驚異的じゃなければ要らないのでアメにするしかないな。


明日

2018年05月12日(土)

明日は久々の試合。
前試合が雨で中止になったので4週間ぶりだ。
しかし明日も天気が不安。
とりあえず雨は午後からだが、明日に限って試合開始が12時。
なんとか無事に始まり最後までもってもらいたい。
まだ今年は2試合しかしていない。
後半、ハードスケジュールにならないためにも明日は無事に試合がしたいね。


510

2018年05月10日(木)

今日5月10日は語呂合わせで「ごとうの日」
って、そんなわけないかヾ(^-^;)


沖縄梅雨入り

2018年05月08日(火)

今日は朝からずーっと頭痛。
こう寒暖差が激しいと身体が思うようについていかない。
ところで沖縄が梅雨入りをした。
今月、てか来週末に久米島に行くのだが完全に梅雨期間中。
まぁ、荒天は先月の北陸旅行でイヤというほど味わったので もう慣れた。
でも、ハテの浜にも行くので晴れてほしいな。


ヒマ

2018年05月07日(月)

ゴールデンウィーク明けだけでなく帰宅時間帯に大雨、
これじゃあ店はヒマなの仕方ない。
雨は小降りになっていたけど帰りの電車も空いていた。
明日も雨らしい…。
水商売は水(雨)に弱いから水商売と言うのは本当の話。


第3世代コンプリート

2018年05月06日(日)

そういえば昨日、ようやく第3世代をコンプリートできた。
昨年の12月初めに第3世代が実装されて約5ヶ月、
とりあえず国内実装された116種類すべて集めることができた。
すでにレベルは最上位の40だし、あとは何を目的にしようかな。
とりあえず主要をカンストするくらいかな。
早く第4世代が出てきてほしいよ。


再び…

2018年05月05日(土)

ゴールデンウィーク中だというのに昨日、ちょっと重い物を持ったら
再び腰に激痛が…。
ぎっくり腰の一歩手前状態になってしまい腰ベルト着用を余儀なくされた。
なんかダメだな。やっぱ歳だ。
明日で残り1日のゴールデンウィーク、安静に過ごさなければ。


暑かった春

2018年05月02日(水)

深夜の今は大荒れだけど昨日に続いて今日も日中は暑かった。
そういえば今年の3月、4月も全国的に気温が高い状態だった。
関東では平均気温が過去最高に達したという。
東京に限っても3月と4月の計61日のうち8割以上の50日で
最高気温が平年を上回った。
そのうち20度を超えたのは30日もあり、これは平年より21日も多い。
東京都心では4月の平均気温が平年より3.1度も高い17度。
その他、千葉や神奈川でも過去最高を記録し暑かった春だった。

暑かった春の原因として挙げられるのは、偏西風が平年より北を流れ、
南から暖気が入り込んだことと、高気圧の勢力が強かったので日射量が増えたこと。
そして今夏もさらに太平洋高気圧やチベット高気圧の影響で
全国的に猛暑が見込まれるという。
まぁ、こう暑いと野菜の生育が進んで出荷が前倒しになるため
ほとんどの野菜の値段が安くなる傾向だ。
冬の間は超高値だったキャベツやレタスなどの葉物野菜も
今では平年よりかなり安くなっている。

これからしばらくは暑い日が続きそうだ。
寒いより暑い方が好きだけど、もう年齢も年齢なので
体調管理はしっかりとしておかないとね。


早起き

2018年05月01日(火)

昨日の横浜では早くも日本橋七福神詣でのご利益があった。
まさか48人にしか当たらないのに、いきなり当たるとはね(^^)v
かなり驚いたと同時に嬉しかったよ。
ほんと朝っぱらから横浜に行った甲斐があった。

で、今日は本当なら店も休みにしようかと思ったけど
早朝から揚水ポンプのチャッキ弁交換工事。
断水を伴うので他のテナントが来る前に工事しなくてはならない。
なので朝6時には店に到着。7時前から工事が始まり
結局、午前中いっぱいかかった。
水が使えないので早朝から店にいても仕込みもできず。
かといって横になって寝ていることもできず。
午前中はかなりツライ時間だった。

そんなことより「山口メンバー」という呼び方に違和感。
鉄腕DASHのDASH海岸は好きだったんだけど、もう存続は厳しいのかな。
リーダーだけじゃ画にならないだろうし。
かなり学術的にスゴイ発見とかもしていたのに残念。
極楽の山本はテレビ復帰に10年かかったけど、今後TOKIOはどうなるんだか。
以前、リーダーが「TOKIOはひとりでも欠けたらTOKIOではないので解散して
自分は芸能界を引退する」なんてこと言っていたようだけど
たった一人のバカのせいで解散するなんて
本当に取り返しのつかないバカなことしたよな、山口メンバーは…。

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