あることないこと
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2006年04月04日(火) あることないこと-変身@浮雲篇-

変身@浮雲篇

 ある朝、横棟 風文(ヨコムナ・フフミ)がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一個の電気ポットになっているのを発見した。

 風文が妙に軽く硬質な体をむぐぐと起こすとパジャマがストンと落ちた。目線を下げると、いつも自分の胸・腹があったところには電気ポットっぽい色と形があるようにしか見えず、横を向いても自分の肩がなかった。
 不審に思って姿見の前に歩むと、その姿見に映っているのはただの白い・象印の・電気ポットであった。角度を変えて姿見を見たが、鏡の中では電気ポットがのそのそ動くだけでいっこうに記憶にある自分の姿は見当たらなかった。自分の体の中でチャパチャパお湯の揺れてる音が聞こえた。
 変だなあと思った。
 一階から姉の花(ハナ)が「いってきます」と声を掛けてくれたが、つい反射的に「いってらっしゃい」と答えてしまい、助けを求め損なってしまった。「損なってしまった」と思ったのだけれども、次の瞬間、自分が助けを求めるべきなのかどうか自分に問うてしまい、迷っているうちに姉は玄関を開けていよいよ出て行ってしまった。本格的に助けを求め損なってしまったようだ。
 そして、自分はよくこういうことをやるとも思った。先日も友人たちとインド人についておしゃべりをしている時に、インドにカレーというものはないと言ったカレー屋のマスターの話を思い付いたのだが、「わざわざ言うほど面白いか・微妙に話題とずれていないか・いま話しているエミコのおしゃべりはどこで切れるのか」と考えているうちにエミコが話題をペルシアの涙壷に移してしまった。

 この時間はもう母も出掛けている。この家には自分しかいない。電気ポットしかいない。やはり助けが必要な気がした。
 と言っても、どういう助けか。
 自分は少し混乱しているだけかもしれなくて、これは自分が考えているほど大変な事態ではないかもしれない。旅先の見なれない風景で目を覚ますと一瞬頭が真っ白くなる、そんな状態になっているだけかもしれない。
 助けとは冷静で穏やかな客観的な目なのだ。

 いつも優しくて、背の高いボーイフレンド、スズキ君に電話をした。
 「もしもしあたしだけど。」
 「もしもし、どうしたの?」
 「朝早くごめんね。聞きたいことがあるんだけど。」
 「うん、俺は暇だよ。」
 「電気でお湯を沸かしたり保温する、アレ。なんて言うんだっけ?」
 「電気ポット?」
 「そうだよね。」
 風文はどこから疑い始めていいか分からなくて、少し変だった。でも続けた。
 「あたしって電気ポットだったっけ?」
 「えー…違うと思うけど。」
 「けど、何?」
 「いやいや。えーとー・・・電気ポットって何かの比喩?」
 「じゃなくて、そのまんまの意味で。あたしが、お湯を沸かしたり保温したりするかってこと。電気で。自分自身のカラダで。」
 「してなかったと思うけど。」
 「けど何?」
 「いや、してなかった。うん。何故そんな質問をするのかと思って。」
 「・・・あたしね、今ね、電気ポットなの。」
 「…」
 「…」
 「それでスズキ君今から来てくれない?」
 「うん分かった。」

 本当にスズキ君はやさしい。
 電話を切ると安心感からか恐怖感からか涙がポロポロこぼれた。こぼれた気がした。
 そしてとても喉が渇いてると思った。コーラが飲みたい。電気ポットなのに喉が渇いている。

 スズキ君を迎えるにあたって自分が何をしておくべきか考え、考えて、考えあぐねているとケータイがメールを着信した。姉からで「ちゃんと起きているか?・今日は早く帰れるから一緒にごはんを食べよう」という内容の簡潔なメールだった。
 そうだ。このままでは会社に遅刻するのだ。しかし出勤してる場合でもない気もするのだ。何せ昨日までの自分は電気ポットではなかったことは確かなのだ。
 少し迷ったがズル休みの電話をいれた。カラダが重く・熱があると話すと一番乗りの課長がはいはいとあっさり了承してくれた。本当はカラダは軽い。熱もない。しかしこのままでは出勤の自転車にも乗れないのだし仕方ない気がする。
 しかし姉や母にバレたらとても怒られそうな気がした。そっちの方が気になる。電話を切ってから暗い気分になった。知らず、グリーン・グリーンを口ずさんでいた。
 母・姉ともに自分と違ってバリバリのキャリアウーマンだ。母は今日・月曜は帰りが遅いから大丈夫であろう・なんとかごまかせる。姉が問題だ、帰りが早い。家事はまるで手伝わないくせに仕事に関してはうるさい。

