なべて世はこともなし
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2001年06月30日(土) アイルランドのパブで繰り広げられている話とわ??

ダブリンは、セール真っ盛りです。ダブリン、ひいてはアイルランド、ついでにイギリス、もっと言えばヨーロッパの商店は日本のそれに比べてやる気がない。日本なら週末になると、新聞から「セール」のチラシがばさばさと落ちるが、こちらでは、セールと言えばクリスマス後のセールと、この時期の夏のセールの二回のみ。そのくせ、町全体がセール一色に染まり、商店街は活気を呈します。で、おいらは全く欲しいものがなかったものの、とりあえずボーナスも出たし(金額は聞かないで) 朝早くから街に行ってみた。

予想したほどではなかったにせよ、町は結構な人込み。最近町に来ることがほとんどなかっただけに(自宅と会社を往復する限り、町には全く用がない)人ごみに疲れてしまった。で、結局、彼女にあげるのにちょうどいい写真立てという、まさに一番どうでもいいようなものを買ったのみ。

昼過ぎケータイが鳴る。

「今、町にいるけど会わない??」

電話の主は、このページにしょっちゅう登場するイギリス人の友人マークちゃん。人に借金があるくせに、返さずに飲み代に使ってしまうとんでも野郎。でも、本当に頭が良くて憎めないやつだから文句は言えないのだが(とフォロー)。

ま、彼と会うということは、自ずとパブに行くということで、当然のように、パブで会う。この日は、マークちゃんの悪友デレックにさらに彼の友人の女性二人まで来ており(ひとりはスッチーさん)、すでに場は盛り上がっている。

ちなみに本場のアイルランドのパブで繰り広げられている話のネタって興味がありません?実にくだらないです。そのいくつかを紹介します。

これは、デレックが吸っていた「キャメル」のたばこの箱をかざしながら言ったこと。おいらはたばこを吸わないので日本で「キャメル」を売っているかどうか知らないが、「キャメル」にはその名の通り、ラクダさんの絵が箱に描かれている。彼のアイリッシュジョークは時に寒く、時に面白い。

「ある日、老婦人がバスを待っていた。で、彼女がバスを待つ間に『キャメル』を吸いはじめた。(この情景はいかにもアイルランド的だが)バスを待っていると突然雨が降り出した。老婦人は慌てず焦らず懐からコンドームを取り出し、それを切って『キャメル』が濡れないようにたばこにかぶせてこともなげにたばこを吸い続けた。」

良く考えてみるとゴムが焦げるやんとも思うが、所詮はナンセンスなジョーク、突っ込まんと聞いとくれやす。話は続く。

「で、その老婦人、翌日、薬局にコンドームを買いに出かけたんだわ。それで、薬局のカウンターで『すいません、コンドーム一箱下さい』って言うんだわ。老婦人がだよ。するとカウンターの女性が応対して、『すいませんどのサイズですか』って言う。で、老婦人、何て答えたと思う?」

「何だろうと」聞き入るおいらたち、言うまでもなく次にはオチが来る。

「老婦人は『キャメル(ラクダ)に合うサイズの下さい』って言ったんだ」

…………寒いっすか?すいません。が、アイルランドのパブで言われてるジョークって所詮こんなもんっす。

で、マークのとんち話。彼は頭がいいので、どこで仕入れてきたのだか、こんなことを言いはじめる。

「想像してごらん。そこに二つのドアーがある。ひとつは外の世界に出ることができ、もうひとつはへと続くドアー。で、その前には二人の人間が立っている。ひとりはいつもうそばっかりいうやつで、もうひとりは全くうそをつかないやつ。で、君はどちらが正直なやつでどちらがうそつきか知らない。で、その二人のうちのたったひとりに、たったひとつだけ質問をすることができる。君は何て質問をして、外に出るドアーを探し出す?」

これまたナンセンスだが、何度も言うけど、アイルランドのパブで繰り広げられているネタってこんなもん。おいらたちがしこたま酔っていることも計算にいれてね。

閑話休題。酔っ払った頭にこんな難題を突き付けられて、スッチーさんを含め悩みはじめるおいらたち。数分後、おいらたちはギブアップ。

「マーク、答え教えてよ?」

得意そうに鼻を膨らませるマーク。

「それはね、どちらかに『このドアーが正しいドアーか』って聞けばいいんだよ。」

なんだか良く分からない人は、申し訳ないけど、もう一回読み直してください。んで、このマークの回答は明らかに矛盾している。だって、どっちが正直なやつで、どっちがうそつきかわからないんだから、そんなことをどちらかに聞いたって何の答えにもならない。当然おいらたちはみんなで非難轟々の集中砲火を浴びせる。

すると、マークは真顔で、

「忘れちゃった」

………あほー。気になるやんけー。

誰か、答えのわかる人は教えてくださいまし。ま、所詮、これがアイルランドのパブでの話です。大したことはないことだけは、お分かりいただけたかと。


2001年06月28日(木) 慙愧の念って何やねん??

相変わらず、会社で自分が何をしているかわからないのですが、何やら、6月末はうちの会社の会計年度末なんだそな。てなわけで、突然ブラックリスト顧客の洗い出しを命じられ、てんてこまいに忙しかった。おい、スーパーバイザー、こんな仕事があるなら、どうして暇だった昨日のうちに渡さんねん?おまえには計画性というのがないんかい!!(愚痴)

悪いことは重なるもんで、別の同僚がちょっとしたエラーをして、それが程度は知れているにせよお客様にご迷惑がかかる事態となり、その謝罪メールを代筆したり(あとから考えると、「慙愧の念」ってなんやねん、と笑ってしまった←ちなみに読めますか?)なんだかパニクって残業までしているうちに一日が終わってしまった。

このくそばかアイルランドはおいらのことを嫌いらしく、昨日と今日と、おいらが会社から帰る15分間を狙い撃ちして雨が降った。とはいえおいらは急いでいたので、雨に濡れて帰宅。

そして夜、ダブリンで就職活動中のTさんという女性と町で会う。なかなか優秀な経歴の持ち主にもかかわらず、まだ就職活動は成果がないとのこと。やはり「ガイジン」として就職活動をするのは容易ではないと再確認。

そうそう、今日は給料日、年に一度のボーナスまで入っても、来月も赤字なり。ロトも2週続けて当たったけど、5ポンド(700円)じゃあ、何の足しにもならんわな。

という訳で、身辺雑事だけで今日は失礼します。週末、何か長いものを書こうと思っています。


2001年06月27日(水) 160字に込める想い

Hi there! Txs 4 readin my diary.I'd B more than haP if U let me know how U found it.Also don't 4get press the "vote" botton 4 Nikkisite.Hav a good day.Snigel

このメッセージでほぼ160字。何の話かって?こっちでもケータイは発達してて、そのケータイでご多分に漏れずメッセージを送ることができる。で、その文字制限が160字なのだ。

アイルランドのケータイはGSMネットワークの一員。GSMネットワークはアメリカ・日本を除く世界各地で発達しており、おいらのケータイは、例え香港でもポルトガルでもオーストラリアでも使える。

