「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年08月31日(日) 自分を信じるということ

 「心をつなぐ」
 まとめの文章の大半は、Nグループの一人が、日本に居る間に「本を書くようになったら…」と書き溜めてきたものだ。8月半ばの数日間、私はそれを整理しようとして巻き込まれ、N1が現実を生き始め、しばらくの間、流れが変わった。
 N1は、毎朝能力のリストを紙に書いて取り込んだ。能力が全身にみなぎる感覚に感動し、もっと感じたいと人にも語った。否定された時には怒りを顕にした。
 これまでと同じ方法をとるのなら、こんな時はマイナスで「切り替え」をする。でも、私は今回、N1を、マイナスとひとくくりにすることが出来なかった。6年間してきた結果の今。これまでと同じにしていていいのかという疑問も沸き、ベトナムへ来てから後、いくつかの疑問を持っていたからだ。
 疑問のひとつは、「マイナスは本当にマイナスか」ということ。多重人格と言われているビリーミリガンの中には、「好ましくないものグループ」がある。ビリーの別人格が自ら分けたものだ。そのグループの人格達は、別人格に押さえ込まれたままビリーの中に埋もれたとされている。
 私の中にも「好ましくないもの」が居た。自分を傷つけることをしていたからだ。マイナスに足を引っ張られる時、私は立ち止まる。マイナスはマイナスになる。でも、その人格達はもともと、過去の虐待の中を生き延びるために存在した。過去ほど辛いことは起きない今もまだ、その自分が生きようとするのは何故か。私は、私を生き延びる為に居た人格達の行動・言葉の意味を探したかった。
 6年間の記録では、最初の2年間で、すべての人格はそれぞれの状態からそれぞれのレベルで成長している。そこには「あるがままを肯定する」がある。それから4年。N1は今までと少し違う。好奇心で動いている。そんなN1に好奇心も沸く。
 二つ目の疑問は、Akariの言葉にある。「現実に出ている時だけ成長できる。」。私自身も実感してきたことだった。
 私の経験では、他の人格の持っているものを知るのは、その人格が出ているときだけだった。6年間の後半は、プラスを生きていても他の人格のしたことが分かる方法を探した。能力も足りなかった。自分で思い出すことが出来ていれば壁は要らなかったという事も浮かんだ。それでも、私は今、自分の中に、自分を傷つけることをする「好ましくないもの」が居るとは思えない。
 私は、否定されて怒るN1にさえ寄り添うことを選んだ。

 N1は淡々と引き出しを開けた。白いメモ帳にはするどい感覚の言葉が並んだ。
 私はN1を見ながら、今までの自分は何だったのかと問うた。メッキとか上辺のことという言葉も浮かんでくる。今の自分を、二つの言葉でくくるには、してきた自分も嘘のようで、あんまりではなかろうか。
自分に否定されて埋もれたものは、過去の傷を疼かせて埋もれさせられたまま、そこにあったのではなかろうか。
 Akariの言葉の意味は、その自分も肯定してこそ、事実を知り癒やすことができるということではなかろうか。
自分は今、「肯定する」ということそのものをしようとしているのではなかろうか。私のしてきたことは社会の言葉とは違うはず。メッキやうわべとは違うことをしてきたはず。感性が訴え、私は信じた。

 数日を得た昨日、あることに気がついた。「命」だ。
N1の「自分探し」は、古く遡ると、母が自殺しようとしたときから始まっている。マイナスとくくってきたもう一人の私N1は、過去のその時から自分の「生」の意味を探している。それは、N1の打つ言葉の行間に、したためられている。私の足を引っ張ってきた人格の一人は、生きる意味を探している。「生」への執着はここから来ているのかと納得もした。ただし傷を抱えた分だけ間違った見方になりやすい。「生」は執着するものではないことを思い浮かべれば、はっきりする。
 けれど、切り替えて埋もれさせるだけでは同じことが起こる。子どもをいじめた自分は肯定の中で自分を見つめた。人を傷つけた人にさえ、そんな自分をも受け入れられる環境があれば、自分を見つめられると思うのは、誤った見方だろうか。
 私は今、迷っているようだが、迷いから脱している。私の感性がそれでいいよと言い、私はそれを信じているから。
 私は今、自分を信じるということをしている。


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