2006年03月25日(土)
男役であるまえに男(マン)であれ


 ポスターが出てたよ

 いやー、涼さんエロい。(最初にそれか)(もうちょーたのしみですな)。

 ついでに、大きい画像が拾えたので外部出演ポスター
 良く見るとタイトルの上に琵琶と菫のロゴが(ちょっとカワイイ)。

 そう言えば涼茶で涼さんがエンキさんを称して「中国の人の自己主張が強いんですよね。必ず『私行きます』『私食べます』『私いりません』と必ず自分が主語になるんです」と言っていて、今一緒に仕事をしている協力会社の趙さん(在日十数年の敏腕女性プロジェクトマネージャー)(出来る人)を思い出したんです。で、その後記者会見を見たら、エンキさんと趙さんの話し方とかイキオイ(笑)がすごいそっくりだったんですよね。国民性って侮れない、と思った次第。


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 ゆうひさんラスパを観にいってきました。
 ……。
 ……。
 ダメだやっぱり叫んでいいですか?

 ものごっつよかったんですがぞなもし!(日本語破綻中)

 もう終演後に「すごいよかったーすごいよかったーすごいよかったー」と繰り返し。つうか幕間でも「すごいいいーすごいいいー」と……久しぶりに全てをもってゆかれる芝居に出会いました。もうほんと引き込まれた、わけわかんないけれど引き込まれました。
 なんというか、スコットとゼルダは同じ魂を持ったものがふたつの身体に、しかも男女に生まれてきてしまったんだなぁと思いました。生まれる前からふたりはひとつで。スコットの喜びはゼルダの喜び、その喜びがまたスコットの喜びで、それがまたゼルダの喜び。そういう相乗効果。ニューヨークに出てきた時の二人は本当に、ただ二人でいるだけでどんどんどんどん幸せになっていくっていう感じの。
 でもその逆もしかりでゼルダの痛みはスコットの痛み、その痛みがまたゼルダの痛みで、それがまたスコットの痛み。二人のすれ違いが始まってからは互いに互いを不幸にしていく、どんどん沈んでいくのを止められない。それなのに二人は決して離れる事が出来ない。何故なら二人は最初はひとつのものだったのだから。「I am You」「You are me」、そして「Who am I」この言葉がひしひしと伝わってくる。幸せにも切なくも哀しくも伝わってくる。理屈じゃないんだ。「I am You」そして「You are me」。
 宙版を観た時に感じた「どうして二重構造にしたのかなぁ」という疑問(いっそ不満)もすとんと落ちてきました。普遍の人生、それはスコット・F・ジェラルドもまたしかり、普遍の人生の終わりは平凡だった、けれども普遍の人生にどれだけのものがあったのか。その最後に、そっとやさしさを添えるように、ゼルダの写真・原稿・赤い薔薇、そしてゆうひさんの合図で暗転、幕引き。それぞれが演じた人物の普遍の人生へのオマージュ。完全にスコット・F・ジェラルド伝では終わらない、それは伝説ではなく、普遍の人生だから、今も繰り返される普遍の人生だから、受け継がれている普遍の人生だから。
(これはゆうひさんの芝居力も大きかったと思います。スコットの部分と、それを演じる役者の部分、そしてそれがシンクロしてまざりあって同化していくのが絶妙だと思いました)


 ああ、もうこんなウザい語りとかはどうでもいいですよ!(こんだけしゃべっているくせに)。
 そんな言葉や解析やらを乗り越えて良かったです。ほんと良かった。この舞台がみられて幸せでした。もうそれだけでいい。素直にこの舞台に対して「ありがとう」と言いたいです(心の中でスタンディングオベーション)。


 と、言いつつもヨゴレな部分も忘れてないのがナパームスクエアです。

[ラストパーチーヨゴメモ]

・今回の収穫は真野すがた君のよっぱらい振りがみれたことですよ。ひー、やっぱりあいつ面白い。少しも早く額にネクタイを!(絶対似合うはず)
・あと史実のフィッツジェラルドが近眼でなくて良かったと心底思いました。ゆうひさんのあのガタイであの格好で銀縁眼鏡かけられたら絶対萌え死ぬ(観劇しながら何回か脳内でシュミレーションしてしまいました)(反省中)
・観劇中に何度となく泣けてきたんですが、一番最初に泣けてきたのが、新婚生活を送るスイートルームでのいちゃいちゃじゃれあいです。うわあなんだキミらカワイイなあ!(じわー)(あ、あたし泣いている?)ここがあるから(互いの喜びが更に喜びとなる「I am You」「You are me」)、その後の「I am You」「You are me」がすごい効いて来るんだよね……(ボディブロー)。

 あ、ヨゴレきれなかったわ(漂白)(余韻に漂泊してきます)。





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