psyche-deli-chic

2004年04月25日(日) 花粉症の顛末/幸せのカタチ/the beatles vs the rolling stones


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 today's moon かに0'〜 12'
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 ★☆今日のbody☆★

せーり3日目。今月はなんだか急に始まってしまった。
ちゃんと計算してる訳じゃないんだけど、新月の直後に
始まったから、多分、予定より1週間くらい早かったんじゃないかな。
満月にせーり開始を合わせる目論見は、また遠のいてしまった。ちぇ。

体調、やや怠い。目がかゆい。ここにきて、花粉症、急激に悪化。
噂によると、ヒノキの花粉が飛ぶ時期に入ったらしい。
小田原は花粉が飛び出すのが早いので、悪くすると新年早々から
花粉症の症状が出始める。それがいつもGW前後まで続く。
ところが、実はロングターンに見えるこの花粉飛翔時期に、
花粉の入れ替えが起きてるらしいことを、最近知った。

杉の花粉は3月くらいがピークなんだとか。ということは
その後だらだら続く症状というのは、他の花粉のせい。それが
どうやらヒノキらしいのです。経験的に、ヒノキの花粉は
引き起こす症状が劇的、というのは知っていたんだけど、
今年は特にそれを感じた。

再三この日記でも言ってた通り、今年は杉の花粉症状がすごーく
軽くて、楽チンだったのだ。ところが、2週間程前、風邪を引いたな、
と思って風邪薬をしばらく飲み続けていた後で、急に鼻水が止まらなく
なり、しかも、それに続いてひどい倦怠感と微熱の症状。だらだら風邪
薬を飲んでいても、全然症状が改善されず。

なんだよぉ、冥王星来てるし、恐いなぁ、、、と原因不明の症状に
気持ちが滅入っていた時に、はっ、と気づいた。あ、こりゃ
花粉症が悪化した症状かも。起きているのも億劫なくらいの
体を引きずりながら、ネットで検索かけたら、やっぱり出ていた。
花粉症って、重症になると、微熱が出たりするんですよ。

それで慌てて近所の病院に駆け込んで、18の時に花粉症を発症して
以来初めて、花粉症用の内服薬を処方してもらいました。歩いて
1分のところに、総合病院があるんで、こういう時は重宝。毎年
年末から新年にかけて、一度高熱で倒れるのですが、小田原に
引っ越してきてからは、恒例でその病院にかかっていて。年に
一回の通院だというのに、気づいたら、担当医さんのように
毎年同じお医者さんにかかっていて。

毎年、そのお医者と、この時期花粉症で、なんて話をするので、
決まって、花粉症の内服薬、飲んでみますか、って進められるのを、
さすがに内服薬はちょっとなぁ、、、とやんわりと固辞してきた
経緯があるのだけれど。昼夜問わず起きているのもままならない
くらいの酷い倦怠感に襲われ、やらなきゃいけないことばかりか
やりたいことまでできなくなってしまったので、さすがに焦って、
観念しました、とばかりに内服薬を処方してもらったのでした。

効果はてきめん。しかも、驚いたことに、ここの所やけに指が
浮腫むなぁ、これも加齢現象なのかなぁ、と思っていた症状が、
翌朝久々に解消。つか、これも、花粉症の症状だったのかぁ。
きっと、体内での循環機能がうまく働いていなかったんだろうな。
正体不明の倦怠感に襲われている時、体の中で、何かが戦ってる
感じがしたもの。そのなにかが、ヒノキの花粉だったのね、、、。

まあ、そんな訳で、体調はちょっと良くなった。けど、薬の
副作用が強くて、毎朝起きると頭部に鈍痛があって、その
鈍痛が日がな一日中続くのと、夕方以降、思考回路が停滞
してしまうのとで、薬を使い続けるのが逆に辛くなって、
3〜4日使用して、鼻水、鼻づまりの症状が軽減した所で
服用を止めることにした。花粉症の薬を飲むのに、頭痛薬を
併用しなきゃいけないのは、わたし的にはちょっとナンセンス
なので。

ヒノキシーズンも、あとちょっとで終わるはず。早く楽になりたい。

 ☆★今日のmind★☆

ここの所、HP見てるよ〜、と知り合いから声をかけられることが
増えてきて。すんごく嬉しいくせに、それがちょっとだけプレッシャー
だったりして、複雑な乙女心。←おとめゆぅな、自分(笑
よくない癖で、比較的調子の良い時にしか、こういう書き物ができず、
本当は、苦しい時に自分の心情を吐露できればいいのだけれど、
苦しくなると、苦しい心境を言葉にするまでに異様に時間がかかる。
つまり、はけ口を失って、どんどん自分の中に内攻させてしまうのね。

