2006年07月08日(土)
あなたとわたしはうらおもて、とは思い上がりか


 雪全ツ横浜行ってきました。

 あの辺りはまったく私の行動範囲じゃないんですが、無駄にヘリテージング魂(覚えた言葉はすぐ使う)が騒ぎました。いちいち立ち止まりたくなるような建物群。あと海なし県育ちなので、海見ると無駄に血が騒ぎます。というか劇場のロビーから見えるあの夜景!そして県民ホールはすごく見やすかったです。うわー、いいとこだ。時間があったらもうちょっとゆっくりしたかったところなんですが。あ、あと会社からだと横浜近いね!(休出だったらしいよ)(あー)。

 で(まだ前段が続きます)、開演前にクマコさんと近況報告がてらに我々が現在直面する問題「システム開発のプロジェクトリーダーってきつくね?」を話していたら、いざ幕があいたらオスカル隊長=プロジェクトリーダー変換できてしまって止まらなくなりました。上流工程を手掛けていたコンサル会社(近衛隊)から、夜討ち朝駆け(違)な現場第一主義在野のIT会社(衛兵隊)に転職したオスカルリーダー「赴任は明日からのはずでは?」「いや事前にわかっていればいくらも準備ができる、今から君たちのレビューを行う!」(いや、レビューなんだから準備ナシじゃ無理だから!)。
 あ、あとブイエ将軍が非番のところに乗り込んでくるところは進捗遅れに業をにやして喫煙所に殴りこんでくるお客さん、って変換すればい(以下削除)。

 いいから、もう(同業者にすらウケません)。


 しごとづけですが、そんなに凹んでません。



[雪組全ツメモ:ベルばらまんがつり]

 一言で言ってしまえば「すごいおもしろかったー!」です。この面白いはネタ変換としてではなく、素直に舞台として面白かったです。ベルばらなのに!(言いおった)
 個人的な主観ではありますが、去年秋から始まったベルばらイヤー(嫌ーではない)(笑)の中では、一番脚本がまともよかったかも。少なくとも雪本公演よりは格段によくなっていました。雪本公演で気持ち悪かったところが解消されたというか。
 全ツ仕様の加筆部分が「んだよそれ本公演でもやれよ!」なクオリティ。全ツ仕様の穴を埋めたはずが、ベルばら脚本そのものの穴を埋めたとすら思え……あくまで主観なので。
 特にアンドレとロザリーの新着(違)場面が良かったです。このおかげで雪組版ロザリー(not舞風りらさん)の変態度が薄れ(後述)、アンドレ(特に壮一帆さん仕様に対して)の毒殺に走る段に説得力が生まれました(後述)。

 もう一言言うと、雪組全ツベルばらはすごく「まんが」チックでした。マンガでも漫画でもなく「まんが」。主に水夏希さんのオスカルに対してなんですが(後述)、なんか中央にいる水オスカルを見たときに「漫画から抜け出てきたよう!」ではなくて「まんがみたい!」って思ったんですね。ためしにつるっと言ってみると、すごくカリカチュアナイズされたというか(ためしで物言わないでください)。組長のダグー大佐がコミカルになっていたのとか(私はアリです、かわいいかった)、ルイーズがわかりやすくツンデレだったのとか(笑)、美穂圭子お姉さまのばあやがアランのお母さんと同一人物とは思えないほど作りこまれていたりとか。あと簡易化されたセットが今回やけに昔の少女マンガ誌の付録っぽくてかわいかったんですね、そういうところもまんがっぽいなぁと。
 あ、でもおっくんは「漫画」っぽいです。そして壮一帆さんは「アニメ」っぽいって全然伝わらないと思いつつ、ちょっとは伝わるといいなあって無理だよむっさん。


[雪組全ツメモ:水夏希さんが「まんが」的だった件について]

