| 2008年06月07日(土) | ||
| くっつくSN | ||
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市川四連戦の途中ですが(!)、臨時ニュースをお伝えします。 [臨時ニュース] 本日昼公演ショーのチュニジアの夜のとこで、ナツキさんがあろうことか「鎖」を首に巻いてきたのですが!が!が!ファッションと呼ぶには相応しくない太さで黒いのをぐるぐるっと二重巻きで前にたらしていたんですが!!ナニそれやっぱり「縛られるのが快感なんです」っていう自己申告なの!!!! と大恐慌に陥っていたら夜には通常の鋲打ち皮チョーカーでした。ええええ?昼間のは私の見間違い?つうか妄想?という訳で誰か観ていた人がいたら教えてください気になって眠れない! (それが臨時ニュース?)(ええまあわたくしてきには) とりいそぎマイ初日メモ。本当は全部終わってからまとめようと思ったのですが、それじゃあとても追いつかないと気づいたので。一言で言うと「すっごくたのしかったー!」です。 [雪組メモ:タカラヅカのベルばらという呪縛] という訳でスピンオフのばら、ジェローデル編。わたくしが原作オタでタカラヅカのベルばらも許容範囲で何より主演男役にがっぷりよっつ(笑)な状態なので、まったく信憑性がないとは思いますが、すごく面白かったです、アリアリ、私すごいアリです。 一番大きな要因は「物語の骨格がちゃんとしていたこと」です。もっと言うと「ジェローデルの人格が一貫していて十分感情移入できたこと」です。つうかそれが勝因にあがるタカラヅカのベルばらって……。でもそれ(言うなれば「原案:池田理代子」の部分)をシンディの演出(あるいはタカラヅカのベルばら様式(後述))がことごとくぶち壊していたかなぁと。それを取り除けば、いい作品だと思いました。 とはいえタカラヅカのベルばら様式を完全に否定するつもりはなくて、それがあってのタカラヅカ(対外的にも対内的にも)だとは思います。だからある程度は受け入れて流すし、ネタにして流すし、それ自体もまるきりキライじゃないし(私ってば親切なお客だよ)。 ただこれだけはやめて欲しいって思ったのは、「(舞台に)いない人の話をする」こと。舞台上に(今回の配役として)いない人物の説明が頻出していて、ものすごく時間の無駄だなぁと思ったし、今回のスピンオフのばらだったら、それがなくても十分物語として成立するんですよね。「アンドレはどうした?」とオスカルがばあやに聞いたときみんな「今回アンドレ出ていません!」って思ったよなぁ!(笑)。 そうした「いないひとのはなし」をするのはシンディなりの原作への配慮なのかもしれないのですが。でも実際考えてみればベルばらを知らない人からみたら「いないひとのはなし」をされるほうが意味がわからないし、リアリティもない。タカラヅカファンからみたら「いないひとのはなし」は脳内補完(笑)されるから必要ない。じゃあベルばらを知っていてタカラヅカファンじゃない人への配慮なのかともいえるけど、今回はそもそも「外伝」と銘打ってあるわけだからその配慮は必ずしも必要ないじゃないかと。 ただでさえ、タカラヅカのベルばらはまるで「一公演中に(舞台上のエピソードや舞台上の人物に関わりあるなし関係なく)説明しなくてはいけない事柄」とか「出さなくちゃいけない台詞」という内部文書があるのかと思うぐらい「タカラヅカベルばら様式」がガッツリ決められているように思えます。え?もしかして「様式美」てビジュアルとしての様式美じゃなくて脚本の様式美なのか!(違うと言って欲しい)。それはそれでいつもの事だなぁと思って流していたんですが、今回は「外伝」という形になったこともあって、いつも以上にそれが目についた。せめて「いないひとの話をしないで!」と本気で思ったという次第です。結局「いないひとの話をする」と説明台詞にしかならないから、ものすごく舞台が冗長で退屈で会話劇になっちゃうんだよね……。 ちなみにこの「いない人の話をする」弊害を一番くっていたのがフェルゼンじゃないかと。彼が一番「舞台上でいないひと(国王とか王妃とか)とのかかわり」を持っていたから、ユミコ氏がどんなに芝居心を発揮しても、それでは埋められないくらいの「リアリティのなさ」に繋がっていたなと。なんかほんとフェルゼンが「ゆめみるゆめこちゃん」にしか見えなかったんだよね。ちゃんと舞台にいるひとと絡ませて欲しかった。