いつからだろう。 とりあえずイヤだイヤだと思いつつ迎えた2月27日の札幌行きは8時40分くらいに家を出たような気がする。 増田さんに徒歩で送ってもらって新宿駅東口改札だったかで「無事に帰って来てください」とかって見送られつつ小走りでホームへ。
羽田に着いて、日帰りだし町内の人には特にいいかと判断。 でも正子さんのゴハンはたまには変化つけて食に対する興味を向上させないとならないなということで 小さい和幸のカツサンドと、小さい美味しそうな押し寿司を購入。
スカイマーク名物の遅れもなく、順調に千歳着。 そのまま正子さんとこへ。
そしたらものすごくキッチリきれいに予告しておいた領収書をかき集めておいてくれていた。 それをうけて、正子さんはミッションがあるほうが状態がいいタイプなんだろうなという気がした。 なんか工夫できないこともないんじゃなかろうかという明るいきざし。
季節柄、暖かい日が増えてきているので、雪深い大麻の家の前もちょっと雪解け水が凍っていたりした。 なのでお父さんの病院に行く前にツルハシで割ったりとかなんだりとか。
そのとき、正子さんから「朝の5時くらいにお父さんが痙攣発作起こしてどうのこうの」っていう話は聞いてた。 でもそれ私が聞くだけでも3回目くらいのことで、毎回とくに命に触れるようなことはないというか やたら呼び出されるけど大げさなんじゃないの?くらいの感覚で、正子さんも私もいたので そんなに焦ることなく病院へは15時過ぎくらいに向かった。
お父さんは鼻管入ってて口がパカーっと開いてて目は閉じてるような薄目開いてるような感じで寝ていた。 パラマウントベッドが少し上体を起こし気味の傾斜にしてあった。 婦長さんぽい人に何か深刻な感じのことを言われた。 土曜日なのに内科の医者もやってきた。前日で退職したはずの精神科の担当医まで揃って、別室に案内された。
ナントカ確認書、みたいなタイトルがついてる複写式の紙に内科医が青いペンでなんか書いてる。 入院からこれまでの経緯とかが簡単にずらずらと。 「もしもなにかあったとき、呼吸の機械に繋いだり心臓マッサージをしたりすることを希望されますか?」 というようなことを聞かれた。 「心臓マッサージって、要するに助骨をボキボキ折ったりしながらやるんですけどね」 とか言ってたので要するに、あんまりオススメしてないわけだった。 呼吸の機械に繋ぐとかどうのとかは、脳死してても生きさせますかみたいな話なのかなと勝手に解釈。
「それとも天寿ということで受け止められますか?」という言葉もあったので うーん、お兄ちゃんはまだ治ると思ってるみたいなのでアレですが 私個人としては以前のように自宅で生活するとかは現状では想像しにくいですし どっちかっていうと天寿のほうで、 と答えた。
たぶん、お父さんは脳の機能がだんだんいっちゃってて、そこはもう、内臓みたいに手を加えることもできないのだから 無理な延命は苦しい時間が延びるだけという判断なんだけども。
問題なのは私が日帰りするかどうかだった。 意識レベルも低下し、血圧が上80くらい(その後30分で70台に下がったので昇圧剤点滴はじめた)で、 前夜の担当看護士さんが「あのままいっちゃったらどうしようかと思った」と言っていたとかだった。
ただ、おばあちゃんのときもそうだったけど、いつ心臓が止まるとかそういうのは 誰にもわからない。意識もないのに何ヶ月も止まらない人もいるわけで。 心肺機能とか脳機能とか自律神経とか内分泌とかいろんな働きがあって あっちもこっちも終わってても心臓が止まらない限り死んでるという判断にならないのだから。
すんごい帰りたい欲望があったけど、帰ってまたトンボ返りした前回のことを思い、とりあえず飛行機キャンセルすることにした。 でも携帯の充電器持って来てないから充電切れたら連絡はどうする?ってことだ。
正子さんのとこに泊まるのはちょっと憂鬱だった。 ショックで口をあんぐり開けた正子さんの顔が思い浮かんだ。 病院の徒歩圏内の宿に泊まろうかなと一瞬考えたけど なんかあったとき正子さんも連行しなきゃならないことを思い とりあえず大麻に泊まりますので連絡はそこにと宣言して病院を出た。
1時間に2本しかないバスがすぐ来た。 病院から連絡が行ったみたいで正子さんは玄関の明かりをつけて待っててくれた。 荷物置いてホクレン行って発泡性リキュール類とかタラの芽天ぷらとかワカサギフライとか生春巻きとか買って夕飯にした。 正子さんは意外と冷静にというか覚悟を決めた感じだったのか、パジャマに着替えていつもどおりの時間に床に入った。
