「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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又自分を走らせていました。私は「何かをする」ということに、すぐに嵌り込むのです。「寝る前に本読みを」は「目を閉じるまで文章を」になって、今思えば、目が開いている間ずっと、浮かんだ思考の全てが一度にフル回転しているようでした。昨日と今朝は、夢うつつなのに本のことが浮かんで目が覚めました。「ちょうどいい加減」の感覚がなくなって、自分を見るということも思い出せませんでした。やっと今朝、混乱する原因を探して自分のしやすいように動かし、落ち着いたところです。 話は変わって人格のことを書きます。私はこのままで居ると「統合」という結果を作ってしまいそうです。 私は、心の傷を癒やした結果の「優合」になりたいのです。 ある人は「その人格の傷はその人格だけが癒やせる」と言い、私も同じ考えです。それから、私の過去の人格の数人は「現実に出られた分だけ自分に気付き、傷が癒やせる」と言いました。過去の記録を見ると、確かに現実に出た時間が長い人格は自分を見て成長しているので、私はその言葉は正しいと思いました。けれどもそれでは、「プラスの私が現実を生きる」ということと「中に残る人格がその人格自身の傷に気付く」ということがつながらず、「他の人格が傷を癒やせるようにするにはどうすればいいの?」が残ったまま。私は昨年の夏から、このことを心の隅に残したまま過ごし、長く持ってきた「優合出来る」という未来像は少しずつ遠のいて、自分のしてきたことの自信が小さくなっていました。優合する「術」が無いかのように感じたからです。 でも、今日、ある人の言葉と過去の人格の言葉はつながらなくて当然だと思いましたし、過去の人格が語る言葉は「過去の中で語っている言葉」だから、間違いだと思いました。それに、私に能力があれば他の人格の傷が見えるかも…と、こんな予想ができるようになりました。本当にそうなれるように、いつも能力を細胞の一つ一つに染み渡らせます。 「独りを生きるってどういうことだろう」と自問します。何があっても自分を手伝う自分を生きたい。「独り」をテーマにすると、例えば育成会という場所も私の人生の通過点だなぁと改めて思います。それに、私は自分の命の力で生まれてきたのですから、いつも独りを生きていけるはず。今日は「自分にごめんね」の日。もう一度始めよう。
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