で、このシステムの何よりも優れた点は、160字までのメッセージなら、GSMのネットワーク内の世界中のどこへでも送れること。おいらのケータイからドイツにもハンガリーにもたった10ペンス(14円)でメッセージが送れてしまうのだ。

となると、言うまでもなくこのメッセージはおいらと彼女の架け橋として大活躍しているのだ。この日記で何回か書いたとおり、おいらの彼女はドイツ人。しかもドイツに住んでいると来た。当然月に一回くらいしか逢えないし、電話も毎日するけどさすがに1時間も2時間も話せない。そんな訳だから、このメッセージのサービスはおいらたちにとって本当にありがたいサービス。

でも、落ち着いて考えてみると、たったの160字でいったい自分の思いのどれだけが伝えられるというのか。また、相手の思いのどれだけが分かるというのか。

遠距離恋愛というのも善し悪し。いい点としては、(古い表現だけど)「スープがなかなか冷めない」ということ。遭うたびにお互いすごく新鮮な気がするから、一緒にいる時間がすごく貴重に思えてすごく濃密な時間を過ごせる(「すごく」を一文に3回も使ってしまった)。

反面、遠距離恋愛はお互いが本気でない限り続かない。だって、淋しさが高じてほかにいい人が見つからないという保証はどこにもないのだ。相手を信頼しなければいけないのはもちろんのこと、自分自身にも自信がなければ続かない。

実際、おいらの周りでも、たった数日前に遠距離恋愛が終わった人がいる。無論詳しい事情はおいらには分かりようがないけど、とどのつまりはお互いに自信がなくなったのだと思う。やった人でないとわからないだろうが、遠距離恋愛は本当にパワーを使う。

おいらは彼女を信頼してる。だから、彼女が誰と出かけようと、どこで何をしようと気にしない。それくらいのしなやかさがないと、こんな関係は続かない。逆に彼女もおいらを信頼してくれてる。すごく微妙な関係だけど、すごくいい関係だと思う。

今日も彼女を想いながら自分の部屋にいる。確かにせつないけど、でも、そのせつなさだけ、次に彼女に逢った時に夢のような時間を過ごすことができる。その時間だけが楽しみで、おいらは今日も生きている。

なんだか、書いた本人が読み返して気恥ずかしくなるほどくせー。昨日と同じ作者の日記とは思えないな(ははは)。作者は多重人格者だったりして。


2001年06月26日(火) ピュアピュアなつもりがドロドロな話

実は、プールでぷかぷか泳ぎながら、「ピュアピュアな」(C)キャメロン様)恋の話をしようと思ってたのだが、帰り道で気が変わってしまったのだ。

おいらが、泳ぎ疲れて(というほど泳いでいないが)うちに向かってMalahide Rd.の坂道をえっちらおっちらチャリのペダルを漕いでいた。で、そこの歩道で「ぎょっ」とするものを見てしまったのだ。

…キスをする10代のカップル。いや、顔はキスしてたからはっきり見えなかった。でも、例の品のない格好からして10代に違いない(と思う)。で、キス自体で驚くほどおいらは「ピュアピュア」じゃあない。その仕方。座り込んでかなり激しいディープキスを繰り出していたのだが、おいらが横を通過する頃、ついに二人は寝転がり、さらに激しいキスを始めたのだ。

もう一度申し上げます。そこは、車の途切れることのない大通り、排気ガス溢れるMalahide Rdの歩道です。…んなとこで、発情してんじゃねえよ!(「発情」以外に適当な日本語が浮かばない)

…と言うわけで、おいらの「ピュアピュア」な心はどこへやら。いつの間にか、「どろどろ」な話が始まってしまうのです。

この国のナイトクラブ。あたしゃ嫌いで行かないが、どうも男も女も「踊りたい」と言う目的で来るよりも、もっと性的な目的で来るものが多いらしい。踊り狂ううちにどこからもなく男がやってきていつの間にか二人は夜のとばりに消えて行くという…。

…ここで問題、いったい二人はどこへ消えるのか?

これ、アイルランドに来て以来の謎なのだ。まったくドロドロの話で恐縮だが、アイルランドにはラブホという便利なものがない。つまりどこに行けばいいのか。当然自分の家ということになる。が、年が若いとかで、自分の家が使えない場合はどうなるのか。

Dublin在住の作家Roddy Doyleの映画にもなった小説The Snappersでは、妻子持ちのオヤジが、10代の女の子と、出会ったホテルの駐車場の車によりかかって行為に及ぶというとんでもないシーンがある。(このシーン、セリフがすごく面白いので是非ビデオを見てちょ)。

てなわけで、行き場がない気がするのだ。最初のMalahide Rdの10代カップル、自宅に行ったら親が文句を言う気がする。うーむ、いったいどうなるのだろう。

一つの説として、アイルランドにここまでパブカルチャー(pub culture)が定着してのは、一つには家が狭いからではないかという奴がいた。おいらもその通りだと思う。てなわけで、パブでできないことをしたい時にはいったいどうすればいいのか?誰か知ってる人は匿名でそっと教えてくれい。

この先も書こうかと思ったが、これ以上書くと、読者さんが減りそうなので、自粛。明日は、他にネタが浮かばなかったら、「ピュアピュアな」お話をお届けしようと思ってます。


2001年06月25日(月) 町へ行くのは命がけ

実は、来月(7月)の第1週から3週間、にわか学生になることにしたのだ。学ぶものはドイツ語。Fitzwilliam Squareの某学校に先週電話をしたら、まだ来週からの初心者コースに空きがあるとのこと。「ラッキー」と思い、その場で申込をする。よくよくパンフを見ると、「6/2日申込締切」と書いてあるのだが…。ま、ここはアイルランド、細かいことは気にしないことにしよう。

で、このコース、ドイツ語の初級コースなのだが、なかなかハード。月−金の毎日、午後6時から10時まで4時間のコース。まっとうに社会人しているおいらにはなかなかきつい話。ま、昔日本で週70時間働きながら学生してた時もあったけど(常人の参考になる数字じゃないね)。

で、かくなる訳で、とてもジムに行く余裕などない。仕方ないから、ジムはやめることにした。で、昨日、どうやってやめれるかを聞くと、「書面により、30日前までに知らせよ」とのこと。…つまり来月の分は払えと言っている訳。困ったことには毎月の支払いは銀行からの自動引き落とし。おいらは一計を案じた。そう、自動引き落としを止めちゃえばいいんだわ(わっはっはっ)。

おいらの仕事は、朝の7時から昼の3時30分までの変則的なもの。利点は昼早く帰れること。銀行は4時まで開いているので、駆け込めば間に合う。という訳で、おいらはこんな計画を立てた。

3時30分きっかりに会社をあがる。

チャリでダッシュで、Trinity collegeの前の銀行へ
(自動引き落としを止める)

そのまま、Fitzwilliam Squareのドイツ語学校へ。
(授業料を払う)

