川底を流れる小石のように。  〜番外編〜  海老蔵への道!
もくじを見てみるひとつ前現在に近づいてプチ画像日記


2005年08月31日(水) 出口のない海。

 昨日の松戸からの帰り道、
 成田屋友達と電車に揺られつつ、ためいき。
 というのも、なぜか10月以降の海老蔵の予定が「未定」のまま発表されていないからだ。
 わかっているのは来年1月の演舞場で「信長」をやるということ。
 3ヶ月も未定のまま舞台に立たないなんて、気になる!気になりすぎる。
 
 振り返ると、襲名が決まってからは特に、
 先々の大まかな予定は、かなり早めに発表され、
 遠征のやりくりあれこれを、常に考えてる状態が続いていたのに、
 急にぽっかり「未定」となると、気が抜ける。

 この松戸を見終えると、巡業の西コースは、西日本をグルグルまわるので、
 私はどうやら、もう行けそうにない。
 とすると、9・10・11・12月と4ヶ月も!
 舞台の海老蔵を見ることなく過ごすことを考えると、さらに脱力。
 友人は「もう何をして過ごせばいいのか、わかんない〜」などと言い出す。
 

 そんな寂しいどんよりを、吹き飛ばしてくれた今朝のスポーツ紙!
 わほー!

 消えてしまうと寂しいので、コピペ失礼。
 以下「スポーツ報知」より

 海老蔵 初映画初主演 闘病中の父・團十郎に「親孝行」を

 歌舞伎俳優の市川海老蔵(27)が主演でスクリーンデビューを飾ることが30日、分かった。横山秀夫原作、山田洋次脚本「出口のない海」(佐々部清監督、松竹系、来夏公開)に元甲子園の優勝投手役で出演し、人間魚雷「回天」に乗り組む特攻隊員を演じる。襲名披露中の海老蔵は、父親の市川團十郎(59)が急性前骨髄球性白血病再発の疑いで半年間の休養が報告されたばかり。「この映像の仕事に全力ぶつかっていくことが父への親孝行」の気持ちで新境地に挑もうとしている。

混乱の中…1週間前決断

 海老蔵が敬愛してやまない父親の再入院という状況の中で新たな決断をしていた。新之助時代も含め、初めてとなる映画への出演だ。1週間ほど前、松竹関係者、佐々部監督と直接に会って正式に出演の意思を伝えた。

 戦後60周年記念の映画がたくさん製作される中、特攻隊員の苦悩が描かれる「出口―」は映画化が発表されただけ。詳細が伏せられていたのも、松竹は海老蔵での主演を慎重に温めていたからだった。歌舞伎界を担う若手役者に、舞台だけにとどまらず、ひと回り、ふた回り大きく成長してほしい願いがある。

 歌舞伎の所作を生かすことのできる時代劇ではない作品での映画デビューは異例ともいえる。が、「佐々部監督とご一緒できることは現在の私にとって大いに勉強になり、豊かな糧ともなると思います」と、製作側の熱意にも押され、初映画で主演という大役を引き受けるに至った。

 日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得した同じく横山秀夫原作「半落ち」の佐々部監督がメガホンを執り、かねてより“スポーツもの”を手掛けたい希望を持ち続けていた巨匠・山田洋次監督が脚本を担当するなど経験豊富なスタッフがそろう。共演者のキャスティングも大詰めに入っている。

 脚本もほぼ完成。海老蔵演じる主人公・並木浩二は脚光浴びた甲子園の元優勝投手。大学進学後、不運にもひじを痛め、思い通りの投球ができない挫折を味わいながら「魔球」完成の夢を捨てようとはしない。

 その一方、時代は日米開戦、太平洋戦争が始まり、並木は次第に自責の念にかられ、海軍入りを志願。いとおしい恋人を残し、脱出装置のない人間魚雷「回天」に乗り込むことを自らの意思で選択する。胴直径1メートル、1人乗りの狭くて暗い艦内。生と死、正気と狂気のはざまで若者は何を思うのか…。実際に回天に乗っているような錯覚にとらわれる緊迫感で読者を引き込んだ原作が、スクリーンでいかに描かれるか注目される。

 クランクインは10月下旬。海老蔵は「今年は襲名の仕上げと新しい挑戦の年」と襲名披露だけで落ち着く気持ちはない。「父の入院治療の事態はせがれとしては(父が)心配でなりませんが、この映像の仕事が親孝行と信じ、精いっぱい、努力してまいります」とコメント。舞台、テレビでも大役をこなしてきたが、新しい雰囲気に触れられることを心待ちしている。
(スポーツ報知) - 8月31日8時0分更新

 ということらしい。

 そうか、そうだったんだ!

