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2006年07月26日(水)  おじいさん
オシムを見ているとすごく心配になる。
よぼよぼしているように見えてそのうち○んじゃいそうで、なんか心配。

私は、変な話し、おじいさんにたいしてすごく過剰(というか過敏)になってしまいます。
おじいさんというのは、自分の祖父というわけではなく、世の中すべての老いた男性であれば、誰にたいしてでも、そういった気持ちを抱いてしまいます。
少しよぼよぼしたおじいさんを街で見かけると、「大丈夫?! ちゃんと歩ける?!」って心配になってしまい、ついつい目で追いかけてしまう。すっごく余計なお世話で過保護?というのは、重々承知しているけど、つい過敏になってしまい仕方ない。

これって、なんていう気持ちなんだろう。

ある日、駅の階段をおりていたおじいさんが、あと数段を残してつまずいてよろけてしまった。
よろけながら、足をよろよろふらふらさせながら、何とかころばず一番下までおりたのだけど、「だ、大丈夫?! 足折れてない? どこか怪我してない?」と、すっごい心配になって心の中で(心の中で!)おろおろしてしまった。
多分、そのおじいさんは怪我もなく大丈夫そうで、というより、寧ろよろけてしまったのが恥ずかしくて出来れば誰にも見られて欲しくないだろうし、実際、そのおじいさんは何にも無かったようなしれーっとした顔をしていたのだけど、私はなんだか心配で心配で仕方なく、チラチラとそのおじいさんを見たくて仕方なかった。それでもって、すごく泣きたくなった。「おじいさんって儚い、おじいさんってか弱い」とか思いながら涙が出そうになるんだけど。なんか異常です。

これは、おばあさんには全く感じない感情だ。
なぜかってのを自分なりに考えてみたところ、おばあさんはオバサンの成れの果てなわけじゃない。そして、オバサンって言う人たちは、ガメつくて○にそうにないじゃない。まあ、極端な話しかもしれないけど、あのオバサンが慎ましくしているのはまったく想像できない。その最たる姿を観察できるスーパーなんかでは、物凄いオバサンの根性に私はいちいち腹が立ち、そしてそのうち感心さえします。なんて、強い生き物なんだろうかと、○にそうにないな、と。
それの延長線上の生き物と考えて、おばあさんにはまったくそういった感情は抱きません。

じゃあ、オジサンはどうか。
オジサンは、まっぷたつに別れますね。オバサン的オジサンいるじゃない。ギラギラしているオジサンは鬱陶しいことこの上ないのですが、弱々しいオジサンなんかを見ると同情してしまいます。この人の家庭に彼の居場所はあるのだろうかと(本当に余計なお世話の先入観だが)

なぜ、私にとっておじいさんなのか。
これは、異性であることが関係しているのか?
ということなら、性的感情を抱いているのか?
おじいさんに? まさか!
まあ、異性=性的と結びつけるのも、かなり安易とは思うが可能性は否めないではないか。

なんだ、この感情は。
なぜ、こんなにもおじいさんを美化し、儚い存在と思い、過剰に心配になったり不安を感じるのでしょう。
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