| 2008年11月19日(水) | ||
| 本当の事を言わないのと嘘をつくの、どっちがいい? | ||
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デジタルメモ「ポメラ」 たった今、某さーやさんちで知ってちょう震撼。 これだよ、私が求めていたのはこれだよ。これでいつでもどこでもSSが! この間の雪マイ楽の時も、終わってから携帯でSS打ってたらあっと言う間に電源きれそうになって。でヨドバシでミニノート物色していたら、その時ついてくれたにーさんがなかなか親切で詳しくて、よし、私もEeePC買おうと思ってた矢先だったので(説明が長い)。いやもうなんてタイムリー。 という訳で早速楽天でぽちっとしてきちゃった……(笑)。だってどこも入荷未定12月中旬以降とかで、そんなの次の遠征に間に合わないし!(そこか)。 うわー、すごい楽しみー。ちなみに白を買いました。今度並べて撮りましょう(私信)。 ちょっとこうふんしすぎだむっさん(笑)。 また後できます。 ++++++++++ こういうことで興奮しているむっさんて、なんなんだろうね(セリア口調) そういえばこの間、ゆなひこ君と茶会のドレスコード話から転じて「女子はおようふくを買うとテンションあがる生き物だよ!」と言われて本気で「え?そうなの?」と思った自分を思い出して……っ!ほんと、↑の方がよっぽどテンションあがります(ダメ女子ですね)。 [伝書鳩返し] ・>えええー!犯罪なんですかっ? ええっと、実際あの時代であの国ではどうだったんですかね(そこ本気で考えない)(笑)。 ちなみにあのあと「じゃ、俺達はなんだ」「友達だよ」となって一気にクライマックスになって(しかも台詞が逆転してます)一気に終了してしまうというオチもありました。 つうか皆さん考えること一緒ですね……。もとい、昔ならそういう発想をするのは私たち(笑)みたいなオタクだけかと思っていたんですが、世間の敷居が低くなったのか、世間のヨゴレが増えたのか(笑)。たまに劇場で耳にする普通の人たちの自分よりもひどい会話に(自分の事を棚にあげて)びっくりしたりします。 ・>かつてエスコバルはネロに >「おまえはもっと急速に成長した方が良いし、できると思う」 >って言われたらしいです。 >背中を見て過ごしていたんだけど・・(byGRAPH) >って、ごく自然に変換されてしまいました。 これ、明日発売の今月のグラフの話なんですね?(最初気付かなくて「何その設定!」と本気で萌えてでも知らないと本気で焦りました)(笑)。明日立ち読みしてきます。 あんな俺的SSですが、観劇の助けになったようで何よりです。深読みとか妄想はダメな作品の時にすることが多いのですが、今回は金脈でも探ししてる気分で、色々釜を回していました。 本題。 観劇感想とSSを書き終わらない限りは、私の雪組公演は千秋楽にならないと思いました(うちに帰るまでが遠足ですと同じ文脈で)(ええー?) [マリポーサメモ:エスコバルの話] ※多分、私のエスコバル観は相当世間と乖離しているかと思うのですが、まあそれはいつもの話です。 散々言ってきましたが、私の中でエスコバルは「ダメなおっさんででもホモじゃありません!」です(笑)。 このダメなおっさんドリームは平たく言うと「見た目はOKなのに社会適応力がゼロだったら萌える!」って事なのですが、でも実は萌え以前にこの人は壊滅的に社会適応力がないんだろうなぁと心底思いました。何故なら、彼はネロしか見えていないから、ネロを通してしか社会(そして世界)と関わっていないから。 これはエロ本企画の方でもらったコメントなのですが(勝手拝借いたします) 「エスコバルの視界はネロの形にしか開いてないのに。」 ……(キタ)。 この言葉が正にそうだなぁと。でもそこから私が「じゃ二人はホモなのね(ウキウキ)」という方向にいかなかったのは(笑)、その「ネロの形にしか開いていない」っぷりが半端なさすぎると思ったからなんですね。二人の共存、共生っぷりは友情でも恋愛感情でも語れるものじゃない。ぶっちゃけ、エスコバルはネロに「寄生」していたんじゃないかなと。 サルディバルに裏切られ、戦いの結果が「ろくでもない」事になった事に、二人ともどれだけ絶望したんだろうか、ということは二人の会話の端々から伺えて。きっとそれは立ち直ることのできない絶望だったんじゃないだろうか。きっと一人では立ち直れなかった。ネロがそこからどうやって立ち上がったのかはもうちょっと後で検証しますが、エスコバルはその立ち上がったネロに「寄生」することでようやく立ち上がることが出来た。けれどもネロもまたエスコバルに「寄生」されていたからこそ、立ち上がれた。そうやってお互いに共存しなければ、立ち上がることはできなかった。