楽しくやっていたいnおうしの金星に、どぉんとn土星conjunctionしてる
から、ともすると過剰な自制心が働いてしまいがち、なのかも。ちょっと
自信ない、昔より遙かにちゃらんぽらんになってる自分がいるから(^^;
これでいいのかい?って思うくらい、いい加減になってる気もするし。
でもとにかく、苦しくなると、言葉が出なくなるんだなぁ。

それはnおうしの月、orb広めのoppsition nいての火星も、きっとそういう
作用を及ぼしていて、何かショックなことがあると、怒りを通りこして、
ずーんとheavyなものが、ハートに到達してしまい、言葉を失ってしまう。
そしてどんどんどんどん内攻していってしまい、いつの間にか、ヘドロの
ように、ぷすぷすと悪臭を放つ、やっかいな化け物のようなどろどろとした
感情が溜まってしまい、頑固なシコリとなって、まるで漬け物石のように
重たくハートの奥底に居座り続けてしまうのだ。

どれだけ軽やかにしゃらしゃらと言葉にしようと思っても、一度ずーんと
重く受け止めてしまうと、なかなか感情を表に出せなくなってしまう。
おうしは、poker faceなのだ、とは、関口先生の見解。なる程ねぇ。
太陽ふたごのあたしとしては、どんどんしゃべって言葉にして発散させたい
はずなのに、気持ちが硬直すると、表情が能面のようになってしまうのは
そのせいだったのか、とえらく納得(笑 そして時が過ぎて、やっと事の
発端となった事情を相手に説明すると、え゛、そんな風に思ってたの?
ってゆっか、今更なんでそんなことを蒸し返すかねぇ、ってびびられる。
うひゃっ、おうしの対向星座はさそり!ぜぇ〜ったい忘れないのね、
あたし、、、。我ながら、こわっ(^^;

おうしと言えば、わたしは小さい頃から親に欲が深い、諦めが悪い、と
ブツブツ嫌みを言われてきて、自分でもそういう傾向を恥じて生きてきた。
一方で太陽のふたごが、外に出ると全然そんな自分を忘れさせるので、
ほんと、我ながら外面のいいヤツだぜ、と家にいる間中、頑固でモノに
執着するみっともない自分を持て余してくさくさとしていたのだ。

その頃は占星術にもあまり詳しくなくて、ちょっと詳細な本を読んで、
太陽の他にも月や金星、火星やASCなんかで色々な自分の側面を知ることが
できる、という知識はあったのだけれど、なにせ海外生まれなわたし。
自分の正確なチャートが出せない。本に載っているデータは皆、日本
国内で生まれた人対象。太陽、金星、火星くらいなら入っているサインは
わかっても、月やASCなんかは、正確な出生時間と出生地が分からないと
計算しきれないところがあるのだ。

それでも金星はおうしにいるのは確実だったので、おうしの項目を
読むと、なんだかなぁ、なことばかり書いてある。今思えば、おうしが
なんだかなぁ、なのではなく、自分の中にあった自分がみっともなくて
恥ずかしい、と思う部分が、おうしの部分だったんだけどね。それで
月なんかも、おうしとふたごの境目の日に当たるので、ずるをしては
ふたごの方を参照にして、あたしはふたご人間〜♪なんて軽やかに
いられる自分を選んでいたんだけど。