ついでだから、本屋でテキストも買う

スーパーで軽く買い物をして帰る

うちでくつろぐ。


ああ、カンペキな計画。こんな計画を立てたおいらは、3時30分になる前からさっさと帰り支度。で、3時30分になるなり(あるいはフライングだったかも)、あいさつもそこそこに、チャリに飛び乗る。で、North StrandをCity Centreに向かい駆け抜ける。

それにしても。恐い。数日前の日記でも書いたとおり、この国で自転車は車道を通る。で、City Centreはとてもまともな神経をしてたらチャリでは走れない。車のマナーがめちゃくちゃだから、何が起こるかまったく予測がつかない。しかも、片側5車線ある橋を中央のレーンまで行ったり、右レーンからばんばん左折してくるふたまたを右折したり、もうめちゃくちゃ。車のドライバードもは自分たちのマナー・ルール無視を棚に上げてこっちが悪いといわんばかりなのだから恐れ入る。頭の悪そうなバイク便のオヤジに”F*** you”と言われ(何と言い返したかはヒミツ)、2番のバスの運転手にクラクションを鳴らされ、もうひっちゃかめっちゃか。

銀行。とりあえず閉店間際に駆け込みセーフ。珍しく笑顔で応対してくれる銀行員のおねえさんがすべてをにこにこやってくれる(手つきが危なっかしかったがそれはご愛敬)。

で、そのまま、Fitzwilliam Square(Leeson Stの近く)のドイツ語学校に勢いで行く。するとドアには、

Due to the staff training, school is closed on 25th June. Sorry for any inconvenience caused.
(スタッフトレーニングのため、6/25は業務を行いません。ご迷惑をおかけします)

「うそこけー!どうせ社員旅行で伊香保温泉にでも行ったんだろうが!」とも思うが、誰もいないので、怒りのぶつけようもない。そのまま退散。

で、Nassau Stを1本外れたとこになる行きつけの語学用の書籍専門店へ行きテキストを買おうとするが、あいにく品切れ。しかし、店員の対応がよくおいらは怒らない。やはりアカデミックなところにいる人は対応がいい。そのまま、別のPearse Station脇の書店で、テキスト購入。で、そのあと、排気ガスまみれになりながら、スーパーに行き帰ってくる。

帰ってくると、汗(めちゃくちゃな交通からの冷や汗含む)と排気ガスで顔は冗談抜きでぐちゃぐちゃ。そのままシャワーへ行き、今に至るという訳です。ほんとに、この交通だけは何とかならんかね。

今日の教訓:まだ死にたくないので、来週からの通学は金はかかるがバスにしよう。



2001年06月24日(日) 「おいらの語学留学体験記」その2

「おいらの語学留学体験記」その2です。前回は、留学代行業者が10万もとると聞き、すべてを自分ですることを決めたとこまでお話したと思います。

で、自分ですると決めたものの、いったいどうしたものか。自慢にもならないが、おいら、それまでハワイや韓国を含め、一度も海外に出たことがなかったのだ。

海外に出るなら、とりあえずパスポートがいるべえと、立川にあったパスポートセンターにパスポートを取りに行く。これ自体は問題なくできた(当たり前だわな)。

で、次、ダブリンの語学学校に申込書を書き、それを送る。で、三菱銀行(当時)の八王子支店から、いくらか忘れたが(おそらく2-3万程度だった気がする)語学学校への入学金を払い、とりあえず、3ヶ月分の申し込みをする。

…ここまではいたくうまく行った。「へっ、代行業者がなんぼのもんじゃい!」とちょっと勝ち誇っていた。…ところが、世の中はそんなに甘くなかった

次に手に入れなければならないのは、そう、航空券。今じゃ結構航空業界の裏までも知っている(ような気がする)が、当時はまさに赤子状態で何も知らない。一年の語学留学のつもりだったけど、いつに本に戻ってくるかは知らなかったので、「じゃあ、片道航空券を買うべえ」と思う。フィックスチケットとか、1イヤーオープンチケットとか、チケットに種類があるなどつゆ知らず…。おなじみHIS八王子支店に行き、「ダブリンまでの一番安い片道航空券下さい!」と言う。一番安いのはかのロシア系の航空会社だったが、当時多くの人が思ってたイメージをおいらもご多分に漏れず持っており、「ちょっとそこだけはご勘弁」。…てなわけで、二番目に安かった、大韓航空とブリティッシュ・ミッドランドの片道航空券、一金10万円で購入。

今にして思えば、何てばかな買い物。1イヤーオープンチケットを買うか、はたまた、安い35日フィックスのチケットを買って、片道を捨ててしまった方がはるかに安く付いたろうに…。ま、当時は、そんな悪知恵を持っていなかったのです。

で、この「片道航空券」というのが、あとあと大々的な問題になる。「成功する留学」だかなんだかのそのテの本を読んで、だんだんとんでもない事実に気がつきはじめたのだ。

その事実とは…

★ アイルランドにイギリス経由で入国するさいは、イギリスで入国審査が行われる。
★ イギリスの入国審査はなかなか厳しい。
★ 語学留学でも、「観光」と言って入国できるが、万が一ウソがばれた時は実にややこしいことになる。
★ 充分資金があることを証明しなくてはならない。
帰りの航空券を持っているか聞かれることがある。
★ 下手をすると「入国拒否」される。


ここで、片道航空券、というのがネックになってきた訳。で、とりあえず、語学学校に「入学許可証」をもらおうとするが、これが来ない。仕方ないから、ファクスで催促する(電話で催促するほどの英語力があれば、おいらは語学留学しようとは思わない)。で、夜中ファクスが来た。「やった!」と思ったら、



ぶちっ



と、途中でなぜか切れてしまった。真っ青になったおいらは緊急事態なので、電話。で、語学学校のおねえさんと話す。

おいら:「ハロー。あい、くどのっと、れしいぶ、ふぁくす。」
おねえさん:「G^$^@#*@*(UERG#%^)」
おいら:「ぷりーず、ふぁくす、あげいん」
おねえさん:「594t504 9&*^IU FAX $#^$」
おいら:「いえす、いえす」


この時でした。おいらに英語力がないと気づかされたのは。何せ、相手が何を言っているのか全然分からない。それでも、何とか、ファクスを送ってもらうことに成功。ま、この辺が10万払ったか払ってないかの違いになる訳ですね。10万払ってりゃ、片道航空券とか、入学許可証で悩む必要ななかった訳で…。

で、航空券に不安を残したまま、上野の多慶屋に行き「一番大きいスーツケース下さい!」と、最バカなことを言い、多慶屋扱うスーツケースの中で一番大きいものを購入。そのスーツケースをパンパンにして、1996年3月2日、おいらは成田へ向かったのでした。

(続く)


2001年06月23日(土) ホットジャンクメール

おいらにとって毎日メールボックスを開けるのがとても楽しみなのは、昨日報告した通り。このホームページ、いちおう「匿名」でやってるから、メールアドレスもいちばん無難なホットメールを使っている。確かに便利なんだけど、ジャンクメールの数ではおそらく世界一なのではないかと思う。

読者の方からのメールの数とほぼ同じ数のジャンクメールが、メールボックスに届く。きのう届いたもの(削除済)

jnuiqiuqwr62621@msn.com から、HAVE A SMALL DICK? MAKE IT BIGGER!!!(ありがちですよね)
bjorn423@hotmail.comからYoung Little Girls XXX (13 to 17)


あのー、特に二つ目、「違法」というやつではないでしょうか???もっと言えば、本文の下についてある、ハイパーリンクを押すと、かなりの確率で、コンピューターウィルスが送り付けられてくると思う。どこのバカが、不特定多数にそんなもんを送り付けようとするねん。それとも、バカ高い料金をふんだくって会員権を売ろうという算段か?