 テレビ画面でドラマを演じる海老蔵というと、
 大河の武蔵と、ずーっと昔の「仲蔵狂乱」かぁ・・・。
 一抹の不安はよぎるものの、何やらムクムクと楽しみになってきた。

 帰りに早速、横山秀夫「出口のない海」を購入。
 わしわし読む。
 おもしろいいいい!
 そして主人公「並木」を、海老蔵に置き換えてっと。
 わお!すごい楽しみ!
 
 監督のHPのチェック
 ここの「ほろ酔い日記」これから、のぞくのが日課になりそうだ。

 
 竹本葵太夫さんの「巡業日記」でも、昨日の松戸の実盛を、
 「磨きがかけられたおとなの実盛」とのこと。
 うんうん。

 と、そんなわけで、
 思わず浮かれて日記を書いたり。
 てへへ。


2005年08月30日(火) がんばってたよ・・・。

 びっくりするくらい、日記を書いてない。
 このところなんだか目が疲れて、パソコンにむかうとチカチカするので、
 なんとなく億劫だったり、
 それから、まあ色々ばたばたしているうちに、
 2ヶ月もほっぽってしまって、ありゃりゃ・・・。

 ざっと駆け足で、ぐるぐるしてみると・・・・

 6月の博多座の千秋楽、助六は「濃い」舞台で、
 海老蔵は、いとおしむようにたっぷりと助六してた。
 そしてさっきまで、あんなに濃厚な舞台をつとめ終えたばかりだというのに、
 見事な早業でザックリ着替えを済ませ、羽田行きの最終便に乗り込む一座の皆さん。
 楽屋口のファンのお見送りも熱く、
 その隅っこで、なんだかぼーっと見守ってしまった次第。

 さて7月。
 これはまず、菊ちゃんの十二夜。
 菊ちゃんと蜷川さんに、もうちょっと作り込む時間をあげたかった気がしたけれど、
 それでも新しい試みを、あの清潔な笑顔で頑張りとおした菊ちゃんに乾杯。
 
 大人計画の「キレイ!」を観て、
 ケガレ役のランランがとっても気持ちよさそうだった。

 海老蔵の巡業も、あちこちで3度観た。
 2003年12月、私が魂を奪われた新之助実盛は、
 2005年、落ち着きと貫禄を増し、ちょっと渋い海老蔵実盛となって帰ってきた。
 あの清冽で若くひたむきな実盛が、もういないのは寂しかったが、
 こうやって、演じる本人も、その役も、観てる側も、年を重ねていくのだろう。
 團パパは、ちょっと足許が力無く、パパやっぱり巡業は辛いのかも?と思ったり、
 ポツポツと一週間おきくらいに見ていると、
 その都度ちょっとづつ痩せてるように見えた。
 誰かが「大丈夫かなあ?」と心配の声をあげると、
 「きっと疲れてるんだろうけど、大丈夫さ〜」といい、
 誰かが「なんか痩せたね・・・」と、また不安な声を出すと、
 「スッキリしてハンサムに戻ったんだよ」と励ます、
 私のまわりの成田屋な友達の間では、そんな会話が交わされていた、
 7月の巡業東コース。

 そして7月のラストには京都の比叡山へ。
 何度行っても京都は素敵。
 だけど、今回は同行の友達のおかげで、
 さらにスペシャルな旅になったし、
 比叡山歌舞伎も素晴らしかったし、
 山から眺める琵琶湖の夜景がキラキラまたたいて、
 ああ、行ってよかったありがとうな旅だった。

 駆け足で書いても、我ながらよくまああちこち飛び回って、
 日記が書けなかったのも、納得してしまう。
 

 ようやく8月。
 お盆の休みは、実家で親孝行(?)し、
 演舞場で「もとの黙阿弥」をみて、歌舞伎じゃない舞台も、たまに見るといいなと思い、
 納涼歌舞伎の法界坊で、納涼パワー中村屋パワーに笑い、
 この日は津川雅彦さんと米倉涼子さんも観劇しており、
 本当に、よくお会いしますねと、心の中で思う。
 
