2008年11月15日(土)
子犬よごめんね、お先に行くよ


 明日で終わりなんだねー。うわ凄く寂しい……。



 明日のマイ楽(残念ながら楽ではないんですが)を「気を確かにもって(@ナツキ茶)」迎えるために、この間からずっと気になっていたことをつい先ほど確認しました……シズルもハルキもバウなのか!(気になってたの?)(うんものすごく)


[伝書鳩返し]

・>今回ショーの時間(30分)は、=皆既日食の時間なんですよね。
 >ショーの初めから終わりまでで、皆既日食が始まって終わるという…
 >その日食の輪と、指輪を重ねているそうです。

 30分てそういう意味もあったのか!割と細かい情報を追いきれていないので全然知りませんでしたありがとうございます。
 「祝祭が夜」はあの後みて「あ、でも指輪が(ガスパールが)眠りにつくから夜なのか」と自分で思っていました。……まだまだ咀嚼できるなぁ(真顔)。


(SSSレス)
・>星空しか安らぎに・・からの最後の一文がきいてます。
 >ネロとエスコバルいいですよね。

 正にそこが自分的キモだったのですが(まんまとあの一文が観劇中に浮かんだので)、SS内に書ききれなかったという(笑)。なので、ちゃんと反応していただけてうれしいですありがとうございます。つうか唯一の反応で嬉しいですありが(以下略)(ウザい)。
 ほんとあの二人はそれぞれに今回当たり役だったけれど、ナツキさんのユミコ氏の関係性的にも「当たり役(としての関係)」だったんじゃないかなぁと思っています。




 マイ楽前に、ちょっと整理しておきます。


[マリポーサメモ:リナレスの話]

 いきなりですが、リナレスの主語は常に「僕ら(=我々)」なのがものすごく気になっています。気になっているというか、納得しているというか。
 確かに革命は「我々」が起こすものだよなぁと。
 「我々」という集団心理というか、集団のイキオイというか。

 ものすごく話がそれるのですが、私が新選組と幕末を好きなのは土方さんが男前だからだけじゃなくて(笑)、あの時代特有の、そういう集団心理にものすごく興味があるんですよね。一個一個の個人だけではなしえない、歴史の改革。それはものすごいエネルギーだけれど、ものすごく危ういものだとも思うし(同じ文脈で太平洋戦争にも興味を持っています)(興味というとアレなんですが、「竹槍で鬼畜英米倒せる」と本気で信じていた集団心理)(宗教から生まれる集団心理はわかりやすく「教祖」がいるけれど、歴史の集団心理は「思想」とか「時代」とかものすごく曖昧なものから生まれているなぁと)(むっさん脱線しすぎ)

 そういう「我々」。「我々」というエネルギーをそのまま放っているリナレス、「我々」と言う大義名分を振りかざしているようにも見える。そしてそれは確かに革命には必要な事なんだけれど。
 その「我々」に対して「誰にだって何か大事なものがある」と「個人」を見ていたネロ、「人々にとっては日常の脅威の方がずっと大事だ」というネロ。そりゃあ説得はできないよなぁと、なんかその対比がすごくリアルだなぁと思ったのです。
 多分、ネロもかつては革命を起こした側な訳ですから「我々」が主語だったのだと思う。けれども彼は「力では世界は変えられない」とその「我々」が主語であることで見失った色々なものを見出して、今に至っているんじゃないかなぁと。
 そしてリナレスは、のちにそれを悟るんじゃないかなと。リナレスがネロの「説得」を理解するのは後の事で。拷問を受けて傷ついて、チャモロを迎える戦闘にも参加できずに、「僕たちが盾になって守る」事もできずに、悶々としているときに、その傍には献身的に看病をするブランカがいて。その時気付くんじゃないかなと。だってブランカが見ているのは、「僕ら」でも「我々」でもなくリナレスという「個人」。

 「僕ら」は誰だ。
 「我々」は誰だ。
 「僕ら」も「我々」も「僕」でしかない。

 多分、それはかつてネロがたどった道。


 っていうSSが書きたかったの!(ええー?これSSのネタ振り?)(笑)
 (余談ながらこの「我々」に対する私なりの想いがかけざんの日の麻樹×舞咲SSです)

 全然リナレスの話じゃない(笑)。
 今回の音月桂ちゃんのリナレスはかなり好きです。何かのインタビューで読んだのですが、今回相当普段の自分のテンションを抑えてやるのが大変みたいなこと言ってました。が、実はそのテンションを抑えているときが彼の真骨頂な気がします。ちなみに同じカテゴリにセバスチャン(@堕天使)がいます。


[マリポーサメモ:セリアの話]