このテの輩は、このテのメールをまさに絨毯爆撃してるんだろうから、受け取る側がどんな人間かなんて気にしないんだろうなあ。そう言えば、日本の官房長官のケータイにも「出会い系」のメールが来るとか。(官房長官をそんなとこに誘うってどうするねん)

一番すごかったのが、Unknown SenderからTitle Unknownのメール。添付ファイルが付いている。面白がってウィルスチェッカーを走らせたら、もろウィルスでした。

で、「ブロックセンダー(特定の送り主からメールの受け取りを拒否する)機能があるけど、このbjorn423@hotmail.comは、毎回アドレスの数字部分を変えて同じようなメールが届くのでブロックのしようもない。特定の人以外からのメールを拒否すると、読者の方からのメールも拒否してしまうし、お手上げです。困ったことには、ホームページを立ち上げて以来、ジャンクメールがとみに増えているんですよ。そうそう、日本語でのジャンクメールも増えて来た。

実は、仕事探しを始めた時に別のホットメールのアカウントを開いたのだ。で、片っ端からCVを送った。そのアカウントについては、もはや、ジャンクメールの見本市会場と化してしまった。数ヶ月に一回、「もしかしたら旧友からのメールがあるかも」とメールを救出に行かねばならなくなる。すると、2-300のジャンクメールが来てるんだからたまらない。(その裏に「バルクメール」としてブロックされたジャンクメールが数百あるのだからねえ)


★ ★ ★ ★ ★


話は一気に変わるのですが、日本に行って来た時に、小田和正のLooking Back2を買って来ました。で、今もそのCDを聞きながら書いてます。白状すると、中学生の頃オフコースのファンだったのです。当時、オフコースのファンなどと言うと暗い人間だと思われたのに、このアルバムの売れ行きからすると、実はオフコースの隠れファンの数はかなりのものだったのではないかと。

このアルバム、小田和正のオフコース時代の曲をセルフカバーしてるのですが、「愛の中へ」とか「あなたのすべて」のように、当時のアレンジよりをしのぐすばらしいものもある反面、有名どころの「さよなら」や「言葉にできない」は、ちょっとがっかりという印象が。ビッグヒットだったゆえに曲を完全に作るかえようという意図があったようで、たとえば間奏の省略とかのおかげで妙に淡白な感じがするんですよ。

突き放した言い方をしてしまえば、「オフコース」と「小田和正」は異質のものだなあって。やはりメンバーのバックボーカルとかギターとかは欠かせないと。いったい日本ではどんな評価がされているんでしょう。(一応フォローしておくと、それでもすばらしいアルバムには違いないですよ、まじで)


2001年06月22日(金) 買い物袋を持参して何が悪い!

ホームページを立ち上げて、3か月近く経とうとしています。最初は訳がわからず、何度もギブアップしかけましたが、ようやく軌道に乗り、いつの間にか、4000人を超える多くの皆様のご訪問をいただきました。考えてみれば、おげれつサイトでもない、一個人のサイトにこれだけの方が来て下さる私は幸せ者だと思います。

で、かっこつけた言い方をちょっとだけさせてもらうと、最近、メールや掲示板を通じて、「確かな手ごたえ」を感じるようになりました。この17インチのディスプレイの向こうに私のページの更新を心待ちにしてくださる方がいるのを感じます。本当にありがたいことです。ありがとうと言わせてください。

最近とみに長文のメールをいただくことが多くなりました。まったく見ず知らずの方が、有名人でもない私のために多くの時間を割いてメールを書いてくださったのです。そう考えると、いい加減な返事は書けません。…てな訳で、今日も会社に1時間30分ほど残ってメールのお返事と、掲示板のお返事を書いてました。

なお、作者は実にいい加減なやつですが、頂いたメールにはきっちりお返事を書きますので、どうかお気軽にメールくださいね。皆様のメールを見るのは本当に楽しみです。そうそう、文字化けのため、返事がかけないメールが何通か届いてます。「まだ返事が来ない」(-_-#)凸 という方は、そんな訳ですんで、もう一回メールを送ってみてください。(いちおう文字化けで読めない旨伝えたんですが、それが文字化けしてたりして…)


…なんだかな。自分らしくないしおらしいことを書いてしまった。「おいら」じゃなくて「私」になってるし…。いつもの調子に戻します。

で、上のような理由で会社に少し残り、会社を出たのは午後5時。ホリデーの前まで夜勤なぞしてたんですっかり忘れてたんだけど、ダブリンの交通ってむちゃくちゃなんだわ。それは、歩行者とか、自転車とかそういう「交通弱者」の立場になるとひときわよくわかる。で、おいらの通勤手段はチャリンコ。

日本と違いチャリンコは車道を走る。右折をしたかったら、クルマと同様交差点の中央から小回りする。で、今日は会社を出たのは午後5時…夕方のラッシュの真っ最中。そんな中、おいらは自宅に帰らず自宅からさらに離れたスーパーまで買い物に行ったのだ。

まあ、金曜日だというのに(作者の見たところ、交通渋滞が特に激しいのは週半ばの火−木)すごい混みようでして。で、一番の難所は、片側3車線の道を右折するとこでして…。そこをクルマの間をすり抜けて、右折。原チャリと違って、急加速も急ブレーキもできないから怖い。

会社からスーパーまでの約4キロの道はずーっと緩やかな登り坂。バスレーンをバスと奪い合いをしながらスーパーへ。バスは登りなのもあっておいらを抜くけど、おいらはバス停ですぐに抜き返す。そしたら今度はバスが幅が十分なくて抜けないからおいらを煽る。で、ようやく抜かれたと思ったら、その先にはバス停。またおいらが抜き返し…。そんなことを繰り返してたら、風邪も治りきっていないのに汗をかいてしまった。とりあえず、おいらのことを「うっとーしー中国人め」と思ったに違いない42Bの運転手さん、ごめん。でもあんたの排気ガス攻撃は反則技です。

そんなこんなで、行きつけのスーパーに到着。パンにパスタに牛乳に卵にチーズにと生活必需品を買ってレジへ。アイルランドの(おいらの知る限りのすべてのヨーロッパの)スーパーのレジには、おいらの腰の高さくらいの位置にベルトコンベアがあり、そこに、商品を並べていく。日本のスーパーで働いている人には信じられないだろうけど、こっちのレジ係は何と、高めの椅子に座っているのだ。あれならレジに1日いても疲れんわな。

