最後は、あなたと二人で。 - 2004年03月09日(火) 昨日、車で博多を走っているときに、中央分離帯のところに何本かの花と10本くらいの缶コーヒーが置いてあった。 きっと仲間が供えてくれてるんだろうと思って、少し感動した。 自分が居なくなってしまっても、こうやって自分のことを思い出してくれたら嬉しいなぁと思った。 今、僕が交通事故にあったとしたらお供え物をしてくれる人なんていない気がして、ちょっとがっかり。 まっ、これから作ればいいことだけど。 中央分離帯の画が頭から離れない。 鳥インフルエンザで、注目を浴びてしまった養鶏場の会長さんと奥さんが自殺という道を選んでしまった。 確かに、いろいろな責任を取る必要はあっただろうと思うが、 この道しかなかったんだろうか? そうだとしたら、あまりに悲しくて残酷だ。 っていうか、僕も含めた世論が会長夫妻に対して、あまりに冷ややか過ぎたのかもしれない。 誰かが「必ず逃げ道を作ってあげなくちゃいけない」と言っていた。 子供に叱るときのことだったかもしれないし、恋人との喧嘩のときのことだったかもしれない。 僕はその言葉を忘れないようにといつも考えている。 どんなに相手に非があったとしても、立ち上がれない程責めて立ててはいけない。 子供を叱るとき、母親が叱るとしたら父親は加担せずにちゃんと子供をフォローするとか、 恋人を責めるとき、これ以上は言わないという区切りをつけるとか、 そういうことって大事なんだろうと思う。 そのことはいつも頭の片隅に置いている。 夫婦二人で過ごした最後の夜はどんな感じだったんだろう。 二人でどんな話し合いをしたんだろう。 確かに二人が亡くなったことは不幸だけど、 せめてもの救いは、二人だったということじゃないだろうか。 どちらかが単独で死を選んでしまうんじゃなくて、 二人で選んだってところが夫婦としての絆のようなものを僕は感じる。 この事件のことを思い出すたびに感じる切なさをどうすればいいのかわからなくなる。 少し前にトラックのタイヤが外れて、おばあちゃんとお孫さんにつっこんでしまって、 お孫さんが亡くなってしまうという事故があった。 最初のニュースで重体と聞いたときに、僕は「絶対に死んじゃダメだ。絶対に生きるんだ。もしかしたら不幸にも障害が残ってしまうかもしれないけど、それでも生きるんだ。生きていれば、君が周りに与えられるものが必ずあるから。」と思っていた。 次の日(だったかな?)、亡くなったことを聞いてすごくショックだった。 残念ながら、遠い地にいる僕の祈りが届くことはなかった。 このことを考えると、とても切なくなる。 切なくなるのは、単純にお孫さんのことだけじゃない。 これからも生きていかなきゃいけないおばあちゃんの苦悩というものは計り知れない。 「孫を守れなかった。」と悔い続けて生きていくことになるんだと思う。 そういう日々は想像を絶する。 周りの人間もどうやっておばあちゃんを励ませばいいのかわからないだろう。 「孫の分まで生きるんだ!」と言うには、あまりにも体力的に時間的に厳しいような気がする。 それでも、そういう励ましの言葉しか思い浮かばないのだけど。 TVを見ていると、事故で何人亡くなりました何人負傷ですとか、 ドラマで人が何人も殺されたり、 「生と死」という情報には触れる機会があるような気もするんだけど、 そのために実際TVの中で流されている「生と死」の情報に疎くなってしまっているような気がする。 (ドキュメントになると、一つのケースとして見ているのはなんでだろうか?) TVで死亡事故と聞いても、「あ〜、そうなんだ。怖いなぁ」くらいしか感想をもたなかった自分に気付いたときは唖然としたのを覚えている。 (時には、何も感じないときだってある) 今まで笑顔で明るい記事を読んでいたアナウンサーが、急に表情を消して死亡記事を読んでいるという事実に、 ものすごく違和感を感じた時期もあったけど、結局は「そういうもんだ」といういわゆる玉虫色の決着をつけてしまったのは、 僕が「大人」になってしまったということなんだろうか。 なんだかとても悲しい。 BGM:NICE TO MEET YOU/L⇔R ...
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