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2006年05月10日(水)  寝坊助と猿芝居
恋人とケンカする。
ケンカと言っても、お互いが感情的に怒りをぶつけ合うわけでもなく、どちらかに何か気に入らないことがあると、ぐずぐずと足元にまとわりつくように、ただ一方的に甘えて怒ってみせる程度だ。

恋人は、今日は休みのはずなのに何の連絡もしてこなかった。痺れが切れたので、「忙しいの?」と電話をすると、「家でゆっくりしている」と言った。会う約束も遊ぶ約束も何もしていないけれど、出来ればゆっくり過ごせる時間があるのなら一緒に過ごしたいと思う。

じゃあ、そっちに行っていい? とか、うちに来ない? とか、いくらでも言えばいいのに、恋人が電話もせずただぼんやりと居るかと思うと、なぜだか気持ちが焦って途端に彼を束縛してしまいたくなるのだ。ぐずぐずと怒ってみせて、私と一緒に居てよと言ってしまいたくなる。

私たちは、何をすれば相手がうんざりして、何を言えば本気で怒るのかわかっていて、またぐずぐずの甘えの交わし方も何となく身に付けていて。恋人は、「ジョギングもかねて走って行ってみるかな。それとも、自転車でもこいで行ってみようかな。久しぶりに電車に乗っていこうかな」などと、暢気な声でのらりくらりと、きっと微笑みながら電話口でそう言ったりする。

ここ最近、私と恋人の根底には気まずさみたいなものがあって、その気まずさをベースにして毎日を懸命に過ごしている。二人が別れないようにお互いが無言で試行錯誤して、少し無理をしながら努力というものをしてみたりして。
たとえば、その努力というものは、とにかく恋人がくつろいでいられるようにしてあげよう、とかね、グダグダいろいろ言わないでただウンウンと頷いて話しを聞いてあげようと、とかね、恋人が来るまでにご飯を作ってあげようとか、洗濯物をたたんで置いてあげようとか。とにかく、恋人が「来い来い」と手招きをしている限りは、私はそういうことをしてあげようと、ちょっと無理をしてみるとかね。そういう努力。

でも、正直、それはお互いの猿芝居でしかないんだよね。
ぐずぐず甘えて怒って見せるのも、束縛してやりたくなるのも、そういう無理なことをしてしまったが故の小さな亀裂の表れ以外の何物でもないと思う。
別に本当は、べったりして過ごしたいわけでもない。少しでも一緒に過ごしたいわけでもない。一人でのんびりしていたら楽だなと思うことのほうが大きい。だけど、『間』があいてしまうことが怖いのだ。はっと我に返る時間が出来ると、こんな無理をする自分が惨めになるから嫌なのだ。恋人を惨めな男と思いたくないのだ。

根底の気まずさの上で一生懸命にお互いを成立させようとして、いろいろと気を使う。気を使うけれどそれが時々しんどくなる。しんどくなってちょっと八つ当たりしてみたくなる。そうやって甘えられてまた相手を許してしまう。
お互いの立場を入れ換えて、甘えられたり怒って見せたり。
それの繰り返しなのだ、今の私たちは。

そうやって、のらりくらりと電話をして、そしてあと1時間くらいすればうちの部屋のチャイムが鳴るんだよ。で、ドアを開けたらコンビニの袋かなんかを持った恋人が立っているんだよ。で、ふたりで寝そべってテレビを見たり、シャワーを浴びたり、アイスを食べたりして、ただ過ごすんだよ。


抜け出したいね。
と恋人に言ったら、今はこんな風でも仕方ないよ。
と、私たちは時々猿芝居をやめて、そんな自分たちに醒めたことを言ってみたりもする。
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