| 2002年06月12日(水) |
稲葉ののんびり源風景とW杯 |
にしても本当によく外国人を見ますね。 特に横浜で試合のある日とその前後はすごいものがあります。 たくさんの外国人とたくさんの警官。 あとたくさんの青い日本人。 外国人や日本人はともかく、警官の方々は本当にお疲れ様だと思います。
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横浜のスタジアムは正式には横浜国際総合競技場といいます。 大抵の本では、JR新幹線、横浜線・市営地下鉄線新横浜駅で下車となっています。 が、最寄駅となると、実際には横浜線の小机駅の方が近いのです。 新横浜で降りると鶴見川を渡らねばならず、徒歩18分。 小机駅は鶴見川の向こう側にあり、徒歩10分。 競技場の住所(?)は横浜市港北区小机町なのです。
稲葉は1988年から98年までの10年間、この小机町に住んでいました。
小机の隣は新横浜。 新幹線も走っているオフィス街。 横浜アリーナもあってコンサートの日には大勢の人間が押し寄せます。 もう一方の隣は鴨居。 江古田の南口程度の賑わいで、遊びやすい町です。
小机はその中間にあるのですが、嘘のように寂れていました。 当然、横浜線の快速も止まるはずがありません。 新横浜と鴨居には止まるのに。
小机駅の北側には広大な畑が広がっていました。 地平線が見える! とは当時稲葉の周りで言っていた言葉です。 トラクターがプルプル走り、畑の脇にはカラス避けのためのカラスの絞殺死体(本物)が吊るされていました。 小机小学校生はここで毎年田植え実習をしていました。 のんきなのんきな田園風景でした。 毎朝、学校へ行く時に駅のホームに立って走りゆくトラクターを目で追っていました。
ある日、駅のホームから畑を見ると、見慣れないコンクリートの柱が地面から突き出ていました。
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競技場の工事が始まったのは94年の1月。 この時点ではまだ今年の日韓同時開催は決まっていませんでした。 前年にJリーグが開幕し、日本人がやっとスポーツ競技としてサッカーを認知しはじめた頃でした。 当然、ワールドカップ出場などはまだまだ先でした。 この94年はたしかドーハで夢破れた年でしたっけ。
稲葉だけではなくその友人も、また駅のホームに立っている誰もが「?」な感じでコンクリート柱を見ていました。 その後はあっという間でした。 畑とトラクターとカラスの死体は姿を消し、代わりに巨大なコンクリートの塊が、もう競技場とわかる形にできていました。
そして駅は自動改札になりました。 それまでは人間改札。 駅員さんは事務所の中にいてキップを見ていませんでした。
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駅の南側には小机商店街が軒を並べています。 稲葉は10年間、この商店街を歩いて駅と家とを往復していました。
タバコ屋さんだか靴屋さんだかわからない店のカウンターでは、パイプくわえたじーさんが道行く車をボーっと眺めていました。 引越しする直前にこのじーさんが亡くなって、店が葬式模様になっていました。 10年目にして初めてみた店の変化があまりに悲しくて、一言も話したことのないじーさんの死に思わず泣いてしまいました。 店主が死んで店はその妻であろうばーさんが続けていましたが、長年店に染み付いたパイプの匂いだけは消えませんでした。
敷地だけは広い八百屋の中で、野菜が閑散と置かれていました。 「産みたての卵」という相当古い厚紙がいつも店頭で風に揺られていました。
雑貨屋さんでは陳列棚にたまに値札の貼られてない商品があります。 これは実は商品ではなくて、店の人の家のもの。 店と住居部分との境目がない店がいっぱいでした。
もっともっと素敵なお店はたくさんありますが、今は止めときます。 10年間いて、1度も入ったことのない店もたくさんあります。 そういう店も稲葉にとっては大切な風景として残っています。
稲葉はこの小机駅が、北に広がる畑が、小机商店街が大好きです。 故郷は? と聞かれたら稲葉はこの町を答えます。
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で、この商店街こそが『精一杯にのんびりと』の喫茶店の源風景なのです。 『精一杯に〜』ではのんびりした商店街にデパートが押し寄せるわけですが、小机商店街では競技場がそれにあたります。
駅は自動改札になったり鉄筋コンクリート作りに大改装(というか建て直しといった感じ)と競技場に対しそれなりのリアクションを見せていました。 ですが一方の商店街はなんのリアクションも示しませんでした。 おじーちゃんおばーちやんばっかりの商店街で、競技場がなんなのかわからないという風情でした。
競技場は97年10月に完成。翌年オープン。 Jリーグその他のサッカー試合や時にはB'zのコンサートなんかも行なわれたりしてその度に数万の人間が小机に押し寄せました。 それでもまだ、商店街は変わりませんでした。 サッカーがあろうとどんなアーティストが来ようと、商店街の風情だけは変わりませんでした。 商店街の位置が駅からみて競技場の反対側にあったためでしょう。
ですが、さすがに今回のワールドカップはそうも行かなかったようです。
テレビで何度か商店街のワールドカップ担当者が出ているのを見ました。 警備担当のおじさんはクラスメートのお父さんでした。 大変だそうです。 中には本気で怯えきっている人もいるとか。 そりゃテレビであんだけフーリガンの映像流しゃそうもなります。 稲葉も今でこそ離れていますが、怯えています。 なんか自分の過去が踏みにじられているようで痛いのです。
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だんだん気持ちが昂ぶってきてなんだかわかんなくなってきました。
稲葉はワールドカップ自体はどうでもいいのです。 どこが勝とうが知ったこっちゃありません。 そりゃ日本頑張れとは思いますが、でもゴールが決まったからといってはしゃぐ気持ちにはなれません。 ただ、ただ、小机のおじーちゃんおばーちゃんの日常が壊されないことを祈るのみです。
小机だけではありません。 大分の中津江村もそうじゃないかな。 テレビは盛り上がっている人しか映しませんが、そっとしといてくれと言う人は必ずいるんです。
お祭り騒ぎ、大いにけっこう。 でもね、みんなが騒いでいる場所で日常を過ごしている人だっているんです。
それでもまだ、盛り上がってない奴は非国民なんて言いますか? サッカーを嫌いにだけはさせないでください。
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あと日本を応援するあまり、「ロシア負けろ」っていうアナウンサーとか解説者。 サムライ魂、武士道はないのか。
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