「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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口の小さな利用者さんに食事介助をしていました。軽い痴呆を持つその女性は私の顔をじっと見つめたまま、ただ黙って食べ物を飲み込んでいました。時々尋ねる私の問いかけには「良いよ」とうなずくのみでした。 食事を半分ほど食べられた時、女性は突然、口の中に入っているスプーンをガリッと噛みました。その視線は私の顔を見つめたまま。そのまま数秒が経過し、噛まれたスプーンの先は私の心に続いている。私は次第に女性に何かを訴えられているように思えてきました。 私は、小さく開く女性の口に、一度の回数で少しでもたくさんの食べ物を入れようとしていたのです。更に数秒後、ようやくスプーンは離されて、私は「口に押し込んでごめんなさいね」と言いました。女性は私に「良いよ」と言いました。 「良いよ」とは、この女性が日常で発する唯一の言葉。人員不足の職場の中で、この女性の「良いよ」と言う言葉はいつの頃からか私の耳を通過するだけになっていました。 「私は又心を無くしてる・この女性が口を閉じるタイミングと私の食べ物を入れるタイミングが合わないのは何故だろう」 私は気持ちを切り替えて介助を続けてみると、やがて小さな事実が見えてきました。女性と私のタイミングが合うのは「トロトロの汁物」を運んだ時でした。スプーンに載せられたトロトロ汁物は女性の小さな口の中に滑るように吸い込まれていくのです。 「倒れてから最初の食事に汁物類が多かったのかな」・・真実は分かりません。その後の私に出来たことは、食べ物をスプーンに盛り上げてではなくて、滑らかに延ばして吸い込みやすくすることでした。 私はこの事をきっかけに、自分の仕事の仕方について、常に考えていこうと思いました。いろんな事は、自分を成長させるきっかけに繋がるのですから。
この頃は 「自分がこれから何をしていくのか」 と「私の生き方」 を考えていて、何かをするために、時間の使い方を変える必要性を感じています。その為に何をどのように変えれば良いのかを考える事は出来るのですが、纏めたものを行動に移せないまま時が過ぎています。此処から先に動けない私なのです。 私の時間の使い方が変わっても、私が大切にしていくものは変わりません。そして、私はこんな事を頭だけで考えているのだろうかと思います。心が満たされれば必然的にそのように動けるはずだから、私は感覚を持った私のまま、「今を生きる事」をしていけばよいですね。
そしてこれからも変化成長し続ける私はこれまでと同じように優しく丁寧に自分を見ていけばいいですね。世間のマイナスに流されない「私」として。 私の最大の能力は「現実の中で、過去に巻き込まれること無く生きられること」で作られるのですから。
6月の終わり、職場の上司から「8月から禁煙になる」 という話を聞いたのですが、今日も私は受動喫煙の環境にいました。このことに関して、上司は 「今進めている」という返答をくれました。と言われても、実際には2ヶ月前から殆ど何も変わっていないのですから、私にはその言葉だけが宙に浮いているように思えてなりませんでした。上司は、職員に対して公言した事は、その内容も期日も公言したように実行する義務があり、何よりも大勢の前で公言する事は、公言される前に、その問題の大方は解決されている必要があると思います。こういうのを 「見切り発車」 と言いますか? 動いているように語りながら実はあまり動いていないのだから、「嘘・見せ掛け」だと言われても仕方が無いと思います。
自分を大切に出来ない人は人も大切に出来ませんよね。職員の心も、利用者さんの心も、真に受け止めることは出来ませんよね。職員の心が分からない経営者は、そこを利用するお年寄りの心を分かろうとしているのかなと疑問が沸きます。
私は働くロボットではありません。施設利用者はお金を運ぶ機械ではありません。私は心を持ち一人の人間として生きる事で始めて、他者に対しても一人の人間としての視線を向ける事が出来るのだと思います。
8月1日の仕事中、ベッドに寝ている利用者さんを見ていた時のこと、突然「この人たちは心を持った人間なのだ」と思いました。当たり前のことですね。私は何年も看護婦として働いてきて今頃こんな当たり前の事を言っている。酷い話だけれど事実なので仕方がありませんね。過去の私が社会で抱えていたものは「看護婦という名のプライド」。 その頃には私が関わる患者さんたちに対して、自分の満足の為に 「優しさを演じていた」のかも知れません。 そして今、「私を持続できる心で生きていこう」と思います。傷が癒やされるたびに自分にも他者にも優しく生きられるのなら、私は何時もいつも傷を癒やし続けていこう。 今はただ 「私の人生設計」 を私自身の肌で感じていこう。それがいい。この生き方が良い。心の勉強を始めてから何度も何度もつぶやいたはずのこの言葉を、8月2日の私は更に大きくつぶやいたのでした。23:30
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