透き通る空に舞う、ひとひらを。 そっと両手で包んだら。 ほら君に、夢をひとつ届けよう。
「藤姫っ!」 ぱたぱたと響く軽やな足音に、その館の幼き姫――藤姫と呼ばれる少女は御簾の向こうでこくりと首を傾げてみせた。 「どうかなさいましたか、詩紋殿?」 「あのね藤姫、これ!」 云って詩紋は、何かを包むように丸められた両手をぱっと広げた。 「これ、は……?」 小さな手の平から風に乗って零れ落ちたのは、薄桃色の花弁。 「桜の花だよ。今満開でね、空に散る桜が綺麗だったから藤姫に見せてあげようと思って」 かつて、藤姫は家から出ることがないのだという話を詩紋は本人から聞いたことがあった。 そんな彼女にこの美しいものをほんの一部でも感じてもらいたくて、詩紋は彼にしては珍しく必死で駆けてきたのだがけれど。 そんな詩紋の考えがわかり、藤姫の顔から自然と笑みが零れる。 「詩紋殿……」 「桜を見せたいのならば、花弁だけではなく枝ごと手折ってしまえば良かったのではないのかい?」 藤姫の言葉を遮りその場に響くよく透る声に、詩紋は初めて同席者に気付いた。 「あ……」 「友雅殿」 「おや、失礼」 幼いが賢しい姫に咎められ、肩を竦める友雅を、詩紋は呆然と見つめていた。 確かに、友雅の云っていることは正しい。 花を愛でることは、花の一部であるその花弁があるだけでは成り立たない。桜の美しさを相手に伝えたいのであれば、桜全体、少なくとも一枝が手元になければならないはずだ。 それは、わかる。わかるのだけど――。 「だけど、僕は」 先刻まで花弁を包んでいた両手をきゅっと握り締めた。 ――だって綺麗だったから。 伝えたかった。ほんの一部でも。 「見せてあげたかったんです、藤姫に。花びらだけじゃ、わからないっていうのはわかるけど、だけど、青い空にこの花がひらひらって舞うのが僕はすごく好きで、僕があのとき感じたことを、藤姫にも感じてもらいたかったから……」 云いたいことがあった。 自分でも何が云いたいのかよくわからなかったけれど。 それでも。 「だってすごく綺麗で、僕は――」 「わかった、わかったよ」 突然に遮られ、詩紋ははっと顔をあげた。 目の前に座する橘少将は彼にしては珍しいだろうに、かすかに肩を震わせていた。扇で口元を隠し、藤姫の非難の視線を受け流しながらも、目は可笑しくて仕方がないといった風に揺れていた。 「と、友雅さん…?」 「詩紋殿」 困惑する詩紋に、藤姫は微笑みかけた。 「ありがとうございます」 手には、薄桃色の花弁。 壊さないようにそっと触れる、小さな指先。 なぜそんなに驚いているのか自分でもわからないまま、詩紋は愛おしげに花弁を眺める藤姫を凝視していた。 どこからか通り過ぎた、あたたかな風。 誘われるように、藤姫がふと顔をあげた。つられて詩紋も振り返ると。 美しく整った庭の向こうに広がる、青い空。 その、一角に。 ふわり。 「……ぁ」 青く透き通った空に舞う、ひとひら。つい追ってしまいそうになる、その軽やかな舞。 「――詩紋殿」 ふいに立ち上がり、追うように二・三歩踏み出していた藤姫は、自分の行動に驚きながらも詩紋に振り返った。 「美しいですわね」 「――うん!」 首を傾げてこちらを見上げる、その青い瞳に嬉しそうな光が見えた気がした。 ほのぼのと空を見つめる幼い姫と異世界からやってきた少年に、橘少将がつい扇の陰で小さく溜息をつき、苦笑をもらしたことを、知る者はいない――。
ひらり はらり 舞い散る桜 それはいつか 消えゆくもの それでも その美しさの軌跡を 忘れたくない 自分でいよう
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更新日時は「2002/08/01」(笑) 3年半前に書いたものですね。 サイトを始める10ヶ月ほど前のものです。まだラウにすら出逢っていない頃。 あぁ、私あの頃はこんなの書いてたんだなぁ…。 冒頭の一部だけ書き直しましたが、それ以外は当時のままでアップしてます。わかりにくいところもちらほらありますがご了承くださいませ。
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