ちやの勉強成果(謎)報告日記
2002.03.31までは小3算数からやり直しの受験勉強ネタです(笑)

25歳で准看学校へ入学&27歳で新人ナース♪になりました。
救急指定病院に適応できず入院したり退職したり…(; ̄ー ̄A
2004年8月からクリニックに再就職♪→約4年半勤めた後、転職…
2009年2月から、保育士に戻りました。我ながら幸せな人生です。

2005年10月12日(水) 喪失感を味わう時

患者さんが亡くなりました。
在宅での生活になってから、半年近く往診で関わっていた方です。
在宅で…とは言ってもバックアップ体制が皆無に近く
父一人・息子一人の生活は見ているだけでヒヤヒヤしたものです。

訪問看護もヘルパーも頼まない。家に入れたくない。
人との関わりを嫌う(経済的理由もあったでしょうが…)彼でした。
が。あまりに乱雑な部屋や、食事も満足に作れない状況を
私も含めたナース3人は、週に1度の往診で目にしているので
往診日である金曜は、彼のケース会議ちっくになっていました。
病状が進むにつれ、ますますひどくなっていく生活環境。
親戚や家族の介入も望めず、大学生の息子の負担も大きいだろうと。

彼の往診依頼をしてきた、大学病院のMSWらしき人からは
その後の経過について聞いてくる訳でもなく、ほったらかし。
夏を過ぎてから、彼の動きが悪くなってきたので
せめて食事の面だけでも外部に依頼出来ないものか
経済的負担を最小限に受けられる援助はないものか
ナースそれぞれのつてを使って情報を仕入れたり、法律を調べたり…
結局は、区役所への申請でヘルパー派遣が可能であることがわかり
院長に頼み、MSWに状況を伝えてもらって初訪問につなげ
MSWの動きで、家事援助のヘルパーさんが来るようになったのが
ここ何週間、というごくごく最近のオハナシで。

先週金曜の往診時には、今まで見えなかった床が見えてて(笑)
ヘルパーさんがいて食事を作っていて…という状況を確認し
いつどうなってもおかしくない病状の彼が一人でいる時間が
ごくごくわずかでも、少なくなっていることで安心していたのですが…

息子さんが買い物に行っている間に息を引き取られたようです。
苦しそうな顔ではなかったと、院長から聞きました。
人生のいっちばん最後の時、一人で何を思ったかなぁ?
苦しくはなかったかな?自分の最期を受け入れられたかなぁ?
発症から13年。彼にとっては長かったのか短かったのか…

あたし達のしたことは、ただの自己満足だったのかもしれない。
彼が亡くなったことで気付かされたような気もします。

色々と思うことも、他のナースと話して感じたこともありますが
長くなったので、それはまた別に機会に。


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