昔、某ディスカウントストアーでレジも兼任していたおいら、あの椅子に座るというのが信じられない。いや、座ってもいいよ。だけど、もう少してきぱきできないものかねえ。座っているせいもあってか、一つ一つの動作がトロい。ま、お客の方もそれに負けず劣らずトロいから、どっちもどっちなのかもしれない。

まあいい、トロくても。でも、買い物袋を持参するおいらを化け物を見るような目で見るのはやめてくれ。この国のレジは、レジ係がスキャンした商品をお客がその後ろで自分で袋に入れていくんだけど、レジ係以外に後ろで袋詰をしてくれる人が往々にしている。それ自体はありがたいのだが、人が買い物袋をかばんから出したときに目を真ん丸くするのや、人が袋をいらんと言ってるのに、どんどんビニール袋に詰めるのはやめてくれ。別においらは「環境保護主義者」じゃないのだ。ただ単に、台所の流しの下にこれ以上いらんビニール袋をためておきたくないのだ。

そして、今、夕食を食べおわったところです。ああ、ひとりで食べる夕食は空しい。こんな時ですね。ふっと、結婚なぞしたくなるのは。(したらしたで大変なんでしょうけど。)



2001年06月21日(木) おいらの留学体験記(その1)

最近、メールおよび掲示板で、アイルランドへの留学についての質問をよく受けます。留学に関しては、ひとつのコーナーを立ち上げたいと思っているのですが、その前にプレビューとしてなぜおいらが、アイルランドを選んだかについて書いてみたいと思います。

おいらが留学したいなと思ったのは、94年、大学2年の時でした。確かに海外に対しての憧れというのはコドモの頃からあったのですが、それは、「大きくなったらパイロットになりたい」のような単なる憧憬に過ぎなかったのです。

その憧憬が突如現実味を持ったものとして捕らえられるようになったきっかけは、当時、すごく仲の良かった大学の友人が、大学2年の時突如1年間休学をして、アメリカはサンディエゴに留学してしまったのです。その彼の姿を見て、すごくかっこいいなと思ったのです。

で、一年間の留学を終え帰って来た彼は、いい意味で違う男になっていました。手垢のついた言葉を使えば、「一皮むけた」ようでした。そして、彼の話一つ一つがすばらしく、おいらの留学への夢を掻き立てたのです。

この話の流れからすれば、アメリカに留学しそうなものですが、当時アメリカには「銃社会」とか「暴力」とかそんなイメージを強く持っていて、アメリカにはどうも憧れを持つことができなかったのです。

そんな折り、彼が新宿の留学相談室のことを教えてくれ、そこに行ったのです。いろんな話を聞き、そして最後に、「もうすぐイギリス・アイルランド留学フェアー」があるよ、と教えられたのです。何でも、各語学学校の責任者や担当者から生で話を聞けるめったにないチャンスだとのこと。渡りに船とばかりにその留学フェアーに参加しました。

なぜ、アイルランドを選んだか、これだけでは説明にならないと思います。まあ、今にして考えれば、軽薄な理由なのですが、アイルランドの方が日本人が少なく、語学研修に集中できるだろうと思った点、それから、その筋の本に「アイルランドは物価が安い」と書いてあったから。

そして、もうひとつの直接の理由は、その留学フェアーで、すごく魅力的なダブリンの語学学校の責任者に出遭ったからなのです。190センチはあるだろう長身の彼の話を苦労しながら聞いていると、「ああ、明日にでもアイルランドに生きたい」という気持ちにさせるには十分でした。

で、それが、おいらが大学3年の時の春の話。それから季節は流れ、いよいよ本気で留学したいと思うようになりました。で、さっきの新宿の留学相談室に頼めば一切のことを代行してくれたのですが、代行料は何と10万円。そんな無駄金は払わんと、一切を自分ですることにしたのです。

これがいろんな問題の始まりになるのですが、この続きはまた今度。


2001年06月20日(水) 警察詣で

昨日の日記で予告していた通り、今日の日記はこの作者にしては珍しく愚痴です。掲示板にカキコして作者の「癒し」にご協力くださいませ。

「警察に出頭してきました」なんて書くと、えらく刺激的だが、アイルランドでEU外から来たガイジンとして暮らす以上、少なくとも年に1回は警察に出頭しなければならない。理由は…ビザの更新のため。

詳しい説明をし始めるときりがないので、詳細はカットするけど、おいらは今日、警察に行き、来年5月末日までのビザをもらってきた。…こう書くと一瞬だが、毎年のことながら、本当に骨折りな仕事なのだ。

手元にデータがないからはっきりとした数字はわからないけど、アイルランドに住むEU外のガイジンの数は年々再々増加の一途をたどっている。で、当然、彼らは(合法的に滞在しようとする限り)当局にビザを取りに行かねばならない。ダブリンの場合、市南部にある警察署に”Alien Office”(外国人管理事務所)があるのでそこに行きビザを得たり更新したりする。当然ながら、ガイジンの数が増えるにつれ、この事務所はだんだん忙しくなり…。

去年あたりから、とんでもない噂を聞き始めた。ビザと取るために「4時間待った」とか、「朝6時から並んでようやくビザが取れた」とか。その話はにわかには信じられなかった。おいらが学生としてアイルランドにいた頃、つまり古き良き1996年は、このAlien Officeで、1時間以上待たされることはまずなかったのだ。ところが、去年同僚がおいらのビザの更新直前に「6時から並んで、昼までかかった」なんて話を始めたのでおいらもその話を信じざるを得なくなった。何でも、一日に200枚しか配らないチケットを巡り(枚数は確証はないが、おそらくそんなもの)、朝からそのチケットを巡り熾烈な争奪戦が繰り広げられているというのだ。何でも8時から配り始めるチケットをゲットしたかったら、朝の7時前から並ぶ必要があるとか…。有名人のコンサートのチケットでもあるまいし…。

そんなばかなことには付き合ってられないとこのとき(2000年の5月)のおいらは一計を案じた。たまにずる賢いおいらはAlien Officeに電話をしたのだ。

おいら:「あのねー、おいらねー、今日ねー、そっちに朝の9時に行ったんだけど、チケットがなかったんだけど」
係のおばさん:「今忙しいからねえ」
おいら:「(怒り気味の声を出す)あのねー、忙しいのはそちらだけじゃあないのよ。おいらもねえ、就労許可証を持って行ったんだけど、今、すごく忙しくて、シャレで休みが取れる状況じゃあないの。今日も仕事をやりくりして何とか行ったのに…(以下省略)」
係のおばさん:「わかりました。今回だけ特別にアポを取りましょう。明日の10時に来れますか?」
おいら:「(ほくそえみつつ)…10時?何とかしましょう」


