「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年01月15日(月) 認めるやさしさ

 1月14日付けの朝日新聞に、ホワイトカラー・エグゼンプションの対象になる労働者は全体の0.4%だと載っていました。「あらまぁ、大変・・・」。先週土曜日の13日、ベトナム人のお友達と語り合ったとき、私は「対象者は全体の2割だそう」と伝えていたのです。そこで、自分の言葉の根源になった記事を探しましたが見つからず、私の見間違いかもしれないと、お友達に正しいものを伝えました。小さなことですが、間違えたのは私。気が付いた事を修正している自分は、丁寧に生きる自分を育てているようで嬉しく感じました。
 ちなみに、私は自分の間違いを認めたり謝ったりする自分がいいです。そして、自分を認められず、他に害をもたらしてしまう自分も居ます。でもやはり、そのままの自分を認めていくと自分が楽。大切な自分のために、素直な自分を育てます。
 以前、「間違えたときには自分よりもまず相手に謝罪して」と聞いたことがあります。どうかな・・・。間違えたのは間違える自分が居たということです。私は、間違えた自分と向き合い、自分に「間違えたね」と言えることで新しい考えが浮かび、例えば心からの謝罪に繋がるように感じます。
 子ども達にしてしまった事も、間違えた自分を認めた分だけ楽に見ることが出来る。だからやはり、自分に「ごめんね」が先みたい。そして、どんな形でも、心は伝わるのです。

 ところで、私は今、昨日14日の新聞の中で感じた二つの疑問を楽しんでいます。一つ目は、「死後の腎臓提供者が昨年では100人を越えた」という記事です。移植コーディネーターは「臓器移植は権利の1つ」と捉えている、とありました。臓器移植は本人の意思というと分かりますが、「権利の1つ」とはどういう意味かなを脳の何処かで考えています。でも、まだ分からない。
 二つ目は、連載されている「育児ファイル」です。「母性は本能でないことは、今や定説です」とありました。
本当かな・・・? 自分の中でじっくりと考えを纏めてみたい。そして纏めたものを言葉にしてやさしく語れるようになりたいのです。


 夜、「脳のどこを使おうか」と考えをめぐらせているうちに、子どもの頃、能面のように無表情だった自分の様子が浮かびました。そして大人になってからも、心の勉強をする以前には能面のまま生きていた私。やさしい刺激は皆無だったのだなぁと実感します。

 赤ちゃんはよい刺激も悪い刺激も、受け入れます。心にやさしい刺激がたくさんあれば、やさしい刺激を受取りやすい脳に成長したことでしょう。 
そして今、私は、…自分の顔は見えませんから、私はどんな表情をしていますか?おそらく、楽しいときには楽しいお目目を、怒ったときには怒ったお目目を。
感情を持った一人の人。いつもやさしい目をして生きる自分を育てます。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


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