| 2006年01月29日(日) | ||
| マメだけにマメに手紙を書いてくる(一句) | ||
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とうとつに。私のみらゆ観てつまりは二太郎と太(@永遠の野原/逢坂みえこ)なんじゃないかと思ったらうきゃーと一人でキテしまいました。いける、いけるよ(ひとりあそび) ------- 上記のエントリー(違)は、出かけるしたくしながらうっかり思いついてしまい、やばい、書かなきゃと東宝に行く途中で書いてたものです。そしてその間も色々反芻しながらやばいやばいきてるきてるとひとりニヤニヤしてしまいました(あぶないです)。その他配役:とりあえず縫之介に銀河亜未さん(やべー)(ひとりでやっていなさい)。とりあえずひとりは伝わったようなので(早速の反応ありがとうございます)、後でじっくり検証してみたいと思います。 でも原作知っている人から見たら「あんた大真みらんさんにそんなドリー夢”も”抱いてンのか!(わなわな)」と震えられる事ウケアイです。だってしょうがないじゃん!何にでもなれる大真くん、その何にでもなれる大真くんの数だけドリー夢抱いちゃうんだもん!(何キャラですか)。 という事を考えながら東宝に行ってきました。 [落陽メモ:第三回戦] 見るたびに印象やら感じる事が違ってきて困ってしまっています。今日もすんごい脳内CPUを稼動させてきました。どれぐらいの稼動率かというと、2004年末の長安で天文部活動していたときと同じぐらいです(そいつはすげえや)。そして見るたびにSSネタが生まれて困っています。なんというか枝葉末端からいろんな設定が漏れ透けて見えるんだよね。つうかケーコたんは絶対に裏設定SSのサイト持っていると思うんだよね。(URLを)教えてケーコたん! 初回に「これはヴィットリオFの視点からの物語」と思ったのは割と間違っていないとは思っているのですが、ヴィットリオの視点からの物語として納得もしたいんですよね。厳密にはヴィットリオとアンリエッタの視点として(当方ふー担です)。 で、色々考えながら観ていたのですが、あー……(うなだれ)。 ただ思ったのはヴィットリオという人はかわいそうな人だな、という事です。実はこの物語、ヴィットリオの視点から考えると全然ハッピーエンドじゃないんじゃないかと(ええ?)。時代に抗えず、一度はアンリエッタとの恋を諦めた(手放した)ヴィットリオ、失われた命にそれでも尚時代が変わらぬ事を嘆くヴィットリオ。ところが運命の悪戯で、彼の環境ががらりと変わる。彼の手の届かないところで、彼は変えられてしまった。ドンブイユ公爵の申し入れは、本当はヴィットリオ的には受け入れがたいものだったんじゃないかなぁと。 それでもそれを受け入れたのは「待ちつづけた母」の為、母の祈りを叶えたいが為、幸福の名を持つ不幸な女性を救うため……。 そしてヴィットリオがこの逆説的とも言える「変化」を受け入れがたいことを、ドンブイユ公爵は察していたんじゃないだろうか?けれどもヴィットリオ、あのかわいそうなフェリーチタを救うために受け入れてはくれないだろうか?彼女を、私達の中に生かすためにも。私の事を恨んでもいい、私を父と呼ばなくてもいい、ただ、これを受け入れてくれさえすれば、彼女の祈りは救われるのだから。ある種の契約、それでも「父親」に抱きしめられたヴィットリオは、そこに血の繋がりを感じる。母から自分に流れる血、そしてこの「父」から自分に流れる血、そしてその血は、その血はどこへゆく、どこへ繋いでゆけばいいのだ……。 時代を変えるために、命を失ったニコラ達。それを「おまえ達が死んだところでシチリアは変らない!」と言ったヴィットリオ。 時代を変えるために死を選んでしまったニコラ達、時代を変えるためのものを模索していたヴィットリオ、そして時代は未だ変わらない。 