| 2008年06月01日(日) | ||
| あらゆるものがあてはまらない存在 | ||
|
スカステ7月ラインナップ。 おかーさーん!Acrossやるよー! DVD持っているんだから別に騒ぐことじゃないんですが、実際「わあ!」って声あげてしまったのは、やっぱりそれぐらいあの公演が私たちにとって(複数形にするな)、大切な大切なたからものだからだと思うのですよ。 ウチの若(懐)奮闘公演ですので、皆見てね(宣伝してどうする)。 一応、モノ申しておきますよ。 [歌劇事業部メモ] 値段改定と座席区分変更には「もう俺は一階席に座れないのか」(もうお前はいないのかと同じ文脈で)と思いました(うなだれ)。まあそれならそれで二階から観るからいいんですよ、歌劇事業部だってイチ企業だから、決まったものは受け止めるしかないのかと。ただ、いつも気になるのはそのリリースの仕方なんですよね。結果は受け止めますよ?けれどもそれに対してどうしてこう納得する理由を出せないのかなぁと。「お客さんにこんなメリットがありますよ!サービスなんですよ!」って言うその文脈が、全然そう思えないんですよね。これは新専科制度の時にも、のりうち公演が始まった時にも全く同じ事を思っています。いっそ「小麦粉の値段があがったので座席料金の改定を行います」的に理由をズバリと言ってしまえばいいのになぁと(小麦粉関係ないし)。まあ、それをやられたらやられたで、色々問題だとは思いますが(笑)。 ふと思い出したのが、私が好きだった某劇団(一粒三百米箱)(和訳するな)、かつてあの劇団が倒産の危機に陥ったとき(確か私が学生の時だったから十年ぐらい前だ)があったんですよね。その時劇団がとった策は「お客さんに劇団内のグッズを買ってもらう」「それに使える商品券を買ってもらう(言わば債権みたいなものですな)」だったんですよね。当時、私はそれを「そのまえにそもそも倒産の危機に陥った責任はどうなのよ」と鼻白んでしまったのですが、今ならそれもありだったかなぁと思います。もちろん当時私と同じように思った人もいて、多くの批判を受けたとは思うんです。けれどもそれを覚悟の上でのあの措置だったのだなぁと。で、結果として劇団は復活して、今も精力的に活動を続けているわけです。あの時、この劇団が得たのはお金ではなくて、「共感」だったのではないかと。その行動の是非は色々あるだろうけれど、確実に「共感」を得たこと。最終的に人が動くのは利益ではなく、感情だった。そこなんじゃないかなぁと。 で、この「共感」が今の歌劇事業部に感じられないのですよね、少なくとも私は。もちろん、規模が全然違うから、比べるべきではないかもしれないけれど、でも舞台と言う興行を提供して利益を得ているところで、そこには同じようにそれを観にいく「お客さん」がいるわけで。なんか、そんな事をつらつら思いながら別に声高に訴えるわけではないです。だって結局私はタカラヅカを観にいくし(笑)。 企業としての決定に結果として受け止めます。ただそこに属する「ひと」にこれ以上、に負担がかからなければいいなぁと願うばかりです。 しかし年10公演って、そんなにホンを書ける人がいるのかなぁ(素)。 [月組メモ] そうこうしているうちに先週、ミーマイを観てきました。マイ初日マイ楽(早)。 ミーマイ自体、ちゃんと観るのは初めてだったんで、すごくワクワクしながら観にいったのですが、しょっぱなからビルの品の悪さが瀬奈じゅんさんに、ひいてはタカラヅカに合わない感じでドン引き。そして訳詞があまりにも古くて笑えなくてドン引き……でもね、でもね、すっごくいい話だったね!それを相殺してうわまわるいいミュージカルだったなぁと。下級生の出番が少なすぎたのは管轄外とはいえどうかなぁ、とも思ったんですが、それを引いてもほっこりとするいいミュージカルでした。