DAY BY DAY
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私がブラッドベリを好きになったきっかけとなった本、 「タンポポのお酒」をもう一度読み返したくて、 夏がもうずっと遠くに去ってからようやく読み終えた。
この本を初めて読んだ十代の頃、 夏の日のキラキラした一日一日を瓶詰めにした タンポポのお酒を主人公ダグラスと一緒に ワクワクして見つめていた自分がいた。 長い時間を経て今その瓶詰めされた夏の日を 違う思いで見つめている私がいる。 そして、昔読んだときより もっともっとこの物語を好きになっている。
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イリノイ州グリーン・タウンの夏。 主人公ダグラスが自分が生きていることを初めて知った夏。 新しいスニーカーを履いて思いっきり楽しむはずの夏。 たくさんの人が死に、たくさんの悲しみがあった夏。 自分もいつか死ぬのだと知った夏。
死ぬことへの恐怖と悲しみに押しつぶされそうになった ダグラスは原因不明の高熱に浮かされてしまうのですが 「夢を見るための緑の黄昏印、純粋な北方の瓶詰めの空気」を こっそりダグラスの枕元に運んで来た屑屋のジョウナスさんが 「使用上の注意」をダグラスの耳元でそっと囁く、、、、 このシーンが一番好き。
「これを飲んでいるときには、このことを思いだしなさいーーー それをびんにつめたのは友だちだということ」
そのジョウナスさんのおかげで、 ダグラスは死の淵から帰ってくるのですが、
その後、ダグラスはジョウナスさんが自分にしてくれたことにどうお礼をしたらいいのかと悩み、そして「どうにかして次の人にまわすのだ」ということをおもいつく。その鎖が絶えないようにするのだ。見まわして、だれかを見つけて、そして次の人にまわす。それがただ一つの方法なのだ。
なんだか胸がきゅーんとなる。 そうして、ダグラスはジョウナスさんへの感謝の気持ちを 次の人へとつなぐ。。。。。
「ジョウナスさん、あなたがいまどこにいるとしても、さあお礼です、お返しです。ぼくは次の人にまわしました、ほんとです、次のひとにまわせたとおもいます……」
そう言って。
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生きる悲しみや孤独、死への思いがあるからこそ 生きる喜びがよりいっそう輝きを増すんだと 現実味を帯びて感じる今日この頃。 物語の夏が12歳の少年ダグラスにとって、 一生に一度の12歳の夏だったように、 今この時も、どんな人にとっても一生に一度の夏なのかもしれない。 どんなに深い悲しみが訪れようと、 その夏の日の輪郭が年々曖昧になっているとしても、 一つ一つ受け止めて、瓶詰めにし、新しいお酒を 作り続けてゆくことが生きることなのかなぁ… そのお酒を味わうのは、まだずっと先の話でいいような気がする。 できれば、ダグラスのように、 次の人へと何かすてきなことをつないでゆきながら…。 なんて、昔立ち止まらなかった箇所に何度も立ち止まり、 あれこれと思う。
カボチャ畑に魔女が集まりそうな、そんな秋の日に、思う。(笑)
余談ですが、「タンポポのお酒」って 想像上の飲み物だと思っていたのですが、 レシピがあってびっくり(笑)→「タンポポのお酒」
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