| days |
| 2005年10月03日(月) 点と線 |
| 後輩と、「最近読んだ本は?」という、珍しい話題で会話をしていたら、ほとんど私の読んだ本を彼女も読んでいることを発見。と言っても、私は新刊ばかり読んでいるので、誰かも同じ本を読んでいる傾向は非常に高いのだけど、それでも同じ作家を好きだという後輩に、地味に親近感が沸いた。 私たち、仲良くなろうね。 彼女は、「村上春樹なら何でも持ってますから、言って下さいね。いつでも貸します」と言った。 普段の彼女からは、春樹のハの字も出てこないような、図太くのほほんとした人間だと思っていたけれど(すまんね)、人間って意外性があるから面白い。 ま、でも、春樹だけは一時期読んだだけで、今はまったく読まないので、春樹はいいです。それ以外の本なら交換してもいいけど。 最近よく思うんだけど、ある人の一言二言だけを聞いたり仕草や見た目で、「あ、この人ってこういう人かな?」って想像することがよくある。それは先入観というマイナスなイメージとは少し違うし、また私の好き嫌いの好みの問題でもない。 一言二言っていっても、その人の人となりが分かる言葉ね。 なんだか、具体的に説明するのは難しいんだけど、 その言葉が両極端な意味や重みがあればあるほど、相手の人柄を想像することって楽しくなる。 遠く離れたいくつかの点(言葉)を、直線や曲線で結びつけた形が、彼自身である。 そう思うと、誰かに興味を持つことって途端に楽しくなる。 いくつかの点(言葉)が多ければ多いほど、その形は真実に近くなりそうな気もするけど、本当はそうじゃない。多ければ多いほど、点が線にとって変わり、相手が近くなりすぎて今度は逆に見えなくなる、相手がわからなくなる。本当にこの形が彼の本来の姿かな?と、私は疑問すら持ってしまう。 なぜならきっと、その線(=多すぎる点で出来た線)は、私が時間をかけて苦労して引いた線ではないからだ。数々の相手からの情報量が多すぎて勝手に出来上がった形だからだ。 具体例としては、それは自分自身なのかもしれない。たとえば、恋人のような近しい存在の人なのかもしれない。 そしてまた、時々、相手の意外性を発見して、その形を少しずつ修正したり。 そういう想像もまた楽しい。 だけど、私は時々ずるくて、近すぎると見えすぎて怖くなるので、少し距離をおいて相手と付き合うことを望んだりする。あくまで遠くから客観的に修正することを楽しんだり、線を描くことを楽しみたいと思っている。 そうやって、私は自分のスピードで自分の苦労で相手を理解したいと思う。 ある程度、相手との距離を保っているところはずるいところだけど。 まずは、ふたつの遠く離れた点を見つけること。 |
| Will / Menu / Past |