自分の中の、みっともない、恥ずかしいと感じてきたおうし的要素を
理解して認めて、受け入れるようになってきてからは、大分心境的に楽に
なってきた。例えば

 ・どこに行くのにも、荷物が多い←出先で、何か足りないのが耐えられない。
  出先で足りないことでパニックするくらいなら、例え出番がなくても、
  荷物が重たくなっても、持ち歩くに限る。
 ・買い物する時には、買い置き分も。←ひょっとして足りなくなるかも。
  今度買い物行くまでに無くなってしまうといやだ。使おうと思った
  時に無いのは困る、という発想で、物置にはストック品が必ずある(笑
  お金に余裕がある時はそれでもいいんだけど、お金が逼迫している
  時期の買い物時に、時々はっとする。おいおい、ストック用に買ってる
  場合じゃないでしょ、って(笑
 ・買い物するなら現金よりカード←手元に現金が残らないのが恐い。
  いざという時に使える現金がなくなるよりは、借金が増えても
  カードを使っておこう、、、。これは、、、本当によくないと
  わかっているんだけど。こういう人は、思い切ってカードを作らないに
  限るんだけどね。わかっちゃいるけど、どうにもこうにも。
 ・欲しいものは出会ってしまったが百年目←すぐに運命的出会いを
  してしまう。これこれ!これが欲しかったの〜!今買っておかないと
  絶対後悔しちゃう!という自分の欲望にうち勝つのが、なかなか大変。
  これは、ちょっとでも迷いが生じたらその日は諦めて買わずにおく、
  そいう解決の仕方にしてる。今度また会えたらそれもご縁、会えなければ
  ご縁がなかったのね、と諦めるしかない。でも、これができるように
  なるまで、散財癖、なかなか治まらなかったなぁ。
 ・お金よりブツ←手元にお金があれば、貯めておくより、どんどんモノに
  換えてしまう。お金は無くなるけど、手元に、素敵なモノが増えていく。
  増えていくお金を数える楽しみってピンと来ないのねぇ。所詮、ただの
  紙切れだし。小銭だし。だったら、持っていると心がわくわくしたり、
  見ているだけで気持ちが穏やかになれるような形のあるものに換えた
  方が、断然楽しい〜♪
 ・一口目は絶対あたしのもの!!←食い意地ってやつっすかね。というより、
  自分のもの、という意識が強い。さあ食べよう、と思った時に、旦那が
  横から最初の一口を奪い去ると、申し訳ないけど、本当にむっとする(笑
  自分が楽しみに取っておいた食べ物を、いくら自分の子供からでも、
  ねだられるのも苦手。ちょっとだけだよ、って必ず枕詞をつけないと、
  分けてあげることすらできない(^^; 
 ・自分のものは自分のもの!!←例え傍目にそれがどんなにチープな下らない
  ものに映っても、大切なものは大切。大切なもの、って思っている間は
  自分の子供にもあげたくない。シールとかね、色鉛筆とかね、好きなものは
  好きなのよ〜! でも、譲りたくなる瞬間がきたら、ぱっとあげちゃうんだ
  けどね。これあげたら喜ぶだろうなぁ、嬉しそうにしてくれるんだろうなぁ、
  って想像すると、あげたくなる瞬間が訪れる(笑
 ・欲しいものは、諦められない←執念深いんだろうなぁ。他人にここを
  けなされたり、バカにされるのが一番辛い。自分でも、卑しいなあ、って
  思うことあるから。でも、最近理解したのは、この、欲しい!っていう
  願望が強いからこそ、あたしは幸せを手に入れてきたんじゃないかと
  いうこと。自分が欲しいものは、はっきりわかってる。どういう価値が
  あるから、自分にとってそれが必要なのか、ということがすごく明確に
  わかってる。だから、人が持ってるものって、わぁ、いいね〜!って
  思うことはあるけど、欲しいとは思わない。むしろ、ここではASCの
  みずがめが効くのか、自分が欲しかったものでも、誰かが先に持って
  いるだけで興冷めしちゃって、本当に必要なものですら欲しくなくなって
  逆に困ってしまうこともあるくらい(笑

ざっとこんな感じかなぁ。こんなの、くるっとひっくり返して、太陽の
ふたご的視点から見ると、本当に訳のわからない感情だったり、悪癖の
ように感じられていたものだから、これが自分が内包しているおうしの
部分なんだ、って納得できるまでは、すごく辛かった。だって、ふたごって
食べ物にも持ち物にも、さして執着しないんだもんっ。そのさらりと
あっらかんな自分がいるのに、その実、月や金星の部分では、めちゃめちゃ
物欲強くて執念深い、って、本当、耐えられないくらい、屈辱的なこと
だったんだよねぇ。

そんなことを考えていたら、先日、何かの本で、面白いことが書いてあった。
中国の昔の説法話らしいんだけど

"昔、ある所に偉い高僧と、その弟子がいて、みなで修行を積んでいた。
その中の弟子の一人が、いつまで経ってもなかなか高い層に上がれないのを
見かねた高僧が、ある日、その弟子を連れて旅に出た。何日も何日も歩いて、
ある日、山の頂上まで辿り着いた時、高僧が弟子に向かって、お前はいつまで
経ってもモノに囚われて高みに辿り着くことができないようだ。しかし
わたしはお前が何に囚われているのかわかっている。向こうの山を見てごらん、
あそこに一軒の家がある。あれをお前にやろう、さあ行きなさい。"そう
言われて、弟子は初めて悟りを開くことができた、というお話。