…というわけで、去年は超インチキ反則技で、そのおばかなチケット争奪戦をまんまとパスしたのだ。

で、話は今年。今年も柳の下ののドジョウを狙い、同じことにチャレンジする。

おいら:「(去年と同じ口上)…てな訳だから、何とかならない?」
係の男:「できません」
おいら:「ぶつぶつぶつぶつ」
係の男:「ちゃんと朝並んでください」


この電話口の係の男、横山ノック元大阪府知事がセクハラ疑惑をマスコミに問われた時と同じくらい不機嫌な声で「できません」と言う。おいらは玉砕。世の中そんなに甘くないね。

折りしも同僚のKさんがビザの更新ということで、一緒に行くことに。まあ、朝の7時に行けばいいだろうと言うことで、朝の7時にAlien Officeの前で会うという約束をして、昨日は別れた。

朝の7時にAlien Officeに行くというのはなかなか容易な話ではない。ほとんどのバスは朝の7時ごろにならないと運行を開始しない。てな訳で、おいらはチャリで市南部のAlien Officeへ。着いたのは予定より30分も早い6時30分。これなら、まだ誰も並んじゃいまい…と思ってAlien Officeのところの角を曲がると…。



絶句。


朝の6時30分だというのにもう40人を超える人が並んでいる。ぱっと見た感じでは、中国人が圧倒的に多く、それから、東欧系・中東系・アフリカ系黒人の順だろうか。とにかく、朝の6時30分の時点でそれだけの人が並んでいるのだ。こりゃ、朝の8時なんかに来た日には、チケットは手に入らなかっただろう。

Kさんは約束たがわず朝の7時着。「おいらのガールフレンド」という大ウソをついて、おいらの後ろに割り込ませる。その後も列は時々刻々と伸びてゆき、午前8時を回ろうかという頃には、間違いなく200人以上の行列がAlien Officeの前に伸びていた。

午前8時。開門。で、昔中国人がチケットを大量に取っていったらしく(結構確かな情報筋から聞いた話)その対策かチケットは係の人から一枚一枚手配りで渡された。おいらたちがもらったチケットは先頭から数えて80枚目くらいのもの。「?」おいらが朝6時30分の時点で軽く数えた限りでは、おいらは先頭から40番目か、悪くとも50番目くらいだった。それなのに、80番目のチケット。いぶかしく思うが、とりあえずチケットをゲットしたので、Kさんとふたりで近くのコーヒーショップへ。(実際に行かれる方への役立ち情報として、Harcourt St をSt. Stepens Green方面へ200メートルほど歩いた左手にある Montague Stの郵便局の並びにある2軒のコーヒーショップは、安くてボリュームのある朝ご飯が食べられるのでおすすめ)

で、そのコーヒーショップで朝食を取り、9時過ぎにAlien Officeに戻ってみれば、まだ20人も進んでいない。単純計算すれば、あと4時間は優にかかることになる。おいらたちは、そりゃたまらんとべつのコーヒーショップへハシゴ。おいしいカフェラッテを飲んで、10時過ぎに戻ってみれば、おーい何とかしてくれよー、まだ30人ちょいしか進んでいないじゃないかー。

さすがにそれ以上コーヒーショップをハシゴする気にはならなかったので、仕方なくAlien Officeの待合室で待つことに。

この待合室、おいらがダブリン一嫌っている場所と言い切ることに何らのためらいもない。いつ行っても、待合室にいる人の顔は疲れきっており、お通夜のような重苦しい空気が漂っている。人いきれのせいもあるだろうがその待合室にいると心なしか息苦しくなるのだ。

その待合室で待つこと数時間、おいらたちの順番がやって来たのは午後1時30分。実に並び始めてから7時間後のことだった。

皮肉なことには、就労許可証の更新の場合、学生ビザと違い、更新は5分とかからない。今回もご多分に漏れず、おいらたちの新しいビザは、5分待つことなく交付されたのだった。7時間待って所要時間5分。これをフェアな扱いと思う人がいるなら、おいらは一度医者にかかることをお奨めする。

なぜこんなに時間がかかるかは素人目にも明らかで、このAlien Office、おいらの個人情報のファイルをいちいち手作業で膨大なファイルの中から見つけてくるのだ。それに費やす時間が実に長い。コンピュータを使えば、数秒でできることだろうに…。

この待ってる間に、Kさんは目ざとくいろんなことを発見。その発見のおかげで今回の警察詣でがものすごく後味の悪いものになってしまった。Kさんが言うには、おいらたちよりも後に並んでいた人が、おいらたちよりも先にことを終えて帰って行ったというのだ。言われてみると、おいらたちの直前に並んでいた人たちの姿はもうない。

おいらは仮説として、券を配る人が順番を若干違えてしまった(そう考えれば、なぜおいらたちが80番目だったか説明がつく)としたのだが、世の中に擦れてしまったKさんは「チケットが売買されているに違いない」と言い切って疑わない。何にせよ、ものすごく理不尽かつ不平等感を感じた無意味な1日だった。その後、会社にいってちゃんと仕事をしたおいらは自分で言うのもなんだが偉かったと思う。



2001年06月19日(火) 作者の風邪、悪化中

作者謹告:世界一周その2は6/17の日記として掲載してます。その1は6/18です。親切心のつもりでしたのですが、かえってややこしくしてしまって申し訳なく思っています。かなりの大ネタだと思いますので、ぜひ昨日の日記→おとといの日記の順でお読みくださいませ。


作者の風邪ですが、悪化の一歩をたどっています。昨日は喉が痛かったのですが、今日は鼻水が止まらない。事務所の机の脇のごみ箱は白いティッシュの山。まったく、資源の無駄遣いこの上ない。

どこかで聞いた方もいらっしゃるかと思いますが、どうも日本人ほどティッシュを使う国民はいないようです。アイルランドのティッシュは実に高い。一箱150円はする。5箱セットで298円で売ってたりはしないのだ。ほかの物価の安さから考えれば、ティッシュは高級品とすらいえる。

で、会社から家に帰る頃には、鼻の下は真っ赤。仕方ないので、近所の薬局で薬を買う。薬の代金は10.58ポンド。おいらの財布には狙ったようにぴったし10.58ポンドしか入ってなかった。恥をかかずにすんだ。

予告ですが、明日、ビザを取りに警察に行ってきます。これが一日ががりの作業になるのだ。明日の日記は、たぶんアイルランド政府に対する罵詈雑言になりますので、あらかじめご了承くださいませ。


2001年06月18日(月) 世界一周(その1)

注意:今回の日記には航空会社の専門用語がたくさん出てきますが、おいらはその業界の人間ではないので、それらの用語を正しく使っているかどうか保証の限りではありません。話半分で聞いてくださるようにお願いします。

先月の末にアイルランドを離れ、半月ほどかけて、ドイツと日本に行ってきました。いやー、忙しかったです。特に日本では、限られて時間でいろんな人に会おうと駆けずり回ってきました。時間的な制約もあったので、ほとんどの人には日本行きを知らせませんでした(ホームページではしっかり告知してたけど)。というわけで、不義理のあった皆様にはこの場を借りて心からお詫びいたします。

実は、今回の日本行きで人生初の「世界一周」をしちゃったんです。

ダブリン

フランクフルト(ドイツ)

関空(大阪…あれ、和歌山なのかな??)

