ぶらい回顧録

2013年01月03日(木) 再読は復讐する 1/4/2011記す

年末年始の休暇を利用して本をたくさん読む。ただし休暇中なので出来るだけ体力を使いたくない。しかも喪中で、さらに喪主として昨年秋から様々な務めを果たしたことで想像していた以上に気力体力が奪われてしまったという自覚がある。とにもかくにも体と頭を休めたい。

こんな時に新しい経験など要らない。過去に何度も読み返していて今さら新たな発見などない本、かつての興奮をただ心地良くなぞることが出来る本が良い。

そう思い、目につく本を何冊か引っ張り出そうと本棚に向かう。整理がされているとは言い難い本棚ではあるが、それでも頻繁に読む本は棚の前方に置いてあり自然と目につく。ただいくら新たな刺激が要らないとは言え年の変わり目にいつもと同じ本に手を伸ばすのは芸がない。そう思ったところで先ほどの原則が少しブレてくるわけだが、ともあれ最前列にある本はいったん脇に置き、さらに奥の地層へと向かう。ただあまりに奥に手を出してしまうと今度はいったい自分がいつ読んだのか定かでない本が登場するわけでこれまたおそらく主旨には沿わない。

結果、取り出したのはいつものお気に入りの本ではなく、数度読み返したことがあり、ディテールをそれほどはっきりとは覚えていない、という「中間層」の本数冊だ。置いてあるのは文字通り本棚の中間部。書かれた時代もジャンルもばらばらのそれらの本を手に取って表紙の題字、装丁を眺めているとやはりディテールは覚えていないものの、それぞれの本からかつて得た「興奮の質」のようなものはなんとなく蘇ってくる。

これ。これが俺が今求めている丁度良い刺激、などと時代が時代なら反動として糾弾されそうなことを考えつつ本をかかえて寝室に持ち込む。

休暇中のこと、空が白んでくる明け方までかけて読む。目が覚めた時に手を伸ばして灯りを点けて少しだけ読む。トイレで用を足しながら読む。風呂につかりながら読む。読み始めた本を途中でやめて他の本を読む。途中を飛ばして読む。いったん後半を読み、冒頭に遡って読む。最初に読んでいた本に戻ってまた読む。我ながら滅茶滅茶な読み方だが、かつて興奮していたポイントはやはり今でも何かしら心騒ぐところがあり、怠惰ではあるが読書の快楽は想像通りに齎せてくれた。当たり前のことだが新しい発見や興奮はちゃんとあった。

あったが。
想像していなかったことがいくつか。

現在の自分は過去からの自覚的な延長線上にあるとあまり疑いを持たずに考えていたがどうやらそれは明確に違うらしいこと。
とてもではないがかつての自分に共感はできないと何度か思ったこと。
とてもではないが自分が進歩しているとは言えないと思ったこと。
自分の中で確実に摩耗が進行していると感じてしまったこと。
それはたぶん二度と取り返しがつかないのだろうなと思ってしまったこと。
今までそれに気づいてはいなかったのだなということ。

結局「かつての興奮を心地良くなぞる」どころではなかった。再読は復讐する。

「最後の共和国」石川達三 新潮文庫
「夜はもう明けている」駒沢敏器 角川書店
「チャップリン自伝」チャップリン 中野好夫訳 新潮文庫
「個人的な体験」大江健三郎 新潮文庫
「美しい星」三島由紀夫 新潮文庫


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