風の行方...深真珠

 

 

Gacktライブに初参戦&迷い続ける僕。 - 2004年06月16日(水)

月曜日、Gacktのライブに行ってきました。
ベストアルバムのツアーだったせいもあるのか、最高に楽しかったです。
聞きたい曲全部聞けました。
踊りまくってきましたよ!!
特に「生ミゼ」や「U+K」あたりはよかったなぁ。
Gacktについて語りたいこともあるんだけど、
また次回。

Gacktはちゃんとヤローにも話を振ってくれるいい人でした。
僕の声、ちゃんと届いたかな?
「Mirror」の間奏で止まるのは、Gacktライブ恒例なのかな?
ラルクの「Blurry」と重なってしまったぞ(笑)←Gacktファンの皆様ごめんなさい


実は、PCの調子が悪くて、なかなかネット繋げる状態にないのです。
日記の感覚が空くと思われます。
本当はちゃんと直したいんだけど、今はもっとやるべきことがあるもんで。


僕は、ずっと迷い続けていたいんだと思う。
答えの出ない自問の反芻が心地いいんじゃないだろうか。
迷い続けているだけってのはかっこ悪いかもしれないし、
あるべき姿ではないかもしれないけども、
僕は自分が抱えている問題に対して、そんなに簡単に答えが欲しいと思わないし、
簡単に与えられたくないと思う。
できれば、自分で気付きたいし、自分で悟りたい。
まだ、何にもすがらなくていい。
神にすがるのは、もっと後になってからでいい。
内的作業ですべてケリがついてしまったら、僕の中のエネルギーはまったく発散されずに、
この世の中に少しの揺らぎすらも与えることができないけど、
それはそれでいいんじゃないか。

分かった振りをして、生きているのも十分かっこ悪いし、
どんなことにも感心を示さずに生きていくこともかっこ悪いなぁと思う。

僕が考えるいくつかの問題を少し書いてみようかと思う。

何が真実なのか?ということ。

まず、TVで報道されていることは真実なのか?
もしかしたら、僕以外の世界中の人間が、僕を騙すためにすべて仕組んでいるのかもしれない。
「○○○で事故がありました。」
・・・本当に事故が起こったのか?僕に確かめる術はない。
「○○○で地震がありました。」
・・・本当に地震はあったのか?僕に確かめる術はない。
僕は、TVで流されていることはすべて事実なんだという刷り込みにあっているだけなのかもしれないと考える。
TVに映るものを何もかも信じられなくなる。
そうしたら、僕は何を信じることができるのか?

自分で見たことなら信じられると考える。
ならば、目の前にあるコップは本当に存在するのか?
僕の目には見えている。「あるはずだ」と思う。
僕は手を伸ばして、そのコップに触れてみる。感じることができる。
「これがコップがここにあるということの証明だ」と胸を自信を持つ。
でも、本当にそうなのか?
元々僕は、ここにコップがあることを存在しようというところからはじまっているわけで、
僕の目は、勝手にそこに僕の潜在意識の中のコップを作り出して、脳に信号を送っているだけかもしれない(実際はそこにはないのに)
僕の手は、そこにコップが存在すること前提で手を伸ばしているせいで、
その地点まで来ると、そこにさも何か物体があるかのような錯覚を生み出し、脳に送っているだけかもしれない(実際はそこにはないのに)
そう考えてしまうと、本当に何も信じられない。
自分の感性や感覚すらも危うい。
ということは、僕自身という存在も危ういし、この世界そのものの存在までも揺るがしかねない。

だから、僕はこう考える。
何も信じられないかもしれないけど、せめて自分の感性や感覚だけは信じよう。と。
僕が実際目にするものは、それが実際そこに存在するということだし、
僕が直に触って、感覚が伝わってくるものは、実際に存在するということだ。
これを否定してしまうと、何もかも崩れてしまう。

簡単に書くとこんな感じだ。


もう一個書いておこうかな。
確かアメリカの映画で「卒業」というやつがあって(違ったらごめんなさい)
男性が女性の結婚式当日に教会まで行って、女性を奪って逃げるという場面があったはず(なんだけど・・・)
みんなが最も感動した場面らしいんだけど、僕はどうしてもそういう気分になれずにいた。
「確かに、逃げた二人は幸せだったかもしれないけど、取り残された新郎になり損ねた男性はどうなったんだろ?
 一見、とても感動的な場面として描かれているところだけど、この男性からみたら、人生で最悪の瞬間だったに違いない。」
と思ったわけです。
ということは、ある場面について、ある人にとっては幸せでもある人にとっては不幸だってことはありうるということを知った。
これは結構大きなことだったと思う。


僕は、神戸のサカキバラ事件でも、オウム事件でも、長崎での事件でも、
そして、そんなに凶悪な事件ではなくて、強盗や痴漢のような犯罪であっても、
いつ自分が加害者側にまわるのかわからなくて本当に怖い。
例えば、電車に乗っているとき、前にかわいい女性がいたら、思わず触れてみたくなってしまうかもしれないし、
目の前のおばあちゃんが大金を持っていることに気付いたら、奪って逃げたくなるかもしれない。
そして、実際にそういう真理に近いところまで行きかけることだってあるのだ。
そういう欲望をどうやって自制しているのかというと、自分でもよくわからないところがある。
本当に本当に紙一重で、どっちに転ぶかわからないという時だってあるし、
やっぱり周りの目とか、犯罪の重さなんかを冷静に考えている時だってあるかもしれない。
ただ、僕が一番恐れていることは、いつその一線を超えてしまうのか。ということであり、
今の僕が持ちうる全ての理性と知性で抑えることができない場合、どうなってしまうのか。というこだ。
今の僕には、「加害者側にまわらない」と確信を持っていえるだけのものがないように思う。
何が何かわからぬまま「(たまたま)加害者側に、まわっていない」という現状が一番怖い。


長くなりすぎました。
ここまでにしておきます。

今週末はラルク2days!!
暴れてきますよ。


BGM:君のためにできること/Gackt


...




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