2007年08月05日(日)
タイトルがスパッと決まらないときは中身もだらっとしている気がする


[スカステメモ]

 博多初日映像を見ました。涼さんのセルジオがうっかりかわいくてどうしようかと思いました(素)。

 あとわたしキャリオカに絶対泣く(宣言するな)。でも泣いても見たい。きっとこれはちっちゃい子が睡魔と闘いながらご飯を食べているようなもんなんだと思います(笑)(タカラヅカにおける三大欲求のうちのふたつ)(じゃああとひとつは?)(さあ?)



 昨日の続き、というかだんしんくれーじーの話をします。


[ダンシンメモ:タカラヅカOGといういきもの]

 今回の公演はもちろん「大真みらん」を目当てで行ったのですが、「なんかすごいものを観てしまった」感でいっぱいになって帰ってきました。この「なんかすごい」はたくさんのタカラヅカOGが綺羅星のごとく共演していたことではなく、タカラヅカOG公演としてすごかった。タカラヅカOGが出ている(一般の)舞台でもなく、タカラヅカOGがタカラヅカを全面に出す舞台(狸御殿みたいな)でもなくて。なんというかOG公演としては新機軸だったんじゃないかなぁと。
 それを一番感じたのが、作品中における性別の扱いなんですね。タカラヅカメイクをしていないのはもちろん、男役としての体型補正もしていない、でも男として舞台に立っている。そんな場面が多かったのです。さすがに宝塚のショー場面再演のところでは、ちゃんと補正していたと思うんだけれど、それ以外は、ほとんどしていないような。細身のスーツを着ていたり、ウエスト絞った衣装だったり。それはもう男役じゃない、けれども舞台で与えられている役割は「男」。なんというか不思議な空間でした。ユニセックスな空間、マニッシュな空間。ただひとつ言えるのは、この空間はここにしか存在しえないということ。宝塚が宝塚でしかありえない空間であるように、このだんしんくれーじーも世界のここにしかありえない空間、舞台。そこにいるのは女優でも、ダンサーでも、インストラクターでも振り付け師でもなく「タカラヅカOGという生き物」。そりゃそうだ、人生の一番多感な時期をあの空間で過ごして育って、あの空間で頂点を極めたものが、おいそれと消えるわけじゃない。宝塚は有限の園だけど、そこにいた人たちの中に確実に宝塚が永遠に息づいているんだなぁ。男役娘役の違い、在団年数の長短はあるから、「タカラヅカOGといういきもの度」の濃淡はありますが、少なくもとも今回中央に立っていた人たちは皆「タカラヅカOGという不思議ないきもの」なんだと思います。なんというか新しかった、そしてはそれは宝塚特有のジェンダー論へのセミ・アンチテーゼのようにも思えました。ううう……うまく表現できない。でもものすごく面白い。これ、またやらないかなぁ。というかほかの人にも観てもらって、私が感じたものを表現して欲しいのですよ(吉野ふーみんとかやましたせんぱいあたりに是非解説してもらいたいなぁ)。

 初見の時にも触れた、二幕最後の「変わり黒燕尾というかマニッシュな黒燕尾」(誰か図解してください)。これが今回の公演の私が感じた何かを一番あらわしているんじゃないかと思います。ところで初見の時には気付かなかったのですが、中に着ているブラウスの下の黒ブラが透けて見えてたんですね、全員。それに気付いたときにはかるく恐慌状態に陥りました。ああ!実際三木ティはどこまで何を考えてやっていたんだろうなぁ確信犯じゃないかと実は思っています。


[ダンシンメモ:朝海ひかるさんと湖月わたるさんの話]

 何故このふたりを並べるかというと、その「タカラヅカOGといういきもの」になったばかりの主演男役ふたり、という事です。どちらもおもしろいように変わっていたなぁと感じました。

*朝海ひかるさん
 「この人こんなに多彩だったっけ?」というのが正直な感想。びっくりした、硬軟自在というか。実際ちょこちょこ出番も多くて、それがそれぞれに色味が違ってものすごく印象的でした。なんというかコムロさんの振り幅は「男女」なんだなぁと。「男」の部分はタカラヅカで得てきたものだけれど、「女」の部分も既にエンターテイメントとして提供できる域にある。単に在団中に「中性的」と称されて女装を振られていただけからじゃないと思う。そして、今回タカラヅカOG公演だから「男」の部分を発揮できたんじゃなくて、今後の女優業でも彼女の「男」の部分はすごい武器になると思う。この多彩さ(振り幅)はこのまま行くのかなぁ、それとも女優業に慣れたら収束していくのかしら?ちょっと今後が楽しみになってきました。

*湖月わたるさん
 「この人こんなにやわらかい表情するひとだっけ?」というのが正直な感想。うん、それがすごく素敵だった。もちろん星組褌リーダーなワタさんも大好きだったけれど、今のわたるさんがすごく素敵だと思いました。男役という枠が外れたコムロさんが、男女の振り幅を自在に操るようになったのに対して、わたるさんはすとん、と「中性的」という性別におさまった気がしました。男役→女優への過程のものではなくて、わたるさんが持っていた純粋な部分というか、ピュアな部分というか(それ言葉一緒)、それが「中性的」という性別に現れたというか。優里姫相手に床をごろごろ濃厚なラブシーンがあったり、シバの冒頭のソロダンスの場面の再演もあったりと、存分に「男」を演じていたはずなのに、「中性的」だったなぁという感想です。それがなんとも言えず好印象。とても良かったなぁ。
 わたるさんの今後も楽しみです。


 どちらも「タカラヅカOGといういきもの」だからこそかもし出せているものなんじゃないかな、と思うのです。


[ダンシンメモ:ざんげ×2]

・コムロさんとユウコ姫の「夢十夜」(夏目漱石)。朗読とバレエ、すごく雰囲気あって素敵でした(というかやっぱりタカラヅカでも朗読やるといいと思う)。あの白い場面にただただ魅せられてしまいました。

 が(ここからざんげ)、その朗読の中に「もう死ぬのかね」と来た瞬間おじさま変換が!(馬鹿だ)。しかも最後の台詞が「百年はもうきていたんだな」と相田みつを口調で!(馬鹿だ)
 ざんげします。

 (しかしこの「夢十夜」というテキスト、エロいですね(素)。読んでからあの場面をもう一度見てみたかったなぁ)


・タカラヅカのショー場面再演を集めた「極めつけメドレー」というコーナーがあって(あまり極めてないようなと思ったのはわたしだけでしょうか?)、「ザ・レビュースコープ」の男役黒燕尾のデュエットを大浦さんとコムロさんで再現。ものすごく見ごたえがありました。コムロさんのみずみずしさ、鋭さを孕んだ黒燕尾。大浦さんの重厚さと余裕を垣間見せた黒燕尾。正直言ってしまえば、そこには年齢差が如実に出てしまうのですが(一番は肌に出たと思う、タカラヅカメイクしてないしね)、でも甲乙つけがたい何か、ほんとどちらを見ていいか迷いました。

 が(ここからざんげ)、ぶちゃけもうこの場面が終始「空蝉Acrossにおける湖月の当主と若かりし頃のおじさまの黒燕尾対決」にしか見えなくて……っ!(震撼)、どこをとってもまさにそんな感じで(大震撼)……伝わる人にだけ伝わればいいです。でも自分の(萌えの)業の深さに愕然としました。
 ざんげします。




 こんな感じにしゃべっていきます。ほんとセットリストとか場面紹介とか全然情報ない上に、うっとおしいことこのうえない。ほんとすみません。
 次回は「風花×星奈」の話をしたいと思います(予告というか自分用メモ)。



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