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2005年01月05日(水)  薄っぺら
私は、母を愛せないと、帰省したときはっきりと自分に確かめた。

なにがあったわけでもないけれど、ふとそう思った。
母の姿を見ながらふとそう思った。
そして、そういう思いを自分の中に認めたとき、正直ほっとした。
母を愛さなければいけないという思いがふと解かれ、私は母を愛せないと思った瞬間、そういう親子もあり得るかもしれないと、その可能性を信じることにしたのだ。
無理に、素晴らしい親子の付き合いをつくろうとしなくてもいいのだ。
諦めたっていいのだ。
そう思ったらほっとした。

家族や親子は強い絆で結びついているとよく言われる。
そうかもしれないけれど、私には実感がない。

帰省したとき、母が「引越し先の新しい住所をメモに書いておいて」と言っていた。書かなきゃいけないと思いながらも、ついつい忘れてしまい東京に戻ってきてしまった。これで、父も母も私の住む場所がわからずじまいだ。
そのときふと思った。
このまま居所も教えずにいれば、私と父母とのあいだは切れてしまうのではないだろうかと。このまま連絡も取らないでいれば、母の元から消えていなくなってしまえるではないか、と思った。
このままずっと、父や母に会うこともなく、自分ひとりだけでもいい、生きていけるのではないかと思った。
電話が鳴り、恐る恐る受話器をとると、母の声がして、「住所、書いておいてっていったのに。さあ、住所教えて。」
私は一瞬、沈黙した。

ひどい人間だと誰か思うだろうか。
私はそもそも、良い娘ではない。だから、ひどい人間だと思われて当然だと思う。
それにたいして、反論する意味もないし理由がない。

親を、そんな風に思う人間は、恋愛も結婚も、そして子供を作ることも出来ないと思う。親を愛せないで、なぜ他人である男性を好きになれるのだろう。なぜひとの親になれるだろう。恋人が、私に愛しているよと言うたびに、私は「嘘だ」と思っている。だって、本当に嘘っぽいからだ。

私は、どこまでも薄っぺらい。


もう少し、自分は良い娘であればよかったと思う。
父や母の望むように、望む仕事をして望む場所に住み、望むような恋愛や結婚をして、望むような生活をする娘。今の私より、もう少し我が弱くて欲望がなくて控えめで、父や母を大切にする、良い娘であれば良かった。
そんな風に、親に対して後ろめたさも感じている。
人並みに、自分が親不孝モノであると言う自覚もある。
でもだからと言って、今から孝行すればいいじゃないかという問題ではない。
盆や正月に帰省して親孝行をし、誕生日には花を贈り結婚記念日にはプレゼントを贈り、感謝の言葉ひとつ伝える、ということではない。
私が、後ろめたさを感じているのは、もっと根の部分のことで、私自身のことだ。
私の性質や価値や存在が、もっと父や母の望むものであれば良かったということだ。

私はどこまでいっても薄っぺらだ。
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