九州の某ローカル空港

羽田(東京)・成田(千葉)

ニューヨーク(アメリカ)

ロンドン(イギリス)

ダブリン


ね?ちゃんと、地球を西から東に一周してるでしょ?何でこんなばかなことをしたのか、話せば長くなるのですが、まあ、お付き合いください。

前にも数回書いた通り、うちのアパートには数人の住人がいます。で、その中の一人が、ひでかす(仮名)という名の日本人なんです。で、彼、実は某アメリカの航空会社に勤めており、偶然この時期に本に帰省してアメリカ経由でダブリンに戻る彼と一緒に飛べば、私もかなり破格の値段で旅行ができるというわけ。

とはいえ、この話に最初おいらは乗り気ではなかった。彼と一緒に飛ぶと確かにキロ当たりの運賃は安いが、アメリカ経由となる。つまりシベリア回りに比べて距離が倍近くなるため、実は結局シベリア回りの格安航空券と値段は変わらなくなる。で、距離がになれば当然時間もかかる。シベリアまわりの12時間も閉口するには充分なのに、その倍となったら、もはや生死にかかわる問題。ところが、ひでかすは、とんでもない殺し文句でおいらを誘惑したのだ。



「ボクと飛べば、ファーストクラスで旅ができるかもよ」

ファーストクラス!ああ、なんて甘美な響き。おいらの一生のうちでは決して乗れないであろう別世界。エコノミーとは雲泥の差のすばらしいシートと、贅を尽くした食事、ついでに美しいスッチーさんのスペシャルサービス(←何か激しく誤解してますね)。そんな体験ができるなら、アメリカだろうとインドだろうと行ってやろう!と、USITに行きダブリン−関空の格安片道航空券を購入。日本からダブリンの帰りはひでかすとアメリカ経由で飛ぶことにしたのです。

ダブリン−フランクフルト間、およびフランクフルト−関空間は言うまでもなくエコノミークラス。ひでかすが、わざわざおいらのためにベジタリアンミールを注文してくださった(嫌がらせか?)以外は取り立てて書くことはなし。というわけで、話は一気に帰りに飛ぶ。

今回のように、航空会社に勤める人間の家族や知人等が、格安で旅行するチケットを「コンパニオンチケット」というらしい。で、この、コンパニオンチケット、安いだけの理由があって、予約は一切できない。当日、席が空いていれば乗れる。そりゃそうだ。航空会社だって、まともな運賃を払うお客の方が大事に決まっている。ま、考えてみれば、国内線の「スカイメイト運賃」みたいなもんだね。

で、日暮里でひでかすと待ち合わせをして、京成線の特急で一路成田へ。道々ひでかすが言うには、この日(金曜日)のフライトは実に混んでおり、乗れるかどうかわからないとのこと。かなりの数のオーバーブックがあるというのだ。なんだか空港到着前にして、おいらのファーストクラスの夢に暗雲が漂う。

オーバーブックについて説明したい。世界中のどこの航空会社も、実際のキャパシティ(定員)以上の数のチケットを販売する。というのも、われわれ貧乏旅行者の(一緒にするなって?)チケットの多くは、予約の変更はできない。それに対し、ビジネスクラスやファーストクラスの多くのチケットは、他の便への振替や、また、返金すらできるものもある。ま、高い金を払えばそれだけの利点があるということでしょう。

こうなると、当然予約をしながら空港にやってこない客というのが必ず存在する(専門用語でNo Showというそうな)。で航空会社としてはこの空港に来ないであろう客の数を見越して、定員よりも多い数のチケットを売る。空で飛ばすよりはいいもんね。ところが、まれにNo Showの客が少なく、定員以上の客が空港に来たりする。そうすると、航空会社はホテルなどを用意して次の便に一部の客を振り替えるか、または他社の便に振り替えたりする。このような状況で一番先にあぶれるのはコンパニオンチケットで飛ぼうとしてるおいらのような人間。

閑話休題。話を成田に着いたおいらたちに戻そう。で、ひでかすの事前の調査では、アメリカ行きの飛行機は軒並みオーバーブックしておりその中で唯一乗れそうなのがおいらたちの狙う成田−ニューヨークの最終便。ちなみにこれを逃すと、おいらたちは家に帰らなければいけない。まさに1発勝負状態。

で、祈るような気持ちでカウンターに行くと、この便はなぜか、ファーストクラスとビジネスクラスがすでに一杯で、エコノミークラスなら何とかなるだろうとのこと。この瞬間、おいらのファーストクラスへのはかない夢は愛川欣也によって「はい消えたー」と潰されてしまった(古いね)。

で、このカウンターで搭乗券はふつう貰えない。搭乗口で一番最後の客が乗り終わり、それで空きがあるという状態になって初めておいらたちは搭乗できるのだ。まったく立場が狭い。

で、出国審査を受け、搭乗口へ。空港に着いたのが遅かったのと、出国審査が長引いたことで、もうすべての客は搭乗した状態。そこでおいらたちがもらった搭乗券にかかれていた座席番号は…エコノミークラスのものだった。

「こんなことならおとなしくシベリア経由で帰ればよかった」と大ブーイング中のおいらをひでかすは、「ニューヨーク−ロンドン間ではファーストクラスに乗れる…と思う…から」となだめる。

おいらたちが乗ったのは、最新鋭のB777の後ろから2列目の席。こればまたよく揺れた。聞けば、前方の方の席よりも尾翼に近い後方の席の方が特に左右方向に揺れるんだそうな。というわけで、尾翼の真下のおいらたちの席は、途中でテーブルの上のウオッカのダイエットコーラ割がこぼれるほどよく揺れた。エアフランスでパリーストックホルムを飛んで以来の最悪のフライトだった。そういえばあのフライトも一番後ろのほうの席だったなー。

で、本当に、狭く、つらいエコノミークラスで12時間という拷問に近い長さの時間を過ごす。この最新鋭のB777にはエコノミークラスにもパーソナルテレビがついており、せめて映画を楽しもうと思ったのだが、エンジン後部ゆえの雑音と、ぼろいイヤホンのおかげでほとんど聞き取れず。眠ろうとしても、狭くて眠れない。ああ、悲しいかなエコノミークラス。

で、ようやくニューヨークに着。時差のおかげで、金曜日の夕方6時に出たのに、ニューヨークについたのは金曜日の午後。日付変更線を生まれて初めて超え、狐につままれたような気分になる。入国審査を受け、手荷物を受け取り、空港の建物の外でひでかすはタバコを吸い、そのまま空港に戻る。そう、おいらが初めてのニューヨークで見たものは、ひでかすのタバコを吸う姿のみ!自由の女神もマンハッタンもミュージカルも何も見なかった。これがおいらの初めてのアメリカ体験だなんて、あまりに情けない。