 恵比寿のジョエル・ロブションで行われたジャッキーこと雀右衛門さんのお誕生会、
 ワインが美味しくて、
 立食ではあったけれど、
 どれも本格的なフレンチを小さく可愛らしく盛りつけたお皿の数々に舌鼓。
 そしてジャッキーは、85歳とは思えぬお元気ぶりで、
 優しい笑顔で、力強く握手してくださって、わ〜感激。
 また京屋さんのご贔屓の方々が、なんとなくおっとりと優しくて、
 私みたいな友達のオマケみたいな参加者にまで、皆さんにっこりと、
 こんなアットホームな雰囲気ですから、また是非参加してくださいね〜と声をかけてくださって、
 幸せな時間であった。

 それからひどい夏風邪をひいて、納涼の一部と二部は見逃して、残念無念。
 
 風邪でフラフラしつつ、仕事を終えた先週の土曜、
 友達からのメールで、團パパが白血病再発の疑いで半年休業と知る。
 それを聞いてさらに風邪が悪化し、週末はフラフラうつうつじめじめと過ごす。
 
 これではイカン!と思い、月曜の昼休みに抜け出して病院へ。
 パリから帰って、風邪でダウンしたときにもお世話になった小児科だ。
 クマのプーさんであふれかえった乳児用のベッドが気持ちよさそうだが、
 横目で眺めつつ、ちっちゃな手に包帯してる小僧の隣で、待つ。
 先生に笑われつつ、こないだと同じクスリ出しておくねと言われる。

 このクスリがとても効いてくれて、
 明けて火曜、どうやら出かけられそうだ。
 今日は海老蔵巡業西コースの初日だ。
 パパは昨日から入院したらしい。

 かぶりつき方面の席だったせいか、何度も見た演目なのにビンビンくる。
 実盛も気迫がこもっている。
 小万の腕を切り落とすくだり、舟の上の情景が見えた気がしたし、
 若君誕生のくだり、ぱ〜っと喜びのオーラが広がって 
 新たな武将実盛の魅力に、心動かされた。

 口上は、舞台上にたった4人・・・。
 これまで團パパやジャッキーがいつも仕切って、
 「これにひかえおりまする新之助改め〜」と紹介(?)されてきたところも、
 海老蔵が自分で言ってた。
 でも、家橘さんやジュッチーの口上は、寂しくならないように、
 楽しい方向でお話していたし、
 俯いて聞いている海老蔵も、ちょっとニヤリとしてたりして、
 しめっぽくならないように心がけてるのかな・・・と思う。
 パパの口上の、短いなかにも愛嬌のある大らかな空気、
 海老蔵はちょっと早口だったとはいえ、充分受け継いで、しっかりつとめていた。
 それでもやっぱり「團十郎もおわすれなく」などと言われると寂しくて、
 心配で、海老の頑張りにも心動かされて、
 うるうるるる・・・。

 巡業バージョンの「お祭り」は、もともと短い演目だったが、
 右之助さんと家橘さんが芸者、ジュッチーが若い者で登場、海老蔵が鳶頭。
 かしらと呼ぶには、若々しすぎるけれど、
 でも鳶頭姿、似合ってた。
 そして、こうして同じ衣装をつけると、海老蔵はなんて團パパに似てるんだろう!
 首のかしげ方、目線の配り方、パパそっくり。
 
 お決まりとはいえ「待ってました!」の声がかかると、
 「待ってました?」とちょっと苦笑いで問い返し、
 「待っていたとはありがてえ!」と受ける海老蔵。いいぞ、よくやったと思う。
 パパの不在を、海老だけじゃなく右之助さん家橘さん市蔵さん、みんなでカバーしてる空気が
 じんわりと泣けてくる。
 沢山の声がかかる中、短い「お祭り」も幕。

 大変ではあろうけれども、きっと無事に西コースも頑張り通してほしいと願いつつ、
 会場を後に。

 帰宅すると、HPにパパのコメントが・・・。
 なんだかパパらしくて、またもやじんわり。

 そうして、もう8月も終わるのだ。


 

 この日記も、一段落させて、
 もう少し、気軽にサクッと何か出来ないかな?と考え中。
 
 日記の「海老蔵への道」というサブタイトルも、
 今日の海老蔵さんを見ていたら、「への道」はもう必要なくて、
 すっかり立派な海老蔵になってしまっていたことだなあ・・・と思う。

 

 また何か、新たなカタチが見つかったら、ご報告します。
 それまで、たまに画像日記だけでも、のぞいてやってください。
 私はかわらず、劇場でうるうるしたり、うとうとしたり、きゃいきゃいしたりして、
 過ごすと思われます。



 






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