 しっかりしなさい、と二人にはよく言われる。
 確かに二人にくらべれば自分はぼーっとしているように見えるのだろう。物事を熟慮しているうちに事態は自分を置いて先へ行ってしまう。咄嗟に選んだ選択肢は必ず間違っている。しっかりしていなかったから自分は電気ポットになってしまったのだろうか?
 しかし本当に自分はしっかりしていないのか?会社ではそんな風には思われていない(はずである)。めったに注意されないし、他数名の一般職の女の子たちよりよく動いていると思う。もっとも自分の仕事など、言われた通りデータを入力したり・コピーをとったり・そのコピーをホチキスでとめたり・お茶をいれたりするぐらいなのだから、しっかりも何もないとは思うのだが。
 そう言えばお茶をいれるのは苦手だ。なるべく避けて避けてきた。渋さとか・苦さとか・香りとか・熱さとか・色とか・量とか気にしたことがないし気にすることが出来ない。だって何が美味しいか分からない。みんなもっとコーラとかサイダーとか飲めばいいのにと思う。ビールを飲むようにもっと喉をシュワシュワさせればいいのにと思う。
 お茶なんか好きじゃないのに電気ポットになってしまった…。いや、お茶を疎んじてきたから電気ポットになってしまったのか?お茶神様の仕返しなのか?お茶を飲めばいいのか?あの苦い液体を?
 もう何回歌ったか分からないくらいグリーン・グリーンを歌い続けていた。

 ややあってスズキ君が到着した。自転車をガションと停めて、インターホンを押した。
 風文は細く開いた窓から、二階にいるから勝手に入って来てと声を掛けた。
 部屋のドアを開けてすぐ、ベッドの上の電気ポットを見たスズキ君は「うわー、ホントに…」と呟いた。たぶん「うわー、ホントに電気ポットだ…」と続いたのだろう。
 一瞬なのか数十分か分からない無言の見つめ合いがあって、スズキ君は風文の隣にストンと腰をおろした。そして頭をなで始めた、人間であれば頭であろう部分を。

 風文は「ぅ」と音を漏らしたきり何も言えなかった。スズキ君の姿を見て、頭(であろう部分)をなでられて、泣きそうだったからだ。嬉しいのか怖いのか分からない。ただもう泣きそうなのだ。スズキ君は泣き虫な自分をよくからかう。それでも泣き止まないと今度は本当に、心から心配し始める。そんなに心配されるとまた涙がどんどん出てしまう。だから泣くのを我慢するのだがすると言葉が出なくなってしまう。

 スズキ君は飽きることなく無言の電気ポットをなで続け、やがて喋り始めた。
 「カエルの王子様の話ってあったよね。あの、キスでっていう話。」
 風文もその物語は頭をよぎっていた。
 「…」
 よし、と言うとスズキ君は電気ポットである風文を抱き上げた。何がよしなのか分からない。分からないけれど案の定スズキ君はキスをしてくれた。しかし風文は電気ポットでどこが口なのか分からない。フタと胴体の分かれ目も口っぽいが、注ぎ口も口っぽい。意外な所が口かもしれない。でもとにかくスズキ君はキスをした。あっちもこっちもキスをした。キスし続けた。一向に電気ポットは風文に戻る気配を見せない。それでもスズキ君はキスをした。祈るような顔でキスを続ける。
 身長182cmの男が小さな電気ポットにプチュプチュとキスをしている。無言の電気ポットにキスし続けている。
 そのことを考えたら風文はぎゅうぅと胸が詰まった。人間に戻ったらしっかりしようと思った。しっかりしなければいけないと思った。そしてお茶をいれるのだと思った。しっかりしてお茶をいれるのだ。しっかりしたお茶をいれるのだ。しっかり茶をスズキ君に飲んでもらわねばと思った。そう思ったら、もう、喉の奥から謝る言葉が漏れて仕方なかった。
 「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい …」
 もう涙がボロボロボロボロこぼれて仕方なかった。
 「ごべんなさい ごべんなさい ぼべんなさい ごめんなさい …」
 風文は電気ポットのままであり、スズキ君はキスを続けていた。

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 以上、日記ではございません。
 `96年に上演した脚本「変身@空転版」と同じアイデアから考えたお話でございます。もちろん元はカフカの「変身」ですが、基本的に関係ありません。上演した「変身@空転版」のときは途中で帰ってしまうお客さまがいました。きっとカフカのファンだったのでしょう。
 この作品、もっと書こうと思いましたが、長過ぎるので分けることにしました。続きはいつかまた書くかと思います。
 以上、長文でシュールな駄文を最後まで読んでいただいた奇特なお方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。是非またどーぞ。


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