ゆうべの酒日記

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2010年01月08日(金) こんなもんか?

そうか昨日寝坊したから書いてないんだな。
初出勤は、いかにも嫌だった。
そして暇だった。

定時に退社して、飲んだのはドラフトワンとかホップのナントカとか麦おもい、だったかなんか。
肴:増田さん作・肉豆腐、同・ごぼうサラダ、同・茄子豚肉味噌炒め、コハダ

テレビは何見たんだったか忘れたけど、増田さんの歯医者に行く前が大変という話を聞いて、22時前には寝た。

夢は、メモしたんだけどどっちかな。

家に泥棒が入ってくることを心配してると、案の定、ピエロかマクドナルドのドナルドみたいな怖い人がトイレの窓から入って来ようとする。
トイレの下は大河で(家が川の上にあるっぽい)それを教えてその人をそのまま逃がした。
救命ボート的なものに乗ったその人がどんどん遠ざかる。

立派な家におじゃましていた。
その家の娘はアイブサキだった。
鍵盤がちょっとしかない古いオルガン(ブラウン管テレビ一体型)があって
へー年代ものですねーなんて感じで見ていたら
「それ、お母さんのものなの」とかって言われた。

西武線の終点駅にいた。どっかの男とレクリエーションのリーダーをボランティアかなんかでやっていて、その用事だった。
「きのうどうだった?」とおばあさんとかに質問される。
東京に戻るにはどの線に乗ればいいのかわかりづらく、駅の人にたずねる。
切符がわからないのでカードを買った。
ホームで横長い路線図見てたらベンチの女の人に声をかけられた。
「やたら長いでしょ、この線」とかって。

7日は、増田さんの携帯の起動音で目覚めたので完全に寝坊だった。

出勤したら、お父さんの誕生日だなと気づいた。
でも電話したところで、めでたくもなんともないだろうなと思った。
なにせ神経伝達の病だから。
今は人が生きるための基礎である「危機感」しか働いてないから。

なんだかんだと細かい用事がやってきて、暇は結構つぶれた。
しかしやっぱり辞めたいなあ。
6月でまる3年。いや、あそこに配属になってからだと3月でまる3年。
十分に最長記録じゃないの。

なにはともあれ定時に退社。
地下鉄が笹塚のスイッチがどうので2度とまり、増田さんは私が駅に着いたときには帰宅しちゃってた。
そしてキンピラ作ってた。

飲んだのは金麦と日本酒。
肴:増田さん作・肉きんぴら、同・豚汁、同・角煮春巻き、柳田の刺盛り

テレビは、ニュースと県民ショー見た。
増田さんの母校が「ぼうこう」と呼ばれているっていうのが出てた。
北海道ではお汁粉にカボチャが入ってるっていうのも出てたけど、それ甘味屋とかにもあるメニューなような気がしてた。
違ったのか。
でもそれをおかずにゴハンを食べたりしてる道民が写っていたので恣意的なものを感じた。

寝たのは明らかに22時前。

夢では、うちのテーブルにたくさん並んだごちそう。
どうもおせち料理っぽい。でも隙間にクッキーとかも置いてある。

あと釈由美子の家(黄色がかった地中海風の)があって、役所工事みたいな人が釈由美子にいざなわれる。
私の予想では、中に飢えた子供がわんさかいて、役所工事はたぶん食べられる。

また早稲田あたりに住んでた。でも駅近で今よりは高い物件。
何かをベランダの表に落としたので取りに出ると、そこは団地の真ん中の空き地で
数名の係員が朝の草刈をしていた。
そうか団地の隣の物件の一階に住んでるんだ私、と気づいた。
戻ろうとすると、母がリヤカー?じゃないけど何か荷物を引いていて
「おかあさんヨーカドーで買い物できなくなっちゃったの。トイレットペーパーが516円だったから抗議したら」
って言うので、お母さんの職場であるショッピングセンターで買い物すればいいんじゃないの?とかって私が言う。
母はどうやら生協でも似たような事情で買い物ができなくなってるとのことだった。
私の荷物である、コドモからもらったスプーンとフォークをリヤカー?から拾い出し、母を見送った。

3時に時計見て4時に時計見て、結局4時55分くらいに起床。