「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2009年02月05日(木) 真の姿

 今日は最初に一つ文章を校正しなおして、それからベトナム引き出し用の昨年の旅行記をまとめなおした。今日は半分で終わりにした。理由は、最初にした文章の校正のほうにエネルギーを使って後半はスローペースになったから。文章を見直すという作業は、思いついたことを書くということよりも少し上の術が必要だと思う。大切なのは集中力。それ以前に、思いついたことを書くときに頭で纏まったものが指先につながるといい。
 ちなみに、一昨日文章を練っていたとき本当に楽しかった。そのときの私はその文の出来がどうかということとではなく心がゆったりして、まるで遊んでいるみたいだった。私はきっと初めて文を練るということを楽しめたのだと思う。それから後もその楽さを感じていたくて、その感覚を何度も思い起こし心に沁み込ませている。今までの自分を思えば、「楽しめる」ということは「出来る」ということよりも一つ上の技術のように感じる。傷の中で書いてきた私がやっと、新しい世界の入り口に立てたような気もしている。
この楽を持続できたら、物を書くという楽しみが自然に仕事につながることもあるかもしれない。それも人生の小さな点として。

 夕食はホテルのすぐ傍の面屋台でフーティウを食べた。15,000ドンだから、この辺りの相場を考えると安い。
 お店の女性が話しかけてきた。年は?結婚してる?子どもは居るの?ベトナムへ来た当初からある質問。始めは全部を答え、次は全部に答えないということをした。それから「それを知りたいのは何故?」を質問できるようになった。ある映画の中のショーン・コネリーは「質問とは当事者に関係のあることのみするものだ」と言っている。たぶん、質問をしている女性にとって、私の子どもが5人でも10 人でも同じだと思う。
 でも、今日は“発声”ということをしたかったから軽い気持ちで答えた。その私に冗談も浮かんだ。(ベトナム中の人が4人の子ども達のことを知っている。もしも子ども達がベトナムに来たら“あの時の…”と言う人がいたりして…)。
 このように楽に話をしている自分を見て、今このとき、一つ一つを楽しんだらもっと楽になれると未来の自分を思った。
 食事が終わって散歩した。ホテルから10 分も歩くと路上市場がある。道には痛んだ野菜やごみが散らばっている。外国の人が集まる通りの近くにも現地の人と同じように生活できる場所があると始めて知った。
 それから、2007年べトナムに来たときのことを思い出した。あの時見た、ホテル街の人々の笑顔と4区の友人の家の傍で出会った女性の表情が脳裏に並んだ。後者の女性の表情はホテル街の女性のそれとは対照的だった。当時私は「どちらが真のベトナムの姿だろうか」と探した。今は、私には黙った女性の表情のほうが真の姿のように見えている。なぜなら、ホテル街の人々の笑顔はその人々の収入を得るための術の一つのように思えるから。
 1年前の自分と今の自分を思い比べているうちに、今回の旅のエピソードがベトナム旅行記の続きになるような気もしてきた。それから、プラスの私の人生がつながっていることを実感した。
 自分の心を一番大切にしてきてよかった。素直でプラスが気持ちいい。私はもっとそのようになりたい。そうであることが私の真の姿だと思う。
なりたい自分になれるよう、明日も心に添って生きよう。




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