2006年03月27日(月)
猫ニャー


 帰ってきたらテンプテーションがスカステでやっておりました。
 ああ……ショーが見たいよう。やっぱりショーがないとさびしいよう(東宝では現在ベルサイユのばらが上演中です)(次回もベルサイユのばらが上演されます)(更に次回もねばーせいぐっばいなのでショーはありません)。さびしいなあ。


 この間の椎ドレ楽ですっかり打ちあがった気分になっております。や、まだ上演中だよ!まだ若は必要以上に「隊長ー!」と絶叫し(私もこのごろ叫びすぎだと思ってました)、薔薇タンでオラオラやっていますよ?(つうかあと一回観にいくんですが)
 しかし私は毎週東宝にいると思われているようで、「チケットあるんですがむっさんもう持ってますよね?」「私その日に行くけれど観ているんでしょ?」……皆あたしを何だと思っているんですか?(星組ジャンキーでしょ?)。


 じゃあベルばらの話をします。アニメ版ですが(そっちか)。
 ようやくこの週末に周回遅れで見ていなかった回を消化しまして、放映に追いつきました。ちなみに先週末金曜日(ベルばらは平日放映しています)が「アンドレ、青いレモン」の回でした(アンドレがオスカルを勢い余って剥いてしまう回)(言うな)。原作未見の当時小学5年生の私には大層衝撃的な回だったんですが、今見ると思ったよりあっさりしてました(時間的にもえ?こんな短かったっけ?って感じで)。全40話(正しくは最終話は総集編なので39話)のうちの28話が終了しています。あと11話で原作5巻中〜9巻末までのエピソードを消化していくんですな……さ、キリキリ巻いていきましょうか!(笑)

 ★ここ十話分ぐらいでの私的萌えどころ
・アニメ版のロザリーがおそろしく男前でドキドキします。馬乗って川越えていきます。
 シャルロットの死を前にして「私には関係ない、血が繋がっているからといって、一緒にくらしたこともないもの。愛情なんてない」と言い放ち背を向けて去るロザリー、けれども「そうでしょう?オスカル様?」と振り返った時に、眼にいっぱい涙を溜めていて、耐え切れずにオスカルに抱きつく「名乗りあう事なかった私のいもうと!」と号泣……あー、いい話だった。
・宮廷で噂になるアントワネットとフェルゼン、それを賤しい目で蔑む人々。そんな目に晒される王妃さまを見るのがつらい、と舞踏会を欠席しようとするオスカル、それを嗜めるアンドレに「ではどうすればいいのだ!王妃さまをそんな目で見る者の目をこの剣でかたっぱしから斬ってゆけばいいのか!」と激昂するオスカルに「ははっ、そりゃいいや、やってみるか?」と敢えて冗談で混ぜ返すアンドレに、思わず気が抜けて笑ってしまうオスカル(説明長い)。なんだ、椎ドレみたいじゃないか(素)。
・アメリカ独立戦争から帰ってきたフェルゼンがジェロニモみたいな長髪だった(割と萌えた)。

 ふとアニメ版を見ながら、ベルサイユのばらってやっぱり女の物語だなぁと思いました。正しくはオスカルと女の戦いというか。アニメ版はデュバリー伯夫人が消えたかと思ったらポリニャック伯夫人が出てきて、そうこうしているうちにジャンヌも出てきて、と、次から次へとわかりやすい敵キャラ(違)が出てくるんですよね。で、このオスカルが戦う女の中には当然「王妃アントワネット」も含まれます。そんな戦士オスカルが最終的に対峙するラスボス(違)は、自分自身の中の「女」なんじゃないかなぁ……ま、そんなことをぼんやり思った訳ですよ。で、そんな女の物語であるベルばらは実は男性原理(違)がまかり通る宝塚には本当は向かない作品だと思っています(男装の麗人=オスカル≠男役と思うし)。それが宝塚歌劇になったのはひとえに「様式美」と追求したからだよなぁ(そして歌舞伎という古典に仕上げたからこそ)。
 宝塚のベルばらの大いなるマンネリに、植田・谷以外にやらせればいいのに、とずっと思っていたんですが、でも植田・谷ラインから外れた時(様式美・歌舞伎から外れた時)、宝塚のベルばらってまるっきり違うものになっちゃう(極論すれば宝塚じゃなくなっちゃう)んじゃないだろうか……いや、だからこそそれを観てみたいんですが、敢えてやるべきだと思うんですが。でも実際問題、他の演出家がやることはありえなさそうだよね……。

(ウザくてすまん)

 返す返すも、ベルばらという存在自体が(宝塚のベルばらに限らず)、私にとっては最高の語り対象というかイジリ対象なんですな……。



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