 ほんといつもいつもわかりにくくてすみません。
 で、水夏希さんのオスカルなんですが、意外に陽性、いっそ「ご陽気」なオスカルでびっくりしました。あんなに「愛の巡礼」を楽しそうに歌う人見たことない……ッ。なんというか、水オスカルは「自分が女でありながら男として生きているる事」をマイナスに思っていないオスカルなんですよね。いっそそれをエンジョイしているようにすら見えました。水オスカルにとって「女であること」は「アゴが長い」というのと同じ次元というか、「自分が女でありながら男して生きている事」をそれぐらい自然に受け入れているような。コスプレ、というか扮装を楽しんでいるような感じで、そこに水夏希さん本人の「オスカルやれてうれしいな」っていう宝塚スターとしての喜びがにじみ出ているのは敢えて否定しません(すごく楽しそう)。でもそうやって、男として生きている事を受け入れエンジョイしている事で、物語がすごくシンプルになったと思いますいい意味で。これは「宝塚のベルばらのオスカルは男役がやる必要は全くない」というのにも通じるというか。水先輩のオスカルは原作的な男装の麗人としてのオスカルでもなく、宝塚の男役がやるオスカルでもなく、ただオスカルという人格だったなぁと。これはすごく新しかったです。

<余談。そう思うと歴代オスカルを「女であること」を自分にとって正(受容)としているか、負(苦悩)としているかで分けることができるかもしれません。たとえばトウコオスカルや稔オスカルは「負」、水オスカルは今言ったように「正」。ちなみコムオスカルはそういうものを完全に超越していたなぁと思います。余談終了。>

 で、そんな風に異性生(そんな言葉あるのか)を受け入れ楽しんで扮装的なオスカルは非常にキャラクター性というか偶像色が高まっていました。そのおかげでロザリーの変態度が薄れていました。偶像(アイドル)故にあこがれる、という図式が成り立っていて、本公演版の「コムオスカルのくるもの拒まずぶりと話逸らしまくりぶり」「マイカゼロザリーの乙女の妄想爆走っぷり」「そこから生じる無駄に過剰なエロ曼荼羅(敢えて言う)」が全く無くなっていました。素直に「乙女の祈り」「乙女の憧れ」と受け取れました。

 ところで水オスカルからは無性に昭和の匂いがしました。なんだろう、あの昭和っぷりはと思っていたらクマコさんが「水先輩のオスカルは宝塚スターがやっているオスカルだから」と言いました。ああ!(目ウロコ)やくしゃとしてというより、男役としてというより、「宝塚スター」。すごい納得。

 で、そんな風に異性生(だからそんな言葉あるのか)を受け入れ楽しんで扮装的で偶像的なオスカルなんですが、物語の後半に向けてその当たり前に受け入れていた異性生を再認識しだしたような気がしました。もっというと受け入れるだけだった異性生が自分のツール、武器になることに気付いたというか。
 民衆の為に戦いたいと思ったとき、自分は『男』として生きてきたからそれができる。
 愛する人を失ったとき、自分は『男』として生きてきたからその死を犠牲にせずにまた(言うなれば)仇をとることができる。怒りと悲しみとを表すためのツールがある。
 バスティーユの場面で、トウコオスカルには「女だからこその力」を、コムオスカルには「男とか女とかを超えた力」を感じました。水オスカルには「異性生(男として生きている女)だからこその力」を感じたのです。すごい興味深かったです。

 だらだら言っている上に、ちっとも「まんが」の説明になっていませんが、とりあえずむっさん気に入ったんだな、と思ってもらえれば。
 しっかし、水先輩(いやチカ先輩)のオスカル、ちょうおとめだった……ッ!(悶絶)



 マイカゼの話をしようと思いましたがタイムリミットー。明日できるかなぁ。


 壮一帆さんに関しても後でじっくり。
 とりあえず今日のところは謝っておきます。ごめん!ガラスの競艇が幸せを運んでくるとか見えてないのかメガネメガネとかペガサスに馬券握り締めた姿想像したりとか壮一帆さんの持ち馬「モウソウペガサス」が出馬する夏の中央競馬トゥインクルレースで万馬券とか言ってて……(そこまで言っていたのか)。

 謝らなくちゃいけないと思うぐらい、壮一帆さんがステキでした。いつでも提出できるように壮一帆部の入部届けは書いて携帯したいイキオイです。





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