何時に電話がくるか(こないか)わからないので、困っちゃったけど とりあえずテレビとか見ながら22時半くらいまでは起きてた。 それで床に就いて、2時間後なのかな、電話が鳴った。 タクシー呼んで、正子さんも緩慢ながらも)オロオロせず自分で首尾よく支度してたと思う。
病院に着いたら、昇圧剤を追加したんだかなんだかで、血圧は74とかだった。 60台まで下がってたらしかった。 そこから正子さんと私でお父さんのベッドの両側の丸椅子に座って見てた。
若くて可愛い看護士さんがしょっちゅう来ては真剣な顔でいろいろ調節して行く。 チューブでタンを吸い取るのも、おばあちゃんがいた老人病院とは扱いが違う。「ドイさんごめんね痛いね」と若い子が囁いてる。 おばあちゃんより幸せだなとチラっと思いつつ、痛いはずのタン取り作業でもお父さんの顔はもう無反応なのを確認。
まだ聞こえはするのかなあと思い、ありがとうとかごめんねとか話しかけてみると、 呼吸に伴い規則的に動いている顎下の動きが早くなる。 正子さんが「おとうさん。ひとりでいかないでねって言ったっしょ」って言ったときが特にそうだったような。
合間に、昔のアルバムの写真が脳裏に浮かんで思わず嗚咽したり。 でも看護士さんが勤務中だし声は殺した。
昇圧剤は限界量まで投与していたけど そんなの時間を引き延ばす意味しかないよね、って内心気付いた。 お兄ちゃんは連絡入れてあるけど当然飛行機が飛ぶ時間まで来られないし。
だんだん顎下が動く間隔も長くなり、血圧も50を切ったら測定器がピーピー鳴り出した。 太くてクッキリした頚動脈がときどき動いてるだけの状態になった。 血圧も機械測定不能になり、シュコシュコってやるやつで測られだした。
6時近くなって、内科医が起きてきたんだか出勤してきたんだかで様子を見て もう虫の息だなってところを確認したところでまた出て行った。 じーっと見ててもしょうがないから。
また正子さんと3人になってしばらくして、モニターの波形(血圧と心拍?)がだんだんまっすぐに。 心拍が0になったらピーーーって音に変わって、でも正子さんは上の波形がギザギザしてるからまだ死んでないと思ってたらしい。
鼻をふきふき嗚咽をこらえて詰め所に行って、雑談してた内科医と婦長さんに声をかけると わかってましたという感じで慌てるでもなく気の毒そうに頷く内科医。
先に戻るとしばらくして、例のあれをやるという感じで人が揃い 何時何十分ご臨終ですとかってやった。 死んだのたぶんそれより十分くらい前なんだけどな。
そのあとはいろいろ段取りが始まる。 どちらで待たれますか?とかってまず聞かれた。 病室なのか霊安室なのかってことだった。 病室はニーズがあるから早く開けたいに決まってるんだから 霊安室で待ってくれって言えばいいのになんで選択させるんだろう。 そこって死ぬような病気の人はたぶん少ないっぽいから、慣れてないのかな、と思った。
管とか外して体拭いて患者着から浴衣に着替えさせる間、例の若い看護師さんが窓口で葬儀社のリストもらってくれて とりあえず前回も利用したベルコに電話して、病院と安置場所を告げると「1時間くらいで向います」と。
霊安室がわからないのでまた看護師さんに案内してもらうと、 ほどなく病室にあったお父さんの荷物がワゴンにまとめられて運ばれてきた。 細々した物を持ち運びやすくまとめるようにと透明の大型ビニール袋も数枚用意されている。 車への積み込みも手伝ってくれて、意外と周到だった。 (おばあちゃんの老人病院のときは後日取りに行った)
正子さんは、お父さんの顔に触れたとき、「冷たい」と言って私の顔を見た。 なにか衝撃が走ったらしく、目が見開いていた。 私も触って「あ、ほんとだ〜、冷た〜い」と言った。
ベルコのワゴンに荷物と遺体と正子さんと私が乗り込み、並んでお辞儀をしている病院のスタッフを後に自宅へ。
一方、正子さんはロビーにいたときから、前回と全く同じ心配を一番からやりなおしていた。 「部屋に入らないしょ、どこに置こう」(遺体のこと) 「お金のこと」(ボーっとしてたので私が「いま何を心配してるんですか?」ときいた) しかしすべて杞憂だった。(鬱病中の人の考えが的を射てることはあんまりない)
遺体はおばあちゃんのときと同じ場所に置かれた。 ベルコの人が線香と蝋燭とおりん?を置く台もセットして行く。 いろいろ雑感を語り合いつつ、とりあえず9時くらいになったので、正子さん薬飲まなきゃならないからゴハン食べましょうということに。