「今は」変らない。 ヴィットリオもニコラ達も、方法は違えども「今」変える事を願っていた。「今、自分達の力で」変える事を願っていた。けれども変えられなかった、変らなかった。 「今」は。 そんな時に突然、「まるでおとぎ話のように」ドンブイユ公爵の元に迎えられるヴィットリオ、そして感じる血の繋がり、命の記憶、私の中に父がいて母がいて、そして血は繋がってゆく……繋いでゆこう、この人と共に。 「いつか」時代が変る時が来る、でももしかしたら変らないかもしれない、けれども「今」変らないことを未来の希望にして、 「いつか」時代が変る時が来る、でももしかしたら変らないかもしれない、けれども「今」変らないことを目の前にもがき苦しみあがいた命の記憶をつないでゆこう。それが「いつか」の「ヴィットリオとアンリエッタ」の勇気と希望になるように。 「いつか」時代が変るその日まで、その礎を築いてゆこう。 物語のラストは、そう気付いたヴィットリオのこれから始まる長い長い「いつか」への道のりの決意表明だと思ったんです。ワルツを踊りながらも、険しい顔を崩さないヴィットリオ。これからの道のりは辛く長いものです。けれどもあなたはそれについてきてくれますか?今はただ、幸せに満ち溢れるアンリエッタにそう、問い掛けているように見えたんです。アンリエッタは幕が下りるまで幸せそうな顔をしている。けれどもきっと彼女は賢い人だから、ヴィットリオがその「決意表明」を背負った事に気付くのかもしれない、あるいはもう気付いているのかもしれない、それでも彼女は幸せなのだ、いつかへ繋がる辛く長い道のりを歩くのも、愛しい人と一緒なのだから。一度は失った恋を、もう、手放しはしない。それだけで良いのだから。 そして二人の血は、「いつか」未来の「ヴィットリオとアンリエッタ」=ヴィットリオFとジュディッタに繋がってゆく……。 「いつか」の「ヴィットリオとアンリエッタ」へ、 君たちの時代は変ったのだろうか?変らないのだろうか? 変えようとしているのだろうか? たとえどんな世の中でも、決して諦めないで欲しい。その為に、わたしたちは命を繋いでいったのだから。 この命の記憶を全て君たちに捧げよう……愛をこめて。 ヴィットリオとアンリエッタより。 終幕 SS書いてどうするよ(つたわんねえ!)。 次回マイ楽。次回は普通に観たいです(多分無理)。 [アジアンメモ] ・花組主演男役(半笑)、春野寿美礼さんの相手役としてのふづき美世さんは「奥方」であると同時に「おさな妻」というカテゴリーも持っていたんだと思います。上善如水で、雅様の周りをちょこまかちょこまか動き回っている様に、まだお輿入れして間もない頃、まだ幼かった頃、屋敷中を「雅様!見て見て!」と子供のように走り回っていたふー様を思い浮かべてしまいました(いやそんな頃ないから)。 ・チャイナタンゴのシーンはひたすらまっつ一花を見ています(ごめん、あのピンクのひとたちみんなこわい)(……)。一体この二人にはどういう設定を当てはめたらいいんだろうと初見からずっと考えていたんですが、「後に血が繋がっていないとわかった兄と妹」でいいんだと今日気付きました(気付くな)(つうか設定考えるな) ・なんだかんだで真飛さんの一番の見せ場はサンパギータで、結婚式を眺めていて、それが自分の恋人だと気付いて愕然として花を下ろしてしまうところだと思います。次点で、あすかちゃんが落とした花を、声にならない声を出しつつ拾うところ。こういうのやらせたらほんと絶品。 ほんとに君は普通に観れない人だね……。 今日、オトモダチと話をしていて 「2×4も4×2も答えは一緒、だから(少なくとも私にとっての)かけざんはリバOK」 という事に気付きました。目ウロコ(笑)。 |
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