ん〜。何の本で読んだんだっけな、思い出せない。出典元わかったら、また
upするとして。この挿話を読んだ時に、あぁ、こりゃあたしだわぁ〜、って。
つまり、恥ずかしい、みっともない、こんな自分いやだ、って思ってその部分と
向き合わないうちって、そのネガティブな部分が手つかずになってしまうから、
結局ネガティブな部分を昇華させることなんか、できないんだよねぇ、って
このお話を読んで改めて思ったのだ。

それに、人にはそれぞれ本当に大切にしなきゃいけないものがある。
大切にしなきゃいけないものの最たるものは、やっぱり自分自身なんじゃ
ないかとわたしは信じてる。でも、大切にしなきゃいけないものが
人それぞれ違うように、自分を大切にする方法も、人それぞれ違うのかな、
って。

去年までの辛かった時期を通して、わたしは結局、自分がある程度幸せを
実感していないと、周りの人間まで不幸にしてしまいかねないことに
気づいた。誰かの幸せを願って、自分の幸せを先送りにしてきたことが、
どれだけ自分を痛めつけてたか、その結果、不幸な自分は誰も幸せにして
あげられることができなかったことに気づいたのだ。

星を勉強すればする程、その思いは確かなものになってきた。
わたしは、まず自分を満足させなきゃいけないんだ、って。それは端から
みたら、浅ましかったり、卑しかったり、みっともなかったりするかも
しれない。でも、自分を満足させられない自分が、自分に辛く当たり、
自分に辛く当たってる自分が、人に優しくできるハズがない。少なくとも
わたしには、それは無理だった。

だから、自分自身の心の平安を絶やさない為にも、まず自分が幸せに
なろう、と思ったのだった。人によって、心の平安の拠り所は違うの
かもしれない。でも、人がいて、自分がいる、ってことがわかれば、
人も自分も幸せでなくっちゃ、世の中平和なんて成り立たない、という
理念は必然的に生まれてくるわけで。

わたしは、わたしの周りの平安維持の為にも、自分を幸せにしておかなきゃ
いけない人種のようです。わたしの究極の幸せ、それは自分を表現して
形に表すこと。 それで、こうして自分を発散させるために、今日は
朝は散歩を旦那に任せ、昼食後必死で子供を昼寝させて時間を作って、
パチパチとキーを叩いているのです(笑  あぁ、至福の時だぁ〜☆
あれぇ?どっか間違ってるぅ???

それはそうと、わたしの中のthe Beatles the Rolling stones。
beatlesの中心核2人、つまりjohnとpoulは、それぞれてんびんとふたご。
つまり、air。片や、stonesの中核2人、mickとkiethはしし。
stonesの初期には、それにbrianという、これまたふたごなtrick starが
加わっていたけど。

わたしは、洋楽歴長いけど、the rolling stonesに出会って、不思議な
感覚に囚われた。あ、あたしの骨はこれだ〜!って。ふたご的に、
色んな音楽に触れてきたけれど、自分でも、一体本当はどんな音楽が
好きなのか、わからずにいたのだ。いいものはいい、やなものは
イヤ、で片づけてきてはいたけど、じゃあ、どんな音楽が好き?
と言われてると、その傾向にばらつきがあって、自分では混沌と
しているように思えた。

でも、どうやら、americanな音楽よりは、british tasteのある、ちょっと
ひねりの効いた音楽の方が好きらしい。典型的americanな、すかーんと
突き抜けた明るさは、インパクトには惹かれるのだけれど、繰り返し
聞き続けると、飽きがきてしまうことに気づいた。

そこでベースに出てくる二つのバンドが、beatlesとstones。
british rock bandの両雄。beatlesの方は、両親の影響で、
let it beとかyesterdayとか、それこそ小学生の時から聞いて
いたけれど、stonesは、なかなか手が出せずにいた。最初に
これがstonesかぁ、と自覚を持って聞いたのは、短大時代、
バンドサークルに所属してからだ。すごく衝撃受けた。
噂通り、かっちょえ〜!!って。

そして、その時から、stonesはわたしの骨になったのだった。
それに対して、beatlesは、血。今、西洋占星術勉強していて、
これが、自分の星に対応していて面白かった。太陽5hのふたご。
太陽的性格がふたご、これに対応するのが、血となるbeatles。
そして、5hという容れモノ、これはしし座に対応する。
それが、わたしが骨、と感じた、stones。airの要素と、
ししの要素で、うまく役割分担ができていたという訳!
なんか、面白いよなぁ〜。

もしかして、abbaとかcarpenters辺りが、肉かな??これも、
小学生時代からずーっと好きだった音楽だから(^^

  





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