食べながら、お父さんは正子さんがお父さんと結婚したことで、しなかった場合より幸せになってることを望んでると思う というような話とか。疲れ果ててるのもあって、正子さんはパニクってなかった。
言われたことを時間かけて噛み砕いて納得する性質の人なので、そのへん正子さんの底力に期待をかけている。 正子さんには、「今までそういうふうに考えてみたこともなかった」ということがいっぱいある。 もともと思考の範囲が狭いタイプだったけど、病気になったから特にそうだろう。 でも、言われるとジワジワ考えるというか、外部からの影響力が強いところがあるので、これからだと思う。
ベルコの人が通夜の日程決めとか見積もりとかで出たり入ったりする。 お兄ちゃんにも連絡ついたら寝起きのようだった。 お坊さんに都合聞いて翌日お通夜をやることにした。 前回のリスト?をもとに、親戚4軒に電話した。(そのうち1軒がネットワーク持ってて、バーっとその他の親戚に連絡が行く) あとはお父さんの健在の友人はたったの1名なので、そこに連絡。 (「ご愁傷様です」と言われて思わず「いえ、ありがとうございます、すみません」と言ってしまう) 今回は正子さんの身内にも声をかけて、それは正子さんがやった。
私は会社の人数人の携帯に何度か電話したけど繋がらず。 増田さんにもしばらく帰れない旨連絡。(増田さんは電話の声だけかっこいい) 合間にソファで30分とか目を閉じてみるものの、私も正子さんも床に入らないと寝れないタイプだった。
お兄ちゃんは津波の影響で飛行機が遅れてて到着が夜になるというので、正子さんとまた夕飯。 正子さんは薬飲まなきゃいけない(軽く強迫観念)から三食絶対食べる。 お兄ちゃんの分も念のためあったほうがいいよねということで、多めにホクレンで買って来た ヤリイカ握りとトロサーモン巻きと前日私が残したタラの芽とわかさぎフライ。
正子さんは以前と比べて食欲が本当に戻ってる。 お父さんの思い出を一緒に語りながら、無意識にパクパク食べてた。 私は発泡性リキュール類のロング缶の二本目に手をつけたはいいけど、ほとんど残してしまった。 なんかその後の段取りとかが片付くまで胸いっぱいっていうか、みぞおちに力が入って胃が縮まってる感じだった。
正子さんは20時頃寝た。 私はお兄ちゃんが22時半くらいに来る予定だったので、布団の準備だけしといて居間でテレビ見ながらウトウトしてたかなあ。
お兄ちゃんが着いたら、一緒の部屋でそれぞれ床に入ったけど、ひとしきり事情説明大会。 結構ショックを受けてるみたいだったので、それなりに眠かったけど、明日にしてよとは言えまい。 葬式用の現金どうする?っていうのもあって、それは保険があるから大丈夫って言った。 結局24時手前くらいだったかなあ、おやすみって言ったのは。
当然夢なんて見てない。北海道にいる間は一度も見なかった。 起きたのは何時だったかなあ。6時台だろうなあ。
玄関前で誰かが何かザクザクガサガサやってるので、あ、と思って開けてみたら 並びの高橋さんのおばさんだった。(顔おぼえの悪い私だけどギリギリ判別できた)
正子さんが自力でできなくなってから、雪かきは結構近所の人々に世話になっている。 前回そのことで、向かいの佐藤さんと横の佐藤さんと裏の町内会長には挨拶に行ったんだけども 高橋さんとこには行ってない。次回は行っておこう。 隣の佐々木さんとかもやって来て、本日密葬ということでご近所のかたがたには失礼してしまうんですがということを告げる。 皆さん協力的で本当に助かる。 しかし、今度はもうちょっと細かい土産を複数用意して来ないとならないなと思ったり。
そうこうしているうちに、横の佐藤さんと裏の町内会長さんが、きちんとした格好で香典持ってやって来た。 事情はわかってるので玄関先で、という感じで帰って行ったけど、お返しどうしよう?とお兄ちゃんと顔を見合わせる。
竹村さんが漬物持って来てくれて、正子さんが呼び出されたんだけど 正子さんが涙目で鼻たらしながら居間に戻って来た。 ずっといろんな人が助けてくれてることに対して、有難いし済まないし、という気持ちが決壊したんだろうと思う。 ティッシュを渡したら緩慢な動きで鼻かんでた。
私は職場に電話した。 所属会社のほうには、この人なら出勤してるかなという人に充電寿命の残り少ない携帯からメールしといた。
