「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年09月19日(金) 旅のエピソード

 目が疲れ気味。目の休養を兼ねてサイゴン駅へ行ってみた。駅はバータンハイ通りを歩いて20分くらいのところにある。
 観覧用の時刻表には何種類かの列車の値段がある。ガラスの向こうには発車を待つ列車が止まっている。やっぱり乗りたいな。行きたい町がある。引越しすると駅から遠くなるから、今のうちがいいな。そんなことを思いながら構内を一周した。
 それから、聞きたいことがあって案内カウンターに向かった。ところがこの時、私の中でハプニングが起きる。
 持ち帰り用パンフレットの中の出発時刻が構内で聞いたものと違っている。カウンターの女性に声を掛けると、女性は顔を上げた。女性は私が全部言い終わる前に、「どこにいつ行きたいの?」と尋ねてきた。「明日ここに行きたい」。私は例えを使って答えた。始めて聞く単語なのか頭の中が日本語モードなのか、何度か聞きなおしてやっと理解する私。やはりパンフレットの記載と女性の話は違っている。パンフレットが古いのなら持ち帰れない。再び尋ね始めると、女性は私が言い終わらないうちに、彼女の持っているペンで私の持っているパンフレットをはじき、パンフレットは床に落ちた。それから「明日、○時。○ドン」。そう言って、用は終わったというように、椅子に座った。私は彼女の声を聞きとるのに一生懸命で弾かれたパンフレットを追いかけられない。ただ、「解りました。」と答えた。
他にも聞きたいことがあるけれど、この女性に聞く気持ちになれない。隣に座る別の女性に、今度は同じことが起きないよう、「私のベトナム語、解りますか?」と一言ずつ確認しながら聞いた。女性は私が言い終わるのを待って、それから答えてくれた。「ありがとう。よくわかりました」。伝える自分は、最初の女性を気にしながらの精一杯の反論だった。

 床に落ちたパンフレットをまたいで駅を出た。けれど、数歩進んだところで今の光景が浮かんできた。そういえば、パンフレットをまたぐ瞬間に弾かれた時の戸惑いが心に触れた。私は乱暴にされたのではないかな。悪いことはしていないのに。
 怒りが沸いてきた。と同時に自分の戸惑いを却下した自分も思い出した。このままではいけない。私はノートをちぎって自分の気持ちを書いた。

「あなたの説明はひとつもわかりませんでした。」
 いいか悪いか解らない。大人気ないかもしれない。でも、たぶん言っても丁寧に聞いては貰えないから、紙に書いて渡した。それから、もう隣の女性にもう一度同じことを聞いた。
 出口に向かいカウンターを背にして、心臓が高鳴る。悪いことをしたかな。でも、私は悪くない。いつもの3倍くらい大股歩きの気持ちで駅から出た。

 帰り道に考える。怒りの原因。私が怒りを感じたのは、女性の行動が、子どもの頃母にされたことと似ていたからだった。
 このあと考えたのは 「女性が私にそうしたのは何故だろう?」。けれど、しばらくすると、考える方法が違っているのに気付いた。
子どもの頃、痛い思いをするとき、いつも 「母はどうしてそうするのだろう。どうしてだろう」 と考えた。そして 「自分が生きているからいけないんだ」 と言い聞かせた。おかげで今も、腑に落ちないことがあると、他者がそうする理由を探そうとすることがある。だけど、やっぱりこれは違う。

 他者は他者の行動をした。それに対して自分が何かを感じる。今回は怒りを感じた。“ムッ!” そうそう。これでいいはず。
 “ムッ!”を瞬間にキャッチできたら、たとえば乱暴だけど、弾かれたパンフレットを投げ返すことだって出来る。または、男の人に体を触られた時、反射的に返すことが出来る。私はもっと自分の感覚を大切に出来ると、もっと自分を守れるようになる。

 この国には、私の心を語れる人も居る。日本で経験しなかったような乱暴な人も居る。旅行に来ているときには、旅行者として大切にされる。それは、この国の貯金のお手伝いをする外国人だからだろう。長く生活すると違ってくる。マスクの中で 「どうして!」 と叫ぶこともある。だけど、旅行に来ている時にはない経験が出来るから、人生という旅のエピソードになる。
 これからも、日々のきっかけを利用してチャイルドを癒やしているうちに、抑制することも切り替えも、もっと上手になるだろう。

 こんなことを書いていて、一昨日のことを思い出す。一昨日のメモ書きにこの一節がある。

 「怒り」
 髪の毛をいじる癖。それは子どもの頃、怒りを感じまいとする自分が始めたことだった。
意地悪をされ、自己を否定されることへの正当な怒り。その怒りを、子どもの頃の私は、髪の毛をくるくるいじるという行為に変えて、感じまいとした。癖は大人になっても続いた。
 こぶしを握り締めてみた。たしか、昔、このこぶしを壁にぶつけた。指の付け根はいつも赤くなった。
すぐそこに壁がある。握ったこぶしで壁を叩くように、軽くなでてみる。
その時、「ゆかり」が浮かんだ。
男の人は、私に乱暴をした。「ゆかり」はいつも怒ってたんだ。「ゆかり」、ごめんね。 

 その時、声がした。「Naokoさん、怒ってもよかったんだよ」。私の感じるものを肯定する人。ありのままを肯定してくれる大人。Mamo。
「私は怒ってもよかったんだ」。「私は今、怒ってるんだ」。始めて感じる感情。怒り。
 泣いてばかりの自分は知っていた。けれど、怒りを感じる自分は始めて。きっと、子どもの頃最初に感じていたのは、ありのままを否定されたことに対する純粋な怒りだろう。
体から力が抜けた。それから、こんなことを思う。
「いろんなとき、怒りをそのまま感じていたら、私はきっと、人を殺した」。
私の変わりに、母への怒りを感じ続けてくれた人。「Alari」。「Akari」は母を殺そうとした。
それに、怒りは抑圧されると歪みにもなる。歪んだ自分は歪められた自分だったんだ。「あなたは悪くなかったよ。誰も悪くなかったよ。」


 メモを読んだ後、あることが閃いた。
現実にメモを残したN1さんをチャイルドと捉えたらどうかな。チャイルドに怒りを許可出来た私。それは私の出来たこと。そして、今日の気付きにつながったのかもしれない。私はもっと自分を肯定して、いつも自分を見つめる大人に育とう。

 サイゴン駅


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