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2003年09月09日(火)
しなくても別に支障はないけれどした方が確実に快適なコトを
特に日々は何もなく移りゆく。 体調について問題なし。日常生活について基本的に問題なし。応用的にはもう少し生き生きとした方がいいかとも考えるので実はマイニチ反省の日々。 日記も書く気分ではなく。ぶっちゃけ動く気分でなく。基本の家事をこなしてそれを確認してまだ大丈夫と自己認識する毎日。要するにだらだらとしていたのだけれど、現実にはやらなけばならないコトつうかやった方が快適で気持ちの良いコトが山積みになっている。 ワタシ自身について具体的にあげていくと、押入の最適な配置を考える(そして実行に移す)とか色々なモノのファイリングとか棚の配置換えとか襖から布きれへ変更とかシンク下収納をどうにかするとか以上家事部門。将来的に仕事ができるように勉強を毎日少しずつでも必ずするとか仕事に関係ないけど好きに勉強するとかアクセサリーを作ってみるとか運動をするとか散歩してみるとか以上個人的生活部門。他多数。ちなみに、本当にシュフの生活なんだと書いていてかなり実感。閑話休題。 これらのことは、別にしなくても毎日の生活は滞りなく過ごせる。過ごせるんだけど。
この「やらなくても別に支障はないけれど、やった方が確実に快適」なコトがとても難しい。こういうコトを面倒だからとやらないでいると、どんどん生活が味気ないモノになっていくような気がする。日々を楽しめない。そういうこと。 ここ数年のワタシの目的は「しみじみと日々を愛して生活できるような人になろう」だったのだけれど、それが行いやすい(と思われる)生活になった今でもそれができていない。研究に追われることもないし仕事に埋没しているわけでもないのに、どうしてなのだろうと考えると、やはり自分自身に目を向けざるを得ない。これまでも今も、やはり環境でもなく他人でもなく、自分のせい。
これまでは言い訳があった。大学院時代は研究と能力と卒業とで忙しくて見ないでいられた。仕事をしていた頃も同様。忙しいからと自分に言い訳して、見ないふりしていた。 見ないふりばかり。そうやってここ数年、具体的にはここ8年。 結局、そうならないようにそう安易に考えないようにしてきても、そこに行き着く。そこ。それはもう、そのように安易な、唾棄すべき安易な回路を作ってしまっているからだろうか?
何度も何度も、書いているように思う。書き続けているということは、もう当然のように失敗し続けているということか。 それでも、書いてからしばらくの間くらいでもきちんと生活できるなら、その成果はあったと思うことにする。何度書いても構わない。 しみじみ生活しよう。地に足をつけて、それは怠惰で退屈な日々ではなく、きちんとした日常を。
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