「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年10月24日(月) Meeting・・・お礼に変えて

「お礼に変えて」

 昨日の Gobamcan の第一回目 Meeting から一日を経過した今、私にとって昨日の出来事は何にも変えられない大切な空間となりましたので、私はこれからも私を大切にしていくために、私の得た“二つの気付き”をここで語らせて頂くことにしました。

 始まりは Meeting 終了直後のことでした。私は心友Mちゃんから 「Mamoちゃんが近くなった」 と伝えられ、私もMちゃんに返事をしていましたが、私の心の中には 「私が近くなった」 とはどういうことなのだろう・「ある人が自分に近くなる」 とはどういうことなのだろうかという疑問が残りました。その後も私にはMちゃんの語った言葉の意味は分からないのですが、「ある人が自分に近くなる」 という言葉を持って私を見つめているうちに、私の中のどこかが緩やかに開くような気持ちがしてきたのです。その感覚は 「えっ?! これは何?!」 というようなもので、後から考えてみると 「これまで見えなかった自分を感じた瞬間」 のようにも思えます。そしてこれまで見えなかった私とはどんな私かと申しますと、「人を怖がり遠ざけている私」 なのです。私は 「今日まで人と関わる事を恐れていた私である」 という事実を今知ったのです。ちなみに、名古屋へ来てからの私は社会から離れ口を閉ざしていたのでもなく一人を好んでいたのでもありません。けれどもこの気付きは私の中に“事実”としてあるのです。そして考えれば考えるほど 「あー本当に私は自分を殺し生きていたのだ」 と思え、けれどもこの気付きは決して苦しい体験ではなく、「とても大切なことに気が付けた」という小さくて深い安堵感の中にあるのです。

 二つ目。Meeting の中で私は 「私はまだ人格が残っていて自分には判らない部分がある」 と語ったのですが、私が語った後F君は「僕はいつも Mamo ちゃんだと思ってみていますから・・・」というお返事を下さいました。「いつも Mamo ちゃんだと思って見ています」という言葉については、私という一人の人間に対してはおそらくどなた様も皆同じ考えをお持ちなのだと思いますし実際に別の心友からは何度もお聞きしていた言葉なのです。けれども昨日の私にとって、心友F君の言葉はもう一度お聞きしたいくらいの言葉となって私の心に届き、今日一日を通して反復する結果となったのです。

 そして私は、「私はいつも私なのだ」と。「私は今まで自分のどこを見てきたのだろうか」と。そして「あー私はこんなに自分から逃げていたのだ」と改めて気が付かされたのです。

 私は今、私を 「私という型に嵌めていた」 のは 「私」 だったのだと知りました。もう本当に、「私」 を解放してあげられる。又1つ楽になれる。これからもっと自分を開いていけばいい。
やっと・もっと 「等身大の私」 に・ 「心のままに生きる私」 になれるのです。

 今日まで自分を見つめてきて良かった。そしてこれからも・・・。


Mamo |MAILHomePage

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