それぐらい二人の絶望は深かったのではないかと。 それで立ち上がった二人の大きな違いは、これも前に言った通り「生きているネロ」「生き残っただけのエスコバル」かなぁと。「寄生」しているエスコバルは決して能動的には動いていない。彼が動くのはネロのため。そりゃそうです、ネロは大事な「宿木」にしてそれはもう「自分自身」に他ならないのですよ。 だからエスコバルは常にネロに警鐘を鳴らしているんです。自分の「宿木」そして「自分自身」を守る為に。再び絶望に向かうことに怯えて、恐れて。「何のために生き残ったんだ、俺も、あんたも」けれどもそういうエスコバルに「何のため」は実際存在しないわけですよね?彼はただ生き残っただけなんだもの。 更にそれでやっかいなのは、その関係にネロもエスコバルも気付いていないって事なんです。「共存」「共生」「寄生」言葉は色々あるのですが、とにかくこの二人は立ち上がる時に互いに依存しあったがゆえに、そのつながりを絶つことが出来ないんです。けれどもネロもエスコバルもそれに気付いてはない。あまつさえエスコバルは「ネロを立ち直らせたのは俺でそんなネロを心配で見守っている」と思っているだろうし、ネロもまた逆視点で同じ事を思っていると思うし。けれども実は二人とも、あの絶望からひとりでは立ち上がれなかったし、立つことができないんです。まさに「(萩尾望都的な)半神」。 エスコバルの「生きて何を」は、その「寄生」していた事実に気付いた、あるいは気付いていなかったとしても、自分の視界が、自分の世界がぱん!と開けた瞬間だったんじゃないかなと。ネロに「寄生」ではなく、ネロと対等に向かい合った瞬間。「じゃあ行けよ」はネロに「寄生」しているエスコバルには絶対に言えなかった言葉かと。だってネロは「宿木」であり「自分自身」なのだから、自分自身を危険にさらすことは本能的にしなかったかと。 倉庫の場面で、机に腰掛けてじっとネロをみつめるエスコバルをずっと見ていました。そこには「宿木」でも「寄生」でもなく、確乎としたエスコバル自身がいて、それぞれの視界・それぞれの世界を持つ対等な関係として存在していなぁと。それまでのエスコバルはネロを心配してネロをたしなめてネロに警鐘を鳴らす存在だったんですが、この場面はもうネロが何をしようとどう生きようと俺はお前を認めているから、お前を見届けてやる。そんな風に見えたんですね。 最後に港で死に行くエスコバル、というかユミコ氏が毎回毎回いろんな風にとれる表情をしていて(実際その都度感じることが違っている、みたいな事をムラの茶会報告で読みました)、ほんとうにぐうっと胸にくるのですが。私はあそこは「ネロを助けられてよかった」も「チャモロを逃がせてよかった」という文脈もあると思うのですが、一番は「限りある命が終わるその時までに、俺は俺の為に生きられた」なんじゃないかなぁと。「生きて何を」からずっと感じていた、エスコバルの周囲の空気の密度が、あの場面で更にぎゅっと濃密になって、本当にこれが「エスコバルの世界」なんだなぁと。(だからぐっとはきたけれど、死に行くことに不思議と悲しみはなくて、むしろ「よかったねえええ!」って気分でした)。 リナレスとセリアの話のところに戻すと、「寄生」していたエスコバルの主語は「俺たち」だった。けれども最後に「俺」となった。そういうとらえ方をしていました。 まあ世間と違うのは(以下略)。 「寄生」って言葉は悪いのですが、どうしてもそれしか思いつきませんでした。それほどに、二人は深く繋がっていたと思います。そしてエスコバルが寄生しなかったらネロは「生きる」事ができなかった。っていう話はまた後日。 ところでエスコバルは、あの店の共同経営者でもダンサーでもないと私は思っています。肩書きはただひとつ「ネロさんの知り合い」。お店のごたごたを片付けてくれたり、たまに気まぐれで(多分そうだと思う)踊ったりもするけれど、あの人なんなんだろうね、ネロさんの知り合いだから多分大丈夫だとは思うけれど、と皆に思われているかと(笑)。「多分大丈夫」と思われるほどに、なんだか疑わしいいかがわしい人物なんじゃないかと(笑)。アリシアの名前を覚えていなかった事に、アリシアは流しているじゃないですか。あれは「このひとそういうひとだから(店員の共通認識)」って事なんじゃないかなと。 それじゃあなんで日雇いのボーイのミゲルの名前は覚えているんだ!つうか男とばかり絡んで!やっぱりお前ホモなんだな!っていう世論(笑)に私も大いに同意するのですが(笑)、多分こういう不審人物に警戒するのは異性である女子の方が、その傾向がつよい、そんな感じかなぁと無理矢理解釈しています。 ほんと、こんなことばかり考えて観劇していたのか(うん)。 |
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