で、チェックインカウンターに行くと、状況は絶望的とのこと。おいらたちが成田を経つ時点ではまだ各クラスとも空席があったのだが、どうもこの便の前の便が非常に混んでおり、乗れなかった客があぶれてきたらしい。機材はB767、つまり、200人ほどの定員の小さな飛行機に30人がオーバーブックしている。そりゃ素人考えで見ても乗れんわな。

とはいえ他の選択はないので、搭乗口でぼーっと待つおいらたち。ファーストクラスの夢はどこへやら、乗れなかったら空港に泊まろうか、などと情けない言葉が交わされる。搭乗口の前にできていた乗客の列が機内へ続くブリッジに消える。が、まだおいらたちは呼ばれない。ああ、このまま、ファーストクラスどころか、ニューヨークの空港で1泊する羽目になるのか。この続きは、6/17(便宜上、この下の昨日の日記が続きになります)の日記に続く。







2001年06月17日(日) 世界一周(その2)

お知らせ:6/18の「世界一周その1」の続きです。もし、そちらをお読みでないならば、まずは6/18(つまり、この上にある日記)の「世界一周その1」をお読みください。

こうして、ファーストクラスでゆうゆう飛ぶはずが、エコノミークラスでニューヨークくんだりまでやってきたおいらたち。間髪をいれずニューヨークからロンドンまで飛ぼうとするが、この区間も混んでおり、運がよくてエコノミークラス、運が悪ければ、空港の長いすで一泊という事態になってしまった。ひでかすはもろに不機嫌だったが、一方のおいらは至って平静。おいらの人生の経験上、「ここ一番」という時に、おいらはとんでもない強運を発揮するのだ。まあそう信じることができる能天気さで、いろんな問題を乗り越えてきたことは事実だと思う。

定刻まであと10分。そろそろ呼ばれるかなー、という頃。搭乗口の職員が突然日本語で、

「XX(おいらの名前)サーン、イラシャイマスカー」と呼ぶ。

さあ、判決は?エコノミークラスか?はたまた空港で1泊か??

そのおいらの背より20センチは高いだろう黒人男性職員、おいらたちに2枚の搭乗券をくれる!ということは、乗れるのだ!次の瞬間、ひでかすが、突然「おおお」と叫ぶ。


そこに書かれていた座席番号は「1C」と「1E」




そう、ファーストクラスのチケットをゲット!!


アホ二人(おいらたちのことねん)はその職員に耳から耳への笑顔(満面の笑顔ね)を浮かべ、飛行機へとつながるブリッジへ。

そして、いざ機内へ。おおお、機内最前部のファーストクラスのシートが二つ空いている。この会社のB767の場合、エコノミークラスのシートが、2-4-2配列(左右の窓のほうに各2席、中央に4席ということ)に対し、ビジネスクラスのシートは2-2-2。そしてファーストクラスは2-1-2。単純計算すれば、ファーストクラスの席の横幅は、エコノミーの1.5倍近くということになる。

そしてシートピッチ(前の席との間隔)は、前の席にどんなにがんばっても足が届かない、前の席のシートポケットにある雑誌等にはベルトをしている限り手が届かない。

別の例えをあげると、エコノミークラスの場合、窓際の人がトイレに立とうという時、通路際の人は、席を一度立たねば通れない。ビジネスなら通れるけど、ちょっと通路際の人に気を使ってもらわないといけない。それに対しファーストクラスは、通路際の人に気兼ねなく席を立てる。これが違いだろう。

というわけで、おいらは2-1-2の中央の席を、ひでかすはその右の席をゲット。

実は、まだ安心してはいけないのだ、ドアが閉まるまでは。というのも、後からちゃんとしたチケットを持った人がやってきて、「悪いけど、お客さん来たから降りて」と言われる可能性があるのだ。実際にそれで、一度乗った飛行機から降ろされたかわいそうな人をおいらは知っている。

そんなわけで、ウェルカムドリンクのシャンペンをしっかりもらいつつも、おいらの視線はどうしてもドアの方に行く。

…はたしてドアは閉まった。こうして9回の裏の大逆転で、おいらたちはまんまとファーストクラスのシートをゲットしたのでした。

どうもおいらたちふたりに専属のスッチードさんがつくらしく、40くらいであろう、豊富な経験を感じさせるなかなか男前のスッチードさん(作者にそっちのケはないので念のため)が、シャンペンをどんどん注いでくれる。…ということは離陸しないのだろうか?というのも、ウェルカムドリンクは、おそらく安全のためだろうけど離陸の際に一度回収されるのだ。

結論から言うと、おいらたちの飛行機は1時間遅れで離陸した。なにやら、トイレに若干の問題があったのと、飛行場がやたらと混雑していたらしい。とはいえ、広い席でシャンペンを優雅に飲んでいたら、そんなことはまったく気にならない。

で、機は定刻より1時間遅れで離陸。しばらくすると、おいらたちに機内食のメニューが配られる。ああ、知らなかったよー、おいらが、いつも揺れるエコノミークラスの狭いテーブルで、チキンかビーフか悩んでいるときに、金持ちどもは揺れないファーストクラスで、こんなにいいものを食ってたのか!(単にひがみ)

頃合いを見計らって、別のお局スッチーさんが、おいらたちに何が食べたいか聞いてくる。そう、選択の余地があるのだ。エコノミークラスのように、

“Can I have chicken please?”
“Sorry chicken is all gone!!”

なんて言われて、食べたくもないビーフをつつく羽目になる、ということはあり得ないのだ。

そして、真っ白なテーブルクロスがテーブルに敷かれ(そこまでするんだねえ)まずは、ビーフカルパッチョから。…うまい。よく見ると、ナイフとフォークも銀製だぞ。以下、サラダに、ダックにと、高級レストランのディナーよろしくフルコースで出てくる。で、デザートに、アイスクリーム。これがおいしかった。

その後は、パーソナルビデオでビデオ鑑賞。驚いたことに、まず、ヘッドフォンの音がよく、しかも、機内が静かなので、映画が楽しめるのだ。エコノミークラスでは、まったく楽しめなかったのに…。で、一眠りした頃には、もう到着間際。再びおいしい朝食をいただき、8時間のフライトは、本当にあっという間に終わってしまった。

正直に書くと、実は、これがおいらのアッパークラス初体験ではないのだ。数年前、某イギリスの航空会社のロンドン−成田間のフライトで、ビジネスクラスで飛んだことがある。この時も、まったく疲れなかった。エコノミークラスと雲泥の差を感じたのだった。

ちなみに、このニューヨーク−ロンドン間をファーストクラスで飛んだ場合、大体片道80万円くらいなんだそうな。で、エコノミークラスなら、うまくすれば3-4万で飛べるはず。とすると、20倍の値段ということになる。さすがに80万は払えないけど、ある程度の割増でビジネスクラスやファーストクラスに乗れるなら、それは払う価値はあると思う。ああ偉くなりたい、などと、アホなことを考えてしまうのでした。

(そのあとは、ロンドンで半日過ごし、Ryanairの格安航空券でダブリンまで無事に帰ってきました。)




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