 やっぱり芝居二時間がきびしくって、結局うとうとしちゃうことも何度かあったのですが、それがたいてい、ネロとセリアの場面なんですよね……っていうことに楽一週間前に気付きました。
 で、なんでそこで寝ちゃうのかと考えたんですが、どうしてもあの物語のなかで、「セリアの出来事」が他の出来事に対して、個人の問題というか、あのマフィアだ暗殺だ密輸だゆっている中だと、すごく些少な事に思えてしまうんですよね……(いや、ほんと申し訳ないと思うのですが)。けれどもその些少な事、それこそ「自分にとっちゃたいした事だよ」であり、ネロが守りたいと思ったものなんだよなぁと思い直して、一度、セリア視点で丁寧に追ってみたんですよね……し、しんどいぐらいにせつなかった……っ!!!本当に、あの物語の中での「セリアの視点」てものすごく埋没しがちだけれど、ものすごく大事なんだと思う(そしてそれが埋もれてしまうのは正塚ハードボイルド故なんじゃないかと)。セリアはセリアで、戦ってるんだよなぁと思ったらぐうっときてしまいました。リナレスの大統領暗殺未遂から始まった、セリアの日常に突然に入り込んできた「革命(言うなれば我々という視点)」。そこから始まる彼女の戦いは、愛する弟(家族)を守る戦いであり、そして愛するネロを守る戦いだったんだよな、と。
 ムラで見た時、ネロとセリアの別れの場面を「やっぱり女は愛に生きる生き物なのね」的な感想で見ていたんですね。国よりも、世界よりも、愛に生きる。主語は「私とあなた」、あるいは「私」。だから余計に「セリアの出来事」がごく個人的な視点で、「些少な事」に思えていたし、もっというとあそこでそれこそ「いかないで」と駄々をこねるセリアは、ちょっと穿った見方をすると「自分の愛にしか生きられない」身勝手な女にも見えてきちゃう。
 でも「セリアの視点」で見直したら、あの場面の主語は「私とあなた」でも「私」でもなく、まさに言葉通り「あなたが死んでしまう」の「あなた」なんじゃないかなぁと。あのセリアは「私が愛するネロが死んでしまう」の前に「ネロが死んでしまう」という事に対して、駄々をこねているんだと思っています。いや、本能的に「ネロが死んでしまう」と感じていて、それがその後のソロに繋がる、かな。「見つめていられるだけでいいのに(=あなたさえ生きていればいいのに)」。そうやってネロの命を守ろうとするセリア。だってセリアは見えていたんだもの「恐ろしいほどに傷ついて叫んでいる」ネロに。そのネロを守ろうと必死になっているのがセリア、そしてその「傷ついて叫んでいるネロ」にネロ自身は気付いていないし守ろうとしていない(これは後述します)。そんなネロに対して、セリアが必死に手を差し伸べている、そう見えてきたんですね。
 どうしても今回は「ネロとセリアの恋愛物語」としては薄いんですよね。「本能的に惹かれる」とか「運命」とか、それもうちょっと説明してくんないとすごく不親切なんですけれど正塚先生!(笑)。ネロ自身は恋愛に関して自己完結しているしね……(遠い目)。ただ、その「傷ついて叫んでいる」ネロがセリアに見えた、っていう事が実は一番のネロの愛情表現なんじゃないかなと。それが見えた(見せている)って事が、ネロがセリアを愛している、もっというと彼女を自分の世界(誰にも踏み入れさせていない)(パーソナルスペース?)に入れた事になるんじゃないかなと。愛しているという言葉はなくても、それがネロにとっての「愛している」。
 でもこれセリア視点から見ると本当に「たまらない」と思う。だって近づけば近づくほど、彼が遠い事に気付くんだもの、何もできない事に気付くんだもの。けれどもセリアは戦う、「恐ろしいほどに」傷ついて叫んでいるネロを守る為に。多分、セリアはそれを本能的(もっと言うと母性かな)にしようとするんだけれど、結果としてそれ(守る)もまたセリアにとって唯一の愛情表現になってしまったと。

 愛だの恋だの、そんな甘いものではないけれど。
 けれども確かに二人はその命を近づけるようにして、愛し合っていたのだと。それは生きている証であり、それが唯一の「愛している」証。
 数日前にそれはネロにあてた文章だったんですが、セリアにとってもまた、「生きていることが愛している証」になったんだろうなぁと。
 最後にマリポーサを前に踊るセリアの命の力強さに、いつも目を奪われて、そしてぐっときています。

 っていうのがネロとエスコバルのアレで完全に隠れている(そしてみんなもそう思っている)ような気がしてならないんですが正塚先生!


 ネロとセリアのその後は後でSS書きたいと思っています。
 が、考えれば考えるほどせつなくなるなぁ。だって「懐かしい名を呼んで目を覚ます夜更け」だなんて、ほんと「たまらない」じゃないですか。そうしている間もまた、セリアにとっての戦いんなんじゃないかと思ったり。

 と、あの主題歌を私はセリア視点だと思っていたのですが、お茶会でかかっていた主題歌CDを聞いていたら、「懐かしい名を呼んで目を覚ます夜更け」ってあれ、ナツキさんで歌ってるんだね……、ちょ、ネロ先輩どんだけ乙女なの!と思ったのは内緒です(笑)。



 だいぶとっちらかっていますが(笑)。

 で何度か出したこの「主語」という話をすると、エスコバルの主語は「俺たち」です。で、ネロの主語は……実はこれがまだ自分の中で定まっていないのですよね。という訳で、その辺の話はマイ楽後にでもしたいと思っています。




 じゃ、ぼちぼち寝ます。



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