楽しかったです。初舞台生のいるムラだけ「2階席もランベスウオーク」だと思っていたので。東宝でもあったのがすごく嬉しかった。あの劇場が一体になる感覚、やっぱり舞台っていいなぁ。 しかし私は公演感想よりもまず言いたいのがこのまま瀬奈君に相手役がいなくなってしまう事に心底憂えてしまいましたよ。や、あの人にはちゃんと相手役がいなくちゃダメだよ!あの人というか、なんだか舞台上のビルとあいまって、瀬奈君が「おかあさんにおいてかれてしまったコドモ」のように思えてなりませんでした(これはかなみちゃんが母性の娘役っていうのもあると思う)。観たことはないけれどアーネストの「こどものように」のナンバー、まさにあの曲がダブって仕方がなかった。やっぱり瀬奈じゅんさんの本質は「ラーメンつけ麺俺イケ男」じゃなくて(笑)、そういう素朴な、あたたかい、コドモのようなところなんじゃないなぁと強く思った次第です。 そんな瀬奈じゅんさんの本質に「ビル」はものすごく似合っていたと思います。最初その「品格」にドン引いた事もあいまって、私にはビルがちっともカッコよく見えなかった。これは私の好みではなく、舞台の主人公としてカッコよく見えなかった。なんというかビル自身はただサリーが好きなだけの男の子、そぼくで気のいいあんちゃん。いっそサリーに好かれているだけのあんちゃん、そんな風に見えてきてしまったんですね(これは逆にビルをただ好きなだけのかなみサリーがものすごく「カッコいい」(笑)という事でもあるんですが)。なんとなく見せ場としてもおいしいのはサリーだし、実際サリーの方が主人公に見えたんです。 が、二幕以降からこの「ただサリーだけが好きなだけの男の子」が、ものすごく響いてきました。なんのとりえもへんてつもないビルの中にある「ただサリーをすきなだけ」っていう気持ちがものすごくピュアで、そして大きいなぁと。ビルもサリーも、絵に描いた美男美女でもなければ(アサカナがそうでないという意味ではなく役柄としてね)、何の欠点もない完璧な人間でもない。けれでも、いっそそれにも関わらず、ビルはサリーがただ好きなだけで、サリーはビルがただ好きなだけで。爵位も財産も教養も何もなくても、「僕と僕のおんなのこ」「私と私のおとこのこ」、そんなシンプルでピュアな物語。物語が最後にどんでん返しでハッピーエンド、その事よりも、ただお互いを好き合っているという事が何よりもハッピーでかわいくて、ちょっと切ない物語。いいね、アサカナすごくいいね。最後にそんなふたりが見られたことに、管轄外ながらもすごく幸せな気持ちになりました。 幸せなだけに、置いていかれる瀬奈くんが本当にかわいそうでならないです。という訳で最初の話に戻りまして、どうか今回の相手役不在の措置が一時的なものでありますよーに。そうでないと「その不在を埋められないほどセナジュンにとってアヤノカナミの存在が大きいのか」と無駄に男ヤモメ萌えしてしまいますよ?(私が)。……それはそれで萌えだからいいのか?(違うと思う)。 管轄外だからって好き勝手言いすぎですむっさん。 [自分用メモ] この日、クマコさんと観劇してて、その時「タニオカ君には結局何の役が合うんだろうね」という話になって(ちょっと待て君ら観てるの月組さん)、奇しくも「やっぱりシンデレラロックなんじゃね?」という結論になってしまいました。その時クマコさんが「あ、私『更に狂はじ』再演でもいいよ?」と口走った瞬間、箙かおるさんにナニされていた霧矢君のポジションに蘭寿先輩がぴったり配役(違)されてしまい「ギャア!」となりました。つうかいっそ義円にユウミヒロさんとか(削除)。 管轄外だからって(略)。 |
||
|
|
||
| BACK INDEX NEXT | ||