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2005年07月27日(水)  痛いのー!
出張から飛行機で帰ってきて、池袋行きの羽田リムジンバスに乗っていた。

平日なので、あまり乗客もなかったけれど、夏休みの生なのかどうなのか、二組の親子が乗っていた。両方とも、父親・母親と息子(兄)・娘(妹)、ともに保育園に入るか入らないかくらいの年齢だと思う。

私が、キレそうになったのは、その子供がずーっと喋りっぱなしだったことである。

子「ねえー、ママー、見て見てー、コレ見てー」
母「……」
子「ねぇー!!」
と、母親が相手をしてくれるまで、執拗に「見てくれ」と繰り返し、そのうちヒステリックに金切り声で叫ぶのだ。

父「あ、ほら、モノレールが走ってるよ」
息子「違うよ、あれはモノレールじゃないよ」
父「あれがモノレールだよ」
息子「違うもん!モノレールじゃないもん!僕、モノレールに乗ったことあるもん!」
父「そうだよ、モノレールだよ」
息子「ちがーーう!」
と、モノレールだっつってんのに、違うと言い張る。私にはアレがモノレールかどうかはどうでもいいけど、彼が頑固にもアレはモノレールでないと言い張るその根拠が知りたいとはチラリと思うし、アレはそれでもやはりモノレールなのである。

ずっとしゃべりっぱなしの子供は、本当に五月蝿い。
旅行に行ってたのかどうか、疲れきった親たちはほとんどその相手をしてやらず、子供の声は宙に浮いたまま、相手が応えてくれるのをただ執拗に期待している。

寝れないし、うるさい。
私だって疲れてんだ。寝かせて欲しい。少しは静かにしていて欲しい。
私は、だから子供が嫌いだ。

静かにしていなくてはいけない場所、時、というものが彼らにはわからないでしょ。
子供だから、わからないのは当然だとは知っている。
だけど、私はその「無知」というものが嫌いなのだ。
無知と無邪気は違うわけで、賑やかなのと五月蝿いのは違う。
だから、「わからない」という年齢の子供が嫌いだ。
「わかるようになってきた」くらいの子供ならまだ我慢できる。


突然、息子が「お腹が痛いー!」と叫び出した。
イタイー!とただ泣き叫んでいた。
その家族は一番前の座席に座っていたので、さぞかし息子の声で運転手は迷惑していることだろう。その叫び声に手元が狂って前の車にぶつからなければいいけど、と思ったくらいだ。

痛いのー!
痛いんだったてばー!と子供は叫ぶ。
母親が、「どうして、そんなに痛いの?」と聞く。
「知らないよー!」と息子はなきながら叫ぶ。
まるで、自分の腹痛を誰かに八つ当たりしているみたいだ。
どこが痛いの、どんな風に痛いの、と親が聞いている。子供はただ、イタイイタイ、と言うだけだ。
母親が、「こっちに来なさい。撫でてあげるから」と言うと、ぐずぐずむずがりながら、息子の声はしなくなった。


その様子を耳で聞いていて、私は「はっはぁ〜ん」と思った。
この息子は、この息子は、まるで私にそっくりではないか。
「生理痛で、お腹痛いのー!」と、つい先日ぐずぐずむずがっていたではないか。
「そんなに痛いの?」と聞く恋人に、「イタイのー!」とただただ叫んでいたではないか。
「撫でてあげるから、こっちにおいで」と言われたいがために、ぐずぐず「イタイイタイ」と言い続けていたではないか。
はっはぁ〜ん。
私は子供ほど無知ではないとは思っているが、レベルは子供と変わらないということだ。

リムジンバスの中で納得。
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