「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
私は子ども達に逐語式でメールの返事をさせてもらっているのですが、今回そのうちの一つのメールに逐語式で返事が届き、面白いなぁと思いました。私は子ども達からメールが来ると、この子達ともっと語り合いたいなぁと思います。それは彼女達の素朴さ・純粋さに触れることの喜びのように思います。 2回目の子ども宅滞在中のことですが、2人の娘と私の3人で布団に寝転がっていた時、上の娘が急にケラケラ笑いだしました。理由は友人との面白い出来事の思い出し笑いだったのですが、その笑い声がいかにも軽く爽やかなのに加えて、娘から聞くその出来事の中に、友人達と一緒になってケラケラ笑っている娘の様子が浮かびました。 その娘はいつまでも何度も思い出して面白そうに笑っていました。私は「あれっ?」と思いました。私は、長女はいつも静かにしている子というイメージを持っていたからです。その後ある事を思いました。私は子どもの頃、家の中や家族の前では声を出すことが出来ませんでしたが、外では笑いあう友人が居て、家の中の私と外の私が違っていたのです。(家の中はつまらなかったので、そうなるのは自然なことでした) 私の経験と娘のそれは別なのですが、私はこの事を思い出した時、長い間娘を偏った視線で見ていたと感じました。 話が前後しますが、2回目の旅に行くバスの中で、娘が小さい頃、人から離れて静かに遊ぶ娘を私の子ども時代と重ねて「もっとこうであってほしい」と望み娘と自分を苦しめていたと気付く出来事がありました。その後その娘の日常に触れながら「私は私で、この子はこの子なのだなぁ。そうだったのだなぁ」と何度か感じさせられました。娘が赤ちゃんの頃に私がその小さな泣き声におびえていたことの原因の一つに触れたと思いました。いろんな気付きはそれ以前の気づきの延長としてあるようです。何かな?どうかな?と物事を探求して歩くのは面白いと思います。
|