日記
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2004年10月09日(土) 以下、お花畑です。ユンユンしてます。

そろそろ潮時ですか?
これ以上俺が居ても不快にさせるだけですか。
またマイナスからの出直しはきついな。

結局、また同じ事を繰り返してる自分が居て
頼める義理も無いのに頼み。
レスが来て喜んで。
それで絶望する。

なんど繰り返した事か。
どう転んだって結果はこれらしい。
希望を持たない。

コンセプト。希望を持たない。

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行為に悪意が無く、正論だったとしても、
俺の場合は悪意と取られ、そして嫌われるらしいです。
生きてからいままでずっとだから。
これからさきもそうなのでしょう。

口と目を閉じ耳を塞いで孤独に暮らせばいいのでしょうが、
それでは生きているとは言えないんじゃないかな。

いままで同じような事が何回もあってその度に死のうと思ったけど、
死ぬ勇気も無くてダラダラ生きてたってまた思い出した。

あの事以来、俺が自決する時は奴らを殺した後だと思って生きてきたけど、
(これも真実がどうあれ、俺が悪になるんだけれど)
それもどうやら叶わないらしい。
叶ったとしてもその後に残された家族も社会的に殺すことになってしまう。
例え信頼できなくても信頼されてなくても愛されてなくても、
いままで育ててもらった事に変わりは無く。
返しきれない恩はあってもこれ以上それに迷惑をかける訳にはいかない。

それに俺自身がやってしまった酷い事も十分死に値すると思ってるし、
小学生だったからとか子供のやるった事だからとか。そんなんじゃ許されないと思う。

本当にチキン野郎だった。価値も無い人間だと思う。
中学卒業する時は成長できたと思ってた。
でも本質的には何も変わってなかった。
顔も体も荒んで人から嫌がられるままだった。
今年に入って一人暮らしをはじめてから元に戻りは始めたようだったけど、
それも何かの間違いだったらしい。
また体は荒んでいく一方だ。

チキンだから自決が怖いと思う。
恐怖があるから、まだ生きていられると考える。希望を持つ。
その希望はまた絶望になる。それがいままで。
先にも書いたとおりそれの繰り返し。

そしてまた、岐路に立ってる。
死ぬか。
希望と言う名の絶望で生きるか。

もう疲れたよ。






kobayou |MAIL

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