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近視眼的日常その2
大学生のとき、よく同じ講義を取っていた子に、「koiさんて、猫系の動物みたいな歩き方するよね」と言われたことがある。「? 足音しない?」確かにペタンコの靴ばかり履いているので、ヒールほどは音がしないだろうけれど。「違う違う、なんかね、角をまがるときとか、こう..(と、彼女は弧を描くように手を動かした)すごくなめらかに移動してる」「へー、知らなかった」
コインランドリーで乾かした洗濯物をかかえて、ぼーっと歩いていたら、いきなり、近くの酒屋で働いてる人に、「あぶない!」と言われ驚いた。が、声のする少し前に、目の前の看板はよけていた。酒屋さんを振り返ると、決まり悪そうにお辞儀していた。わたしは障害物を、直前でさけるくせがある。目自体も悪いのだが、近くにしか気を配っていないのだろう。目的の場所に自分で行くことはできても、人に説明することができないのも、目印を自分なりに<ここにはこれ>程度しか認識してないからだと思う。
眼鏡をなくしたときだったか、コンタクトをなくしたときだったか、新しいものを買いに行った眼鏡屋さんに、呆れられたことがある。「その視力で裸眼のまま歩いちゃ駄目ですよー」と。でもべつだんぼやけるだけで見えないわけじゃないから、事故にあったこととかはないですよ、と言おうとしたが、あまりに店員がいいひとそうで、心配してくれたので、大人しく補助眼鏡とやらを借りた。目のいい人は、目が悪い人の視界がよくわからないかもしれないが、普通のTVの画像と、カメラに水滴などがついたTVの画面程度にしか違わないとわたしは思う。
わたしの場合、歩いていて本当に危ないのは、実はひとと歩いているときなのだ。眼鏡だろうとコンタクトだろうと、相手に意識が集中してしまうので、とても足元や状況判断がおろそかになる。話に熱中すると、周囲の音も聞こえなくなる。大好きな人と一緒にいると尚更、あちこちぶつかったりひかれそうになったりと、大変注意力散漫になる。そういうひとに、ときどき「ひとりのときはなにもぶつからないよ」と言っても、あまり信じてもらえない。「目が悪いから仕方ないね」と言われるばかり。まあそれで納得してもらえるなら、それでもいいか。
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