みんな言っていると思うけれど、どうしてオスカルとの場面がなかったんだろうね?(素)。そうすれば、ソフィア→ジェロ→オスカル→フェルゼンっていう食物連鎖(違)がちゃんと舞台で見える形になって、いろんなもの救われた(そしてそれを処理する時間で他の余計なものが入る余地がなくなった)と思うんですよね。 で、全ベルばらオタが期待した(少なくとも私は期待した)「あなたはばらのはなをたべるのですか」が、前後の文脈の繋がりが全くなくて「ナニそれ!新しい宮廷ジョークなの?」と思わざるを得ないという。萌えのかけらもございませんでした。あそこでなんらかの形でオスカルにばらを持たせるだけでちゃんと文脈が成り立ったのになぁ、それぐらいできそうなのになぁ。 私だったら、その前景の舞踏会で、オスカルにアプローチをするもことごとくスルーされるジェローデルが最後に、「広間にしきつめられたばら」を一輪、オスカルの軍服にさして(そこで「あなたに似合うのはやはりばらのはなだ」とか思わせぶりな台詞を言ってもいい)、優雅に去るジェローデル、それでその後のカーテン前の場面に繋がって、そこでジェローデルにあれこれ言われて、忌々しくばらをいじりながら口にするところで 「あなたはばらのはなをたべるのですか?」 とかどうですか!(具体的すぎる)。 実際の舞台の流れとはぎゃくだ、って事には途中で気付いたのですが(笑)、自分的にスマッシュヒットだったので書き残して起きます(自画自賛)。でも↑な方法でいくらでも変換はできるよねぇ。 それでも(そんな文脈が繋がっていなくても)その台詞を入れたのは、それがシンディなりの親切なのか愛情なのか、でもその反面「いないひとのはなしをする」不親切はするわけでしょ?(笑) まあ別にタカラヅカのベルばらが支離滅裂なのは今に始まった事じゃないんですけれどね(それ一言でここまでのマシンガンすべてダイナシ)(笑)。 今に始まった事じゃない、毎回毎回繰り返されるその「タカラヅカベルばら様式」の問題点矛盾点、それはもはや「タカラヅカのベルばらの呪縛」なのかもしれない。シンディ自らも解けない呪縛(それでいいのか?)。 と、言いつつも私が今回のジェロ編を気に入ったのは、最初に行った「物語の骨格がしっかりしていた」と同時に、その物語の骨格部分が今言った「タカラヅカのベルばらの呪縛」に影響を受けなかったのも大きかったかなぁと思います。つまり「今までタカラヅカで書き込まれていないキャラクターだったから『原案:池田理代子』が正しく反映されていた」という事です。最初は「ジェローデル主人公て!」と思っていたんですが、その「タカラヅカのベルばらの呪縛」から上手く逃れられたんじゃないかと。作品自体は呪縛から逃れていないけれど、主人公が逃れられた。ほんとベルばらオタの主演メイトのたわ言かもしれないのですが、今回のジェロ編は「アリ」です。正直、企画勝ちだと思う。 そう思うと逆にジェローデルより「タカラヅカベルばらの呪縛」に晒されている(タカラヅカで書き込まれている)アラン編とベルナール編がどうなるのか気になるところです。 [雪組メモ:ベルサイユのかけざんメモ] ・ジェローデル×ソフィアて!と思ったのですが、「原案・池田理代子」効果で、違和感なく受け入れられました。同じ価値観を持つものどうしの魂の共鳴、わたしとあなたは同じものをみて同じように感じられるのですね、という一体感。まあその説明に「オルガン」とか「ヌーベル・エロイーズ」を出したのはシンディのNGだと思うのですが、二人がそうして分かり合えている関係なのがよくわかりました。まあその「同じ価値観を持っているものどうしの魂の共鳴」も説明台詞だけになっているのですが、そこはちゃんと「舞台にいるひと」同士の話なので、リアリティはあるし、何よりもそうやって交わす説明台詞が、まんま「ああ、ふたりはこうしていろんな事を語り合ってきたんだな」「わたしはこうおもいますがあなたは?」というお互いに説明キャラ(語りたがり同士)(笑)だったのが功を奏したかと。 ・それを踏まえて、2回目に観たときに、修道院でソフィアが「砲兵工あがりの皇帝をつくるために革命を起こしたのですか」と言うのを隠れているジェローデルが聞いていて、きっとそれに「同じ価値観を持つものどうしの魂の共鳴」をさせていたんじゃないか、と。一体感を再確認していたんじゃないかと。実際その後ジェローデルも「あの犠牲は皇帝を作るためなのか」と言っていて、それにぐっときてしまいました。 ・そんな価値観を共有し、もっともわかり合える相手なのに、ソフィアには「伝わりますか」と自分の愛がつたわっているかどうかだけが「わからなかった」のだなぁと気づいたら、それにもぐっと来てしまいました。 ・そんなソフィアの思いの先のジェローデル。そのジェローデルの真意ってわかりにくいなぁと思いました。ぶっちゃけ、ジェローデルはオスカルを恋愛対象(もっと言うと性愛対象)として見ていなかったんじゃないかと思わずにはいられません。なんか「結婚して子供をつくる」が全然リアルじゃなかったんだよ……(リアルでも困るけれど)。ジェローデルは自分自身がオスカルをどうこうするより、オスカルをどうこうしたかったんじゃないかなぁと。ずっと憧れていた「美しい人」が戦火に飛び込むのを救いたかった。その為には自分と結婚させればいい、女に還させればいいと。ジャルジェ将軍に「有力な候補として」と言われても、全然頓着していなかったのも、最終的にはオスカルがどうこうなれば、オスカルが救われればよい訳で。「王妃様は我々がお守りするのです、あなたがそれを自ら選んだ」と理詰めでいったのも、愛情というより冷静にそうやってオスカルをどうこうしたかっただけというか。「あなたという人間が欲しいのです」というのも、愛情表現というより、なんというかもっと大きな感情に思えてきた。けれどもその大きさは人間的な大きさ(例えるならばアンドレ的な)ではなくて、ジェローデルの貴族として生まれついたが為に備わった許容範囲としての大きさなのがちょっと面白いなぁとおもいました。そしてこれだけ色々深読みしても実はそれが「貴族としてのエレガンス」で片付いてしまいうんじゃね?と覆されそうなところもみどころ……なのか?(笑) ・それはさておき、冒頭の令嬢たちの「ジェローデルわるくち大会(笑)」で「女に興味がない」と言われて「やっべ、バラされた!」と慌てたのは私だけじゃないと信じたい(ええ?それもかけざんメモなの?) [雪組メモ:全ツミロワールメモ] なんかあの楽しかったショーに再会できただけでもぐっとくるものが(笑)。 ショーは無条件に楽しかったです。 ・セシデレラが輝デレラの上を行くバカさ加減(誉め言葉)でたいへんたのしかったです!もうほんとやりすぎでいい。輝デレラが天然だったのに対して、セシデレラは「今のふくれたわたしの顔もかわいいでしょ?」と全てに計算が見えました、そんなバカさ加減でいい(誉め言葉)。 ・いちごちゃんロケットのとなみが最高でした。なにあのウィンク!かわいかったなぁ。 総じて今回となみがぐっとかわいくなったように思えるのですよ。シラハネユリとして、というより「となみず」の「とな」として。この辺はちょっと後で考察するとして、そんないちごちゃんロケットを見ながら、「となみず」の「みず」の人から見たら「とな」は「大好きなショートケーキの上に乗っかっているいちごちゃん」みたいな存在なんじゃないかと思いましたって何その設定(笑)。 [雪組メモ:今日のナツキさん] ご当地紹介、今回はヒロさんとナツキさんなんですが、ショーに出てないヒロさんは組長からの紹介のみで、今回も千葉県千葉市出身の主演男役の独壇場(笑)でした。昼公演で、組長に「千葉県千葉市出身の主演男役主演男役」でそこで組子全員が「ミズナツキ!」と声かけ。この声賭けはナツキさんに知らされてなかったらしく、うわあと驚き顔。詳細な挨拶はほかで拾ってもらうとして、アンコールで「次に皆さんにお会いできるのは8月の大劇場です!」と大劇場宣伝に余念がないナツキさん(笑)。夜公演も同様ながら更に盛り上がって「わー」とびょんびょん飛び跳ねて組子のエールに応えるナツキさん。「わたくしごとではございますがここ市川と千葉は、津田沼、稲毛、市川と近くて……あれ、船橋がありますか」と総武線快速駅名連呼するもまたしても全部言えていない(笑)。カーテンコールで「千葉イェイ!」と盛り上がるナツキさん(客席もイェイと返す)。「すごい熱気ですね。この熱気を大劇場でも味わいたい!」とまたしても大劇場宣伝に余念がないナツキさん……もうなんてカワイイんだろうか(って終演後クマコさんに7回ぐらい呟き続けた)(笑) 鎖の件が気になり続けているのですが(笑)、明日もあるので寝ます。 |
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