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2006年07月29日(土)  自己犠牲とは
あんまり深刻には悩んでないけど、まあちょっと気になることがある。

中学生の頃からの友人の女の子が、ちょくちょく携帯メールをくれるんだけど、私はもうそれが嫌で嫌で仕方ない。
彼女は、関西に住んでいるのであまり会うこともないし、最後に会ったのはどれくらい前だったのかあまり覚えてない。私もあまりそういうことをきちんと覚えて、マメに連絡をする人間ではないし。

彼女はなんと言うか、彼女の性格は、自分の事を置いておいても人のことを心配したり思いやるような人なのだ。すごく極端なことを言えば、自己犠牲をしてでも他人のことを思いやるというか。他人の幸せが自分の幸せ、というような。
中学生の頃もそうだったけど、自分が大変なのに「私のことはいいから、それよりも私はアイちゃんのほうが心配なの!」と言うような人だった。
最近までは、そういう彼女の部分をあまり気にもしなかったのだけど、ここ2年くらいで急に彼女にイライラしはじめた。

私は、自己中心的なので、「まず、自分がどうしたいか」という「まず、自分が自分が」というほうで、まず自分がちゃんとしてなくちゃ何にもならないでしょう?と考える。だから思えば彼女とは反してしまう。

なんとなく、彼女にイライラしてしまうことがあり、なんだかなぁな気持ちだ。
人のことを心配する彼女にイライラするわけではなく、自分を犠牲にしてという部分に。
私はいいの、という姿(勿論、そればかりじゃないんだろうけど)にちょっと反発を感じる。
お互い頑張ろうという風には思えんのかな?と思った。
自分も大変、友だちも大変。そんな中で自分をほっといて相手を助けたとしても、あまり誰も幸福とは思えない。自分は自分の事を頑張る、相手は相手のことを頑張る。お互い頑張ろうって、それぞれやれば、結果として成功であろうが失敗であろうが少しはみんな公平に救われるのではないかと思う。

こういう子って居ない? みんなの周りにいないですか。
結構、いるんじゃない。
派遣会社で働いていたとき、担当していた派遣スタッフによく居たもの。
「私はいいんです。〜〜にはとても不満ですけど、でも私が我慢してそれでうまくいくなら私のことはもういいです。それよりも、他の派遣スタッフの話しを聞いてあげてください」っていう人いたよ。
いやいや、「〜〜が不満」って言い切っちゃってるのに、なんでどうでもいいの? 「不満だ」と大変なことを抱えている時点で、なにもうまくいってないんだよ。人のことはいいから、まずあなた自身のことをどうにかしなくちゃね、と思ったことがあるけど。

自己犠牲は美意識なのだろうか。
もし、そうなのだとしたら、「まず自分の事」というのが私の美意識だ。
性格の違いといえばそうだけれど、こういうことって気になりだすととまらなくなるね。
まあ、仕方がない。大らかに構えているか、少しずつ私の気持ちを伝えていくしかないかもだ。
「あなたにイライラしてるの!」じゃなくて、私のことは大丈夫だから、まずは自分のことを放っとかずになんとかしろよと。
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