「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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ある女性に本をお届けに行きました。その方の子どもさんは中学生活の終わり頃「私服でなら学校に行きたい」と言い母である女性はその子どもさんを手伝い、子どもさんは私服で通学されたそうです。女性は「子どもが必要とする時に手伝えればそれでいいかなあと思ってる」と仰いました。私は共感を覚え、子どもがしたい事を手伝えるのは素敵なことだと思いました。 人は子どもを生んだら親になります。しばらく楽しんでいると、それは子どものころに夢見たもの以上に価値のある仕事だと知ることが出来ると思います。私は一度その仕事から離れましたが、今回再び恵まれたこの機会を利用して成長出来るようでありたいです。 そんな私は先日興味深い経験をしました。前置きとして過去の話からさせて下さい。 私は悲しみを感じた時にはその悲しみが終わるまで悲しんでいいと知らなかった頃、子どもが転ぶと最初はやさしく「大丈夫だった?」と語りかけているけれど、子どもは私の思うように立ち上がらないと分かると怒りが湧いてきて「いつまで泣いてるの?」とか「まだ泣いてるの?」と言い、さっさと起きなさいと子ども達を頑張らせました。 今では、当時子どもの方は私に、ある時はやさしい言葉をかけられ、ある時は感情をぶつけられ、子どもの悲しみを増やされていたと分かります。今、私の子どもがいろいろなことを頑張らなければいけないと思っているのは私のせいなのです。 ところが先日、悲しんでいる私自身に「まだ悲しいんだねぇ」と自分で声をかけた時、心からホッとして(あ〜これでいいんだ)と分かりました。体から力が抜けて行くのが解りました。(泣きやまなくちゃ)とか(そんなんじゃダメ)と急がせず、そのままを肯定しているうちに(悲しいよ。だからどうする?)と次のアイデアを探すことが、ごく自然に出来ていました。大人は、そして私はいつも、私を見守っていると私の成長の瞬間を見ることが出来ると思いました。子どもを親の意に添わせようとする事は子どもの成長を見せてもらえるせっかくの機会を逃すことになっていたのですね。私は自分の成長を見ることが出来てよかったです。 私は私のありのままを大切にし自分の成長を見て楽しみながら生きます。感じたままを感じることは次の行動への原動力です。 と書いても、私はまだ不安定。心は行きつ戻りつしますが、エネルギーのたまったところから動きます。
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