「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年03月27日(火) やさしい点

 看護職に入るのを躊躇している自分。理由は、病院の中に入ることは、今の自分が捉えているよく生きるということから離れていくように感じていたから。それと、新しい部分を広げて生きたい自分がいるから。そんなわけで今日も再び違うところを探してみたけれど、今日も見事に断られました。これから勉強する私なので、能力給はうんと安いはずですから、私の生活費を計算して、「これくらいあれば大丈夫なので、勉強させてください」とお願いしても、それでも断られました。こんなにたくさん仕事が載っているのに、初心者歓迎というところでさえ、多少の経験が要るという。入り口の狭さに泣きそうになりました。そして、新しい自分として「散々探したし、もういいか」と一旦は看護職に動いても、心が「嫌だ」と言っていて、今日一日の間にも、何度も足が止まりました。
 派遣会社の男性と話したとき、「どうして看護師をしないの?」と聞かれました。新しい自分を広げたいことを話して、「どこに尋ねても初心者なりの経験者を求めらえてしまいます。経験者になるには初心者が入れる入り口がなければ、多少の経験者にもなれないです。私も経験者になりたいんです。どこに入り口があるの?」と言ったら、「うーん、そう言われるとそうですね」とおっしゃいました。世の中の仕組みはおかしい。即戦力を求めらばかりでは、若葉マークの私達は可能性あふれる自分をアピールすることすら難しいです。

 ということで、「もういいかなぁ」と本気で思えた頃、看護師の仕事というだけで自分に何かがのしかかっているのを感じました。理由には、人の命に関わるからとか、間違えてはいけない世界だからとかいろいろと浮かびました。でも、どんな仕事も広い意味で人の命にかかわっています。それにどんな仕事も基本的には丁寧にするもので、間違いはあっても少なくすむというのが前提なのです。
 20代の頃、何度か点滴を間違えたり違う人の採血をしたりしました。それらの患者さんが全て高齢の方だったせいか、全部うやむやになりました。夜中に亡くなっていた患者さんに朝まで気が付かなかったこともありました。丁寧に巡視をしなかった私の、大きなミスでした。(免許はなくなるだろう)と覚悟したこの時も、何事もなかったかのように時間は過ぎていました。というより、病院にとっては、何もなかったのです。
 
 過去を整理しつつ、私はこれらの罪の意識を背負ったままここまで来たんだなぁと。それにやっぱり、きれいなように見えて嘘がいっぱいの世界が嫌なんだなぁと。
 でも、世の中のどこを見ても、その奥には何かが隠されているように見える。どこも同じです。それから、私は生きていくためにウサギを取りにいく必要があるのです。でもそれは生きる分だけあればいい。だから看護師をしても何をしても、自分の心を基準にして切り捨てたり貼り付けて利用したり、どんな風にも出来るもの。病院の仕事をしても割り切っていいものなのですね。なんだか、楽しみになってきました。明日派遣会社に電話しようっと。

 自分を探していたら、ベトナムへ行く・本を書くということはスーッと小さな点になっていました。自分を楽しむその先に、小さく、点としてあるのが見える。やさしい点になっています。今を生きていると心が安心します。

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