そうこうしてるうちにお兄ちゃんの一家が来たり、正子さんの親戚が来て帰ったり、出棺の準備の人(いわゆる送りびと)が来たり。 出棺の準備というか着替えみたいなのは見学しなきゃならない。 裸が見えないようにうまく着物に着せ替えるやつ。 そのあいだ、おりん?を絶やさず鳴らしてなきゃならないということだったけど なんだかんだで二回くらい途切れた。
終わったら私たちも準備しなきゃならない。 セブンに行って私とお兄ちゃんがATMの引き出し限度額いっぱいまでそれぞれ金を下ろす。 一応それで病院の精算と葬儀一式の支払いができる計算。
喪服は正子さんに借りた。今は正子さんが痩せてしまったので着られないとかいう13号の喪服。 痩せてても着られるタイプだったので、正子さんに勧めてみたけど、腰が曲がってるからどうのこうのと言って 自分は黒いスラックスとブラウスみたいなのを着ていた。
ついでに会館の近くの郵便局で正子さんの通帳のカードを発行してもらおうと思ったけど ハンコを忘れたのでできなかった。 なので結構時間持て余した。
そのうち続々と人が集まって来たので、茶を出したり雑談したりなんだり。 正子さんは前回と違って自分の兄弟姉妹がいたので前回より落ち着いてたかも。
お坊さんが来て読経。増田さんも来た。親族全員で写真撮影。 そのあとオードブル一式が出て来てお酒飲んだり。 お兄ちゃんの嫁さんが若くて天然で朗らかなので結構良かった気がする。 増田さんがお姉さんて呼んだり弟よって言われたり。
ミユキさんていうんだけど、来いとも言ってないのに「今度遊びに行きますね!」とかっていうので 皮肉じゃなく、否定されずに生きて来た人は本当に気持ちいいなと思った。 お兄ちゃんがそこに落ち着くのもわかる気がする。 (思えば私の元ダンナさんもそうだった)
しかし今回は親戚の皆さんも前回ほど盛り上がらなかった。 前回は皆さん久しぶりの再会だったので話が尽きなかったんだけど 今回はそれからたったの8ヵ月後だからだと思う。
女性陣を中心に、結構皆さん早く寝た。 でも増田さんが一番早かったかな。 (鼾がすごいのでお坊さんの控え室に隔離した)
カッチャンと呼ばれるガタイのいいおじさんが、寝ないでお線香上げててくれたみたいだった。 私もかなり寝たのでちゃんと把握してないけども。 前回起きててくれた川村さんという学会員のおばさんは今回は寝たようだった。
なんとなく朝になり、朝食の7時半までめいめい散歩したり身支度したり。 私も増田さん起こして携帯借りて病院に診断書のことで問い合わせしたりなんだり。 あと便秘で別の階のトイレにこもったり。
朝食の後もまた時間があった。 葬儀は10時からなのでニュース見たりなんだり。 女っぽい愛嬌のあるおばさんが前回同様コーヒー入れてくれたので飲んだり。 増田さんの黒服に積もった剥がれ角質を払ったり。 そうこうするうちまた人が集まって来たり。 わざわざ茨城からおにいちゃんの友達が一人来ていた。 連絡してなかったのに、茨城大学ネットワークもすごい。
正子さんは前夜、兄弟に自宅に送ってもらい、そのまま一緒に泊まってももらい また車で送られてくる途中、冷え込みやら降雪やらの影響なのか 車がエンストしてスリップかなんかして前の車に追突したとかで また目と口がパカっと開いた廃人顔で登場した。 (増田さんによると「喪主なのに来るのが遅い」と文句を言っている正子さんの兄弟の美人嫁がいたらしい)
葬儀は通夜より派手な法衣?だった。 読経が終わったら棺にお花入れたりして、前回はここで悲しさを誘うような音楽が流れて 思わずつられ泣きした人が多かったけど、今回は価格的に抑えたプランにしてもらったせいかそういうのはなく ただお兄ちゃんあたりが一番グスグスいっていた。 私と正子さんは病院でのお別れタイムが長かったのでそこで燃え尽きていたようで、涙はちょっとしか出なかった。
マイクロバスで火葬場へ。 着いたら増田さんが物珍しげに建物内の写真を撮り始めた。 一族を入れ込んだ写真とか。
この場面で悲しくなることが過去にはしばしばあった気がするんだけど お父さんのときはそういうのは特になかった。 正子さんも同じだったみたい。 増田さんがまだ写真撮ってたので目でたしなめた。
おばあちゃんのときと同じように休憩室みたいな座敷でお弁当を食べた。 たぶん全く同じ内容。 米が北海道銘柄だとかで、そういうような話やお父さんの話、白髪の話で盛り上がる。 ベルコの人の焼き上がり予想時間が過ぎたので、お父さん案外骨太だった気がするしね、なんて言いながら。
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