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| 2005年09月22日(木) 結婚する魅力 |
| ずっと恋人とベッドの上に腰掛けて向かい合い、いつまでも話し合っていた。 眠ることもせず、私たちはずっと話しをし続けていた。 時々恋人と、眠れずに話しをすることがある。 そんなふうに話しをして、私は気が楽になることもあれば、気が重くなることもある。 これからどれだけ、一緒に居られるのだろうと思う。 これからいくつ、お互いの誕生日を祝いあったり、旅行に出かけたりすることが出来るだろう。 旅行に出かけるとき、朝早く起きて飛行機や電車に乗って、知らない街におりたった瞬間、ソワソワとする気分が好きだ。これからどっちの方向へ歩いて行こうか、これから何をして楽しもうか、そんなことをワクワク考える瞬間が好きだ。 旅行は非日常的で刺激がある。 知らない場所がたくさんあって、見たこともないものがたくさんある。 とても刺激的なものだ。 だけど、日常は「非日常」と比べると代わり映えしない退屈な繰り返しの連続だ。 結婚生活は、退屈で刺激のないもののように、私は思える。 毎日、同じ人と顔をあわせ、同じ屋根の下で暮らし、食事を用意して洗濯物を取り込んで、掃除機をかけてスーパーに出かける。生活を維持するためのその繰り返しが、「誰かのために」という目的になればなるほど、私は嫌気がさしてたまらなくなる。 今の私は、自分の生活のために自分が生きるために、食事を用意して洗濯物を取り込んで、掃除機をかけてスーパーに出かける。それはすべて「自分のため」だ。だけど、結婚をした途端、それが自分のためだけではなく、「一緒に暮らす人のため」になるほど、私は、より日常というものが退屈なように思えてならない。その行為に理由や動機がついてくることが、私には重荷になってたまらなくなってくる。耐えられなくなりそうなのだ。 誰かのために、という目的を、自分の生活に据えることが私には耐えられないのだ。そして自分の重荷になることにも我慢できない。 結婚した友人が、「本当に好きじゃないと、結婚生活なんて送れない」と言った。「いろんなことがあるけど、本当に相手を好きじゃないとやってられない」と言った。だから、本当に好きな人が出来るまでは結婚するものではないよとも言った。 結婚というものに、どんなことが待ち受けているのかはわからないけど、私はその友人の言葉を忘れていない。 結局のところ、私は「愛情は続かない」と思っている。 今、誰かのことをとても好きだったとしても、結局のところ「愛情は続かない」と思っているのだ。だからこそ、その反面「愛情が続く」と信じたいのだ。愛情が続いて欲しいからこそ、愛情は続かないと諦めているのだ。 いつのまにか、愛情は情に変わると言われていても、私には情は要らない。 愛情が情に変わっても、私はまだ幸せだと思えることが出来るのだろうか。 想像も出来ないし、考えることも出来ない。 ああ、この人が好きだとまだ思えるのだろうか。 恋人に、「愛情は結局のところ、続くものではないと思う」ともちろん言ったことはない。 だけど、薄々気づいているような気がする。 そういうことは、伝わってしまうものだ。 現状の維持をし続けることを、私は苦手に思うけれど、私たちの発展した姿が「結婚」という形であれば、私は現状維持を強く望む。「結婚」という以外に発展する選択肢がないかとも思う。 私の父と母の結婚生活は、とうに破綻している。だけど、それでもまだ結婚生活を続けている父母に、私はある意味尊敬の念すらおぼえる。私の父母には、愛情の先の情を通り越し、もっと生々しくて冷たい空気を感じる。そんな毎日の生活でも、母は父のために食事を用意し、風呂の準備をしている。私にはそれが、とても生々しく思えるのだ。 なぜ、母は父のために生活を維持させようと働くのだろう。 そしてなぜ、父は母のその働きを甘んじて受けているのだろう。 結婚の魅力ってなんだろうか。 その魅力は、恋人同士以上の魅力があるのだろうか。 結婚する人たちが、周りの人の祝福を受けて素敵な結婚式をあげる姿を見かける。その姿は、それはそれで魅力的なものだけれど、結婚とは、その先に続く生活であり、その生活の中にこそ結婚する意味があって、彼らが結婚しようと思った決意があるものだ。なぜ人は結婚するのだろう。何を求めて結婚するのだろう。 私は恋人と結婚するのだろうか。 疑問が解けない限り、結婚しないのであれば、たぶんずっと私は結婚しないかもしれないし、きっと出来ないだろう。 |
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