*黎明ノォト*

2013年04月12日(金) 買い出しの日


I は保育園に通いだした。徐々に慣れてきているらしいが、園にいる間の様子はよくわからない。

はじめは泣きっぱなしだったのが、いまはひとりで遊んでもいられるようだ。中でどんな保育がされているのかはよく分からないが、信頼するしかない。
いや、これは悪い意味ではなく…そう、自分が尽くすベストな育児に、大きく後退するようなものではない、むしろ自分の育児よりなにか効果が高いのでは、と信じるしかない、という意味。


ま、そんな毎日頑張っているI のいない隙を狙って、私は買い出しの日々だ。

Iがいると重い荷物が持てないので買い物が最小限になってしまうからだ。それに試着もできない。狭い店にもはいりにくい。

I をみてくれるQ と行けばよいのだが、平日の激務による身体的・精神的疲労で、休日は持てる力の三割も発揮できない人だからどうしても買い出しは後回しになる。

時間が限られているからこの買い出しもなかなかに疲れる。が、私がひとりで動けるのも勤務の始まるあとわずかな間しかない。



そんな不自由さとともに大きくなっていこう。



2013年04月08日(月) 生命力

2年前の夏、旅行で城を訪れた。
休日の暑い日で人ではそこそこ多く、天守閣に登るにも待たされるような具合だった。

熱中症に注意がはらわれるようになった昨今、待たされる人たちは日陰に並ぶように誘導される。
その城では藤・・・だったのだろうか、アーケード状になった緑陰に並んで、観光を待っていた。

なんとか飽きる前に天守閣に登り、暑い暑いと呟きながら下りて、すぐに目指したジュースの自動販売機の方は、確かに藤棚の下にあった。
冷たい水分を補給してほっと一息ついたときに、私とQはそれを発見したのだ。



藤棚から下がる、なにやら大きな豆のさやのような。



おそらく種だろうとは予想できたが、今まで藤の種が生るなんて想像したこともなかったため、ふたりでしばし議論。

あっちの、待ってた方の藤にはさがってないよね、
藤って雄株雌株なのかな、
つる性だから言われてみれば豆っぽいよね、
花が5〜6月? なら種でもおかしくないねえ、
まださやが青いね、種もまだ熟してないのかなあ、
さやが茶色くなったら種が熟成だろうねえ、
秋かなあ、
これ青いまま収穫して、ほっておいたら熟成しないかな、
やっちゃう?
やっちゃう?


そんなわけでひとさや失敬して持ち帰った。
種泥棒といったところか・・・(犯罪)

そのまだみずみずしい豆さやは乾くまで本当に我が家のベランダにある
エアコンの室外機の上に放っておかれた。
からっからに乾いた秋の頃、さやに収まっていた3つの種は空いた植木鉢に放りこまれた。
忘れないよう念のため、「藤」と書いたスティックを刺して置いた。


昨年の春先、植物をあれこれ植え替えていた際
「これ、生えてこないね、あけて別のものを植えちゃおう」
とQがもぞもぞしていたと思うと、
「根っこ出てる!」
と声をあげた。
3つの種の内、ひとつだけが小さな白い根を出していた。
喜び勇んで植え替えてやると、温かさも相まってみるみる芽を出し、
茎をのばし、葉を茂らせた。それはもうびっくりするほど。

余所のお宅の藤棚を見るたび、うちのこもああなるのね、と二人でうっとりした。

秋になり、冬になると寒さゆえすべての葉が落ちた。
どこの藤もそうだったので、なるほど冬には葉が落ちる植物なのか。と学ぶ。
いつも目にしているのに、育ててみてやっと知識になるものだ。
まるですっかり枯れたようだったうちの藤も2年目の春を迎え、ひやひやしていたが小さく緑の芽が出るとあれよあれよという間に葉を伸ばした。

おかえり。
いつ花が咲くかは分からないけど、大きくなるんだよう。
とうれしく眺めている。



2013年04月05日(金) こつこつ育つ

長女Iはよく眠り、よく泣き、よくミルクを飲む。

私の社会復帰に向け、Iも保育園へ通い始めた。
通うたび、少しずつ、お別れの泣きが少なくなる。

私は(意外でも何でもないけれど)Iが泣いててもじゃあね、と明るく別れられる。別れたあとはちょっとくらいさみしいが、喪失感を感じるほどではない。
というより、本当はとてもありがたい。

我慢している、と思われるIにも感謝を。

うーん、そのうち我慢もなにもなく保育園に通い、
むしろ休日におともだちのいない自宅で我慢